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第3話 「けどお前、あれは、誰だ?」
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二本目の葉巻に火を点けながら、ジャスティスは弟に問いかけた。
「誰だ、って誰のことだい?」
葉巻を勧められたが、ノブルは手を振って断る。
「俺のは吸えないってのかい?」
「俺は単に、紙巻きの方が好きなんだ。忘れたかよ」
ジャスティスはにやり、と笑う。
「ああそうだったな、お前は。コモドに居たあたりからだったか。誰かのせいだ、ってほざいていたよな」
「そんなこと、俺言ったかなあ」
言いながら、彼はちらり、と斜め向こうを見た。
「ちょっと待ってくれよ、ジャス」
ふらり、とノブルは立ち上がる。そして斜め向こうのボックス席をのぞき込んだ。
「…………何やってるんだよ、あんた等…………」
同僚達は、わざとらしくもサングラスを掛けて、なおかつ姿勢を低くして、内緒の話をしているかの格好でそこに居た。
「や、別に、明日の試合のためのね」
「そういうことは、後で時間が決まってるだろ!!」
慌てて四人が、その場から立ち上がったことは言うまでもない。
ふう、とノブルは歯をむきだしにしながらこめかみを引っ掻く。
「おい何だよ。いきなり」
「……出歯亀がウチの選手には多くてさ」
「ふうん。まあ普段はお前もそうなんだろうがよ。それはまあいいさ。それよりさっきの質問に答えろ」
ちょっと待って、とノブルはレジの所まで行くと、煙草を一箱調達してきた。
「プリンス・チャーミングがありゃしねえ」
「お前、そればっかだったよな」
「そ。名前が童話の王子サマなのに、結構キツイんだぜ」
「安っぽく感じるがな。まあいいさ。……はぐらかしてないで、とっとと答えろ」
ああ駄目か、とノブルは思いながらこの惑星のブランドらしい「インビンシブル・アルマダ」のパッケージを開いた。
「何だよこれ、シガレットの色が紫かよ」
「お前知らないのか? ここじゃあ紙巻きは指定の用紙で無いと製造できねえんだよ」
「……って言うと?」
「だからお前、『プリンス・チャーミング』切らしてて正解だぜ。ここじゃ白い紙巻きってのは、ドラッグと勘違いされるからな」
「へーえ、それは初耳」
感心したようにうなづくと、彼は紫の紙巻きに火をつけた。
「……しかも軽いんでやんの。何これ」
「文句言うな。この惑星はだいたい今、ドラッグ関係には結構ぴりぴりしてるんだぜ。知らなかったのか? それになあ」
「なるほど。はいはい、答えね答え」
さすがにもうこの兄には脱線は効かないな、とノブルは思った。
何せ双子なのだ。普通に生きてきたきょうだいであっても、互いのクセだの何だのは判ることが多いのに、この兄との間には、ちょっと厄介な特性というものがあるのだ。
「あれ、の示すのをもうちょっと具体的に言ってくれねえか? 一応メンバーが今多いんでさ」
「お前が親しそうにしていた、俺より背が高い色男のことだ」
それは適切だ、とノブルは思う。
「あれはウチの中継ぎエースで、マーティ・ラビイってひとだよ。それがどうしたよ」
「マーティ・ラビイ?」
ジャスティスはぐい、と腕をテーブルに乗せた。
「本当にその名、なのか?」
「本当。それ以外に何だって言うんだよ」
「さっきからなあ、俺のアタマには、ややこしい感覚が回ってるんだぜ?」
「ふうん?」
ノブルはテープルに肘をつき、顎を乗せた。
「って言うと?」
「お前は嘘言ってない。けど本当のことを言ってもいない」
ノブルはくい、と紫の煙草を灰皿に押しつけた。
「さすが兄貴だ」
*
「ほらやっぱり、移動させられちったじゃんかよぉ」
「あのなー ……普通あれだったら移動、じゃなくて撤退しないか?」
「そういうあなたは、どうして居るんですか? マーティ」
「そ、それは」
平然と言う「先生」の言葉に、マーティはやや動揺する。
結局四人は、出て行くふりをして、ストンウェル兄弟から死角になる、やや離れた席に移動していた。
「って、ストンウェルさんって、結構謎多いじゃないですか」
フォローするように、ダイスが口をはさむ。
「でも俺達の中では、あん人は、割と知られてる方じゃないの? ほら、コモドん時の雑誌とか調べりゃ、家族構成とか判るしさー」
テディベァルはオーダーしなおしたミックスジュースをきゅっ、と手放しで吸い込む。
「まあそこまで調べようって奴もウチの中にはいねーけどさあ」
「それはまあそうだが。でも逆に、君より知られていないことが多いのではないかな? マーティ」
そこで俺に振るかい、とマーティは苦笑する。だが確かにそう言えばそうかもしれない、と彼は思う。
「まあ確かにマーティの場合は、特別ですがね」
ミュリエルもまた、オーダーし直した紅茶をすする。
「しかしここの紅茶はまずいですねえ。アルクの水が恋しいですよ」
「そんなに違いがあるんですか?」
ダイスは自分もオーダーしなおしたコーヒーをじっと見つめる。
「コーヒーより紅茶の方が違いは露骨ですからねえ…… マーティは好き嫌い無いですねえ。何でも美味しそうに食べたり呑んだりしますけど」
「まあ俺はな。食えるものは何でも美味しく、だからさ」
「あ、それは俺も同感だよー」
テディベァルは片手を挙げた。そうかもしれない、とマーティは思う。
テディベァルの出身惑星は、生活水準がそう高くない。働いても働いてもそうそう裕福に暮らすことはできないから、出稼ぎに出ることが多いのだ、と聞いている。
マーティの場合は、また事情が別ではあったが。
「食い物がちゃんとある生活ってのは、いいことだよ」
「そうそう」
うんうん、とテディベァルはうなづく。
「だから偏食は駄目なんだぞ~ ダイス~」
「だからそこでどーして俺に振るんですかっ!」
「そこで、だ」
話の流れを無視して、「先生」はひょい、とポケットからイアホンを取り出した。
「先ほどの続きと行きましょうか」
「って…… 先生、もしかしてあんた」
マーティは「それ」を指さして絶句する。彼はそれには見覚えがあった。つい数年前まで、彼が「仕事」もしくは「活動」で何かと使っていた類の。
「そ、ちょっとさっきストンウェルが立った隙に、片割れを彼のポケットに入れさせてもらったんだけど」
聞きますか? とミュリエルは片方マーティに渡した。俺達は~? とねだる二人はにっこりと拒絶して。
「あとでね」
ぷー、と二人は膨れた。その顔から、先刻のチューイングガムのことを思い出したらしく、再びその議論に入っていった。
どうしてそんなものをこの「先生」が持っているのか疑問に思いつつも、イアホンの片方をマーティは耳に差し込む。
*
「別人だよ」
ノブルはさらっ、と言う。
「どうしてもそう言い切るのか?」
「昔はともかく今は今だ。それ以上のことを言われても、俺だってあのひとだって困るだろ」
ふん、とジャスティスは二本目の葉巻をぐい、と灰皿に押しつけ、立て続けに三本目に火をつけた。
「プリンス・チャーミングはDDの愛好していた煙草だったよな」
「そうだっけ」
「ファンだったろ」
「そりゃあね」
「だからお前は、コモドに入った。兄貴が六年前に蹴ったコモドに、だ」
「……」
そう言えば、そうだったかもしれない。ノブルは思い返す。
「兄貴はまだ当時、俺等二人がシニア・ハイに行ってたこともあったし、お袋一人の稼ぎじゃあ暮らしていけない、ってことで、いつどうなるか判らないプロのベースボール選手になるより、企業に入ることを選んだんじゃないか」
「兄貴は偉いひとだからな」
全くだ、とジャスティスは低い声でうなづく。
「一番怖いひとでもあるがな」
「全く」
同意してから、ああ違う! とジャスティスは片手をさっと払う。
「何でお前と話すと、どんどん脱線するんだ。そうでなくてなあ」
「だから、オマエが言いたいのは、こういうことだろ? ウチのマーティが、その昔俺が大好きだったDDにそっくりだって」
「そっくりどころか、……あれは同じじゃねえか」
「さあ」
ノブルは両手を広げる。
「まあそう言いたいんならいいがな。俺も昔会ってるんだ、ってこと、忘れるなよ」
「あれ、そんなこと、あったけ」
ノブルは記憶をひっくり返すように首をかしげた。
「ある。一度だったがな」
「いつだったっけ」
「忘れたのか?」
*
忘れてる。
当の本人は、神妙な顔で、向こう側の会話を耳にしていた。「先生」もまた、同じ会話を聞いていた。
「そういうことが、あったんですか? マーティ」
「さあ俺には……」
実際、思い出せない。
記憶障害。そう言ってしまえばひとことで終わるのだが、このサンライズの中継ぎエースの男は、それを抱えていた。
無論普通の生活には全く困らない。ただ、パーソナルな自分の記憶に関してだけ、思い出す道筋がなかなか復活しないのだ、という。
「ストンウェルと同じチームに居たあたりはまあ、それなりに思い出せるんだけどな。それ以前のこととなると、だいたいそれこそ思い出すための資料が足りないんだよ」
「そういうものですか?」
「そういうもんじゃないかい? 先生。どんなものでも、思い出すためのきっかけってのがあるだろ? 結構ああいう過去の写真やら雑誌記事やら、試合のヴィジョンなんかはそれなりになあ」
それでも、あまり思い出したくないこともあるけれど。
「私なんかから見れば、DD時代のあなたはそれはそれで、面白いんですがねえ」
マーティはそれには目をつぶって、答えなかった。
元ナンバー1リーグの「コモドドラゴンズ」のエース、花形選手の「DD」。それがかつての自分だったらしい。
それが、遠征にたまたま来たレーゲンボーゲン星系の争乱の中、間違えられて政治犯として捕らえられてしまい、アルクの連星であるライ「冬の惑星」に数年間、送られていたのだ、と。
そのいきさつに関しては、どうやら自分の中で「つながって」いる。
だがそれ以上は、まだ半分以上他人事だった。
マーティ・ラビイという名は、流刑時代の仲間がつけた「マーチ・ラビット」=三月ウサギというあだ名のもじりだった。
「俺は、今の自分が一番好きだよ」
彼はつぶやく。
「誰だ、って誰のことだい?」
葉巻を勧められたが、ノブルは手を振って断る。
「俺のは吸えないってのかい?」
「俺は単に、紙巻きの方が好きなんだ。忘れたかよ」
ジャスティスはにやり、と笑う。
「ああそうだったな、お前は。コモドに居たあたりからだったか。誰かのせいだ、ってほざいていたよな」
「そんなこと、俺言ったかなあ」
言いながら、彼はちらり、と斜め向こうを見た。
「ちょっと待ってくれよ、ジャス」
ふらり、とノブルは立ち上がる。そして斜め向こうのボックス席をのぞき込んだ。
「…………何やってるんだよ、あんた等…………」
同僚達は、わざとらしくもサングラスを掛けて、なおかつ姿勢を低くして、内緒の話をしているかの格好でそこに居た。
「や、別に、明日の試合のためのね」
「そういうことは、後で時間が決まってるだろ!!」
慌てて四人が、その場から立ち上がったことは言うまでもない。
ふう、とノブルは歯をむきだしにしながらこめかみを引っ掻く。
「おい何だよ。いきなり」
「……出歯亀がウチの選手には多くてさ」
「ふうん。まあ普段はお前もそうなんだろうがよ。それはまあいいさ。それよりさっきの質問に答えろ」
ちょっと待って、とノブルはレジの所まで行くと、煙草を一箱調達してきた。
「プリンス・チャーミングがありゃしねえ」
「お前、そればっかだったよな」
「そ。名前が童話の王子サマなのに、結構キツイんだぜ」
「安っぽく感じるがな。まあいいさ。……はぐらかしてないで、とっとと答えろ」
ああ駄目か、とノブルは思いながらこの惑星のブランドらしい「インビンシブル・アルマダ」のパッケージを開いた。
「何だよこれ、シガレットの色が紫かよ」
「お前知らないのか? ここじゃあ紙巻きは指定の用紙で無いと製造できねえんだよ」
「……って言うと?」
「だからお前、『プリンス・チャーミング』切らしてて正解だぜ。ここじゃ白い紙巻きってのは、ドラッグと勘違いされるからな」
「へーえ、それは初耳」
感心したようにうなづくと、彼は紫の紙巻きに火をつけた。
「……しかも軽いんでやんの。何これ」
「文句言うな。この惑星はだいたい今、ドラッグ関係には結構ぴりぴりしてるんだぜ。知らなかったのか? それになあ」
「なるほど。はいはい、答えね答え」
さすがにもうこの兄には脱線は効かないな、とノブルは思った。
何せ双子なのだ。普通に生きてきたきょうだいであっても、互いのクセだの何だのは判ることが多いのに、この兄との間には、ちょっと厄介な特性というものがあるのだ。
「あれ、の示すのをもうちょっと具体的に言ってくれねえか? 一応メンバーが今多いんでさ」
「お前が親しそうにしていた、俺より背が高い色男のことだ」
それは適切だ、とノブルは思う。
「あれはウチの中継ぎエースで、マーティ・ラビイってひとだよ。それがどうしたよ」
「マーティ・ラビイ?」
ジャスティスはぐい、と腕をテーブルに乗せた。
「本当にその名、なのか?」
「本当。それ以外に何だって言うんだよ」
「さっきからなあ、俺のアタマには、ややこしい感覚が回ってるんだぜ?」
「ふうん?」
ノブルはテープルに肘をつき、顎を乗せた。
「って言うと?」
「お前は嘘言ってない。けど本当のことを言ってもいない」
ノブルはくい、と紫の煙草を灰皿に押しつけた。
「さすが兄貴だ」
*
「ほらやっぱり、移動させられちったじゃんかよぉ」
「あのなー ……普通あれだったら移動、じゃなくて撤退しないか?」
「そういうあなたは、どうして居るんですか? マーティ」
「そ、それは」
平然と言う「先生」の言葉に、マーティはやや動揺する。
結局四人は、出て行くふりをして、ストンウェル兄弟から死角になる、やや離れた席に移動していた。
「って、ストンウェルさんって、結構謎多いじゃないですか」
フォローするように、ダイスが口をはさむ。
「でも俺達の中では、あん人は、割と知られてる方じゃないの? ほら、コモドん時の雑誌とか調べりゃ、家族構成とか判るしさー」
テディベァルはオーダーしなおしたミックスジュースをきゅっ、と手放しで吸い込む。
「まあそこまで調べようって奴もウチの中にはいねーけどさあ」
「それはまあそうだが。でも逆に、君より知られていないことが多いのではないかな? マーティ」
そこで俺に振るかい、とマーティは苦笑する。だが確かにそう言えばそうかもしれない、と彼は思う。
「まあ確かにマーティの場合は、特別ですがね」
ミュリエルもまた、オーダーし直した紅茶をすする。
「しかしここの紅茶はまずいですねえ。アルクの水が恋しいですよ」
「そんなに違いがあるんですか?」
ダイスは自分もオーダーしなおしたコーヒーをじっと見つめる。
「コーヒーより紅茶の方が違いは露骨ですからねえ…… マーティは好き嫌い無いですねえ。何でも美味しそうに食べたり呑んだりしますけど」
「まあ俺はな。食えるものは何でも美味しく、だからさ」
「あ、それは俺も同感だよー」
テディベァルは片手を挙げた。そうかもしれない、とマーティは思う。
テディベァルの出身惑星は、生活水準がそう高くない。働いても働いてもそうそう裕福に暮らすことはできないから、出稼ぎに出ることが多いのだ、と聞いている。
マーティの場合は、また事情が別ではあったが。
「食い物がちゃんとある生活ってのは、いいことだよ」
「そうそう」
うんうん、とテディベァルはうなづく。
「だから偏食は駄目なんだぞ~ ダイス~」
「だからそこでどーして俺に振るんですかっ!」
「そこで、だ」
話の流れを無視して、「先生」はひょい、とポケットからイアホンを取り出した。
「先ほどの続きと行きましょうか」
「って…… 先生、もしかしてあんた」
マーティは「それ」を指さして絶句する。彼はそれには見覚えがあった。つい数年前まで、彼が「仕事」もしくは「活動」で何かと使っていた類の。
「そ、ちょっとさっきストンウェルが立った隙に、片割れを彼のポケットに入れさせてもらったんだけど」
聞きますか? とミュリエルは片方マーティに渡した。俺達は~? とねだる二人はにっこりと拒絶して。
「あとでね」
ぷー、と二人は膨れた。その顔から、先刻のチューイングガムのことを思い出したらしく、再びその議論に入っていった。
どうしてそんなものをこの「先生」が持っているのか疑問に思いつつも、イアホンの片方をマーティは耳に差し込む。
*
「別人だよ」
ノブルはさらっ、と言う。
「どうしてもそう言い切るのか?」
「昔はともかく今は今だ。それ以上のことを言われても、俺だってあのひとだって困るだろ」
ふん、とジャスティスは二本目の葉巻をぐい、と灰皿に押しつけ、立て続けに三本目に火をつけた。
「プリンス・チャーミングはDDの愛好していた煙草だったよな」
「そうだっけ」
「ファンだったろ」
「そりゃあね」
「だからお前は、コモドに入った。兄貴が六年前に蹴ったコモドに、だ」
「……」
そう言えば、そうだったかもしれない。ノブルは思い返す。
「兄貴はまだ当時、俺等二人がシニア・ハイに行ってたこともあったし、お袋一人の稼ぎじゃあ暮らしていけない、ってことで、いつどうなるか判らないプロのベースボール選手になるより、企業に入ることを選んだんじゃないか」
「兄貴は偉いひとだからな」
全くだ、とジャスティスは低い声でうなづく。
「一番怖いひとでもあるがな」
「全く」
同意してから、ああ違う! とジャスティスは片手をさっと払う。
「何でお前と話すと、どんどん脱線するんだ。そうでなくてなあ」
「だから、オマエが言いたいのは、こういうことだろ? ウチのマーティが、その昔俺が大好きだったDDにそっくりだって」
「そっくりどころか、……あれは同じじゃねえか」
「さあ」
ノブルは両手を広げる。
「まあそう言いたいんならいいがな。俺も昔会ってるんだ、ってこと、忘れるなよ」
「あれ、そんなこと、あったけ」
ノブルは記憶をひっくり返すように首をかしげた。
「ある。一度だったがな」
「いつだったっけ」
「忘れたのか?」
*
忘れてる。
当の本人は、神妙な顔で、向こう側の会話を耳にしていた。「先生」もまた、同じ会話を聞いていた。
「そういうことが、あったんですか? マーティ」
「さあ俺には……」
実際、思い出せない。
記憶障害。そう言ってしまえばひとことで終わるのだが、このサンライズの中継ぎエースの男は、それを抱えていた。
無論普通の生活には全く困らない。ただ、パーソナルな自分の記憶に関してだけ、思い出す道筋がなかなか復活しないのだ、という。
「ストンウェルと同じチームに居たあたりはまあ、それなりに思い出せるんだけどな。それ以前のこととなると、だいたいそれこそ思い出すための資料が足りないんだよ」
「そういうものですか?」
「そういうもんじゃないかい? 先生。どんなものでも、思い出すためのきっかけってのがあるだろ? 結構ああいう過去の写真やら雑誌記事やら、試合のヴィジョンなんかはそれなりになあ」
それでも、あまり思い出したくないこともあるけれど。
「私なんかから見れば、DD時代のあなたはそれはそれで、面白いんですがねえ」
マーティはそれには目をつぶって、答えなかった。
元ナンバー1リーグの「コモドドラゴンズ」のエース、花形選手の「DD」。それがかつての自分だったらしい。
それが、遠征にたまたま来たレーゲンボーゲン星系の争乱の中、間違えられて政治犯として捕らえられてしまい、アルクの連星であるライ「冬の惑星」に数年間、送られていたのだ、と。
そのいきさつに関しては、どうやら自分の中で「つながって」いる。
だがそれ以上は、まだ半分以上他人事だった。
マーティ・ラビイという名は、流刑時代の仲間がつけた「マーチ・ラビット」=三月ウサギというあだ名のもじりだった。
「俺は、今の自分が一番好きだよ」
彼はつぶやく。
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