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第4話 サボンにとっての十年
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二十代も半ばになるサボンに対して、リョセンは既に三十を超えていた。兄と同年代なのだから仕方がない。
結婚を申し込まれたことが無い訳ではない。そして自分も彼のことがとても大事だった。だがいつも、答えは同じだった。
「皇后陛下に私はついていたい。あの方は私で、私はあの方だから」
すると彼は彼で、こういう言い方でそれを受け止めてきた。
「いつかあなたがあの方から離れる時に、俺はあなたをもらってもいいか」
そんな時が来るのだろうか、とサボンは言葉を濁してきた。
何故なら皇后アリカと女官サボンでは、何かしら大きな出来事が無い限りは、確実にサボンの方が先に死ぬのだ。
現在でも皇后アリカは十年前と同じ少女の姿をしている。似た様な体つきだったはずなのに、今ではまるで違う。自分はすっかり大人の女になってしまった。
それ故に、彼と身体の関係はいつしか持つ様になっていた。アリカもそれを知って奨励していた。
「彼と結婚して、貴女が宮中に部屋を構えてそこに彼が通う様にすればいいのではないですか?」
相変わらずサボンに対してはアリカの口調は何処か敬語が混じる。
「さすがにそれは彼の外聞もあります」
サボンの方は、すっかり女官としてアリカの下である言葉づかいが身についてしまった。
三年くらいは時々同等な言葉が出ていた。
だが、自分の身体がどんどん大人になっていくに連れ、アリカと自分が違うものだと本当の意味で理解した時、サボンはもう駄目だ、と心から感じた。もしアリカがそう望んだとしても、自分は彼女をもう皇后陛下としか見られないことに気付いたのだ。
そしてだからこそ、アリカは「ずっと一緒に居て欲しい」と自分に願った。
皇后はただ「最も高位の女性」というだけでなく、「人ではない」ものになってしまったということなのだ。
アリカは自分自身が変わってしまった時、既にそれを知っていた。だからそれを願ったのだと。数年してようやくサボンは実感したのだ。
「私は今のままで充分です」
「それならいいですが」
同じ心配は元兄であるウリュンもしていた。
ただしそれはリョセンを通してのものだったが。リョセンに対しての縁談もそれなりにあったのだ。彼は彼で、サヘ将軍のもと、順当に出世しつつあったのだから。
草原出身の強い兵士は娘しか持たない貴族にとって、良い婿候補となる。元々武将を出してきた家だったら殊更に。
だがこの男は決して承諾せず、ひたすらに実の妹だけに思いを貫いている。正体を明かせない兄としては、いい奴だ、としみじみ思うしかない。
「お前等は頑固なところが良く似てるよ。ある意味似合いなんだな」
「かもしれない」
そして時々昼なり夜なり、ある程度の時間を過ごしては、決して一緒に住むこともない。
「せめて子供でも」
と、次席の側近であるフヨウも勧めてはくる。
「それはあっても悪くはないと思うのだけど、授かり物だし」
そう、子供はあっても悪くない、とサボンは思うのだ。
ただ自分には何故かできない。それだけの話だった。
できてもいいと思っている。
その時にはやはり自分は自分で乳母を雇い、仕事の傍ら育てるもよし、現在実家を仕切っているシャンポンが欲しいと言ったらそれもよし、と思っていた。
実家――― サヘ家は現在、シャンポンが仕切っていた。
先にサボンを心配した兄のウリュンは現在は既にこの世に居なかった。
三年前、南西の砂漠に住む民の定期的な近隣集落の襲撃に対し救援要請に出動した際、流れ矢に当たった。毒矢だったことから、傷は治らず、結果として彼は翌年亡くなった。
結婚はしていたのだが、子供が生まれなかったので、夫人は実家に戻った。
元々弱かったマヌェを亡くしてから数年、ただ散文を書き散らすばかりの日々を送っていたシャンポンも、さすがに自分がしなくてはならない様だ、と立ち上がった。
そしてそのついでの様に、彼女は彼女でウリュンの友であったサハヤを婿として迎えたのだった。
元々彼はシャンポンと本の話ができる人間だった。きょうだいの多い彼は、家は弟に任せたということだった。
将軍としても、この息子の友人は良い部下であったことから、良縁だと思った様である。
昨年あった結婚式には副帝都一の商家となったトモレコル家から盛大に祝いの品が贈られた。
既に三人の男の子持ちとなっていたマドリョンカは更にもう一人を妊娠中の姿をたっぷりの透かし編みの衣装で覆っていた。
サボンはウリュンが亡くなった時には「使い」としてさすがに実家で泣くことができた。残された夫人が何処かアリカと似た雰囲気を持っていたのが印象的だった。
それだけに、将軍は時々内密にサボンに対してリョセンとの結婚を勧めてくる。最愛の娘がずっと独り身で宮中に居ながら男と会う生活をすることが、彼には少々理解しがたかった様だった。
それだけではない。将軍としてはサハヤも悪くはなかったが、リョセンが婿になったら良かった、と考えていた節もある。それこそサボンとの間に何もなければシャンポンとの間に勧めていたかもしれない。―――無論お互いの好み的には無理ではあったが。
何はともあれ、サボンは周囲があれこれ変わる程には自分自身は歳を重ねる以外大して変わっていない、と感じていた。
それが良いのかどうか判らない。
ただ後悔はしていない彼女である。
結婚を申し込まれたことが無い訳ではない。そして自分も彼のことがとても大事だった。だがいつも、答えは同じだった。
「皇后陛下に私はついていたい。あの方は私で、私はあの方だから」
すると彼は彼で、こういう言い方でそれを受け止めてきた。
「いつかあなたがあの方から離れる時に、俺はあなたをもらってもいいか」
そんな時が来るのだろうか、とサボンは言葉を濁してきた。
何故なら皇后アリカと女官サボンでは、何かしら大きな出来事が無い限りは、確実にサボンの方が先に死ぬのだ。
現在でも皇后アリカは十年前と同じ少女の姿をしている。似た様な体つきだったはずなのに、今ではまるで違う。自分はすっかり大人の女になってしまった。
それ故に、彼と身体の関係はいつしか持つ様になっていた。アリカもそれを知って奨励していた。
「彼と結婚して、貴女が宮中に部屋を構えてそこに彼が通う様にすればいいのではないですか?」
相変わらずサボンに対してはアリカの口調は何処か敬語が混じる。
「さすがにそれは彼の外聞もあります」
サボンの方は、すっかり女官としてアリカの下である言葉づかいが身についてしまった。
三年くらいは時々同等な言葉が出ていた。
だが、自分の身体がどんどん大人になっていくに連れ、アリカと自分が違うものだと本当の意味で理解した時、サボンはもう駄目だ、と心から感じた。もしアリカがそう望んだとしても、自分は彼女をもう皇后陛下としか見られないことに気付いたのだ。
そしてだからこそ、アリカは「ずっと一緒に居て欲しい」と自分に願った。
皇后はただ「最も高位の女性」というだけでなく、「人ではない」ものになってしまったということなのだ。
アリカは自分自身が変わってしまった時、既にそれを知っていた。だからそれを願ったのだと。数年してようやくサボンは実感したのだ。
「私は今のままで充分です」
「それならいいですが」
同じ心配は元兄であるウリュンもしていた。
ただしそれはリョセンを通してのものだったが。リョセンに対しての縁談もそれなりにあったのだ。彼は彼で、サヘ将軍のもと、順当に出世しつつあったのだから。
草原出身の強い兵士は娘しか持たない貴族にとって、良い婿候補となる。元々武将を出してきた家だったら殊更に。
だがこの男は決して承諾せず、ひたすらに実の妹だけに思いを貫いている。正体を明かせない兄としては、いい奴だ、としみじみ思うしかない。
「お前等は頑固なところが良く似てるよ。ある意味似合いなんだな」
「かもしれない」
そして時々昼なり夜なり、ある程度の時間を過ごしては、決して一緒に住むこともない。
「せめて子供でも」
と、次席の側近であるフヨウも勧めてはくる。
「それはあっても悪くはないと思うのだけど、授かり物だし」
そう、子供はあっても悪くない、とサボンは思うのだ。
ただ自分には何故かできない。それだけの話だった。
できてもいいと思っている。
その時にはやはり自分は自分で乳母を雇い、仕事の傍ら育てるもよし、現在実家を仕切っているシャンポンが欲しいと言ったらそれもよし、と思っていた。
実家――― サヘ家は現在、シャンポンが仕切っていた。
先にサボンを心配した兄のウリュンは現在は既にこの世に居なかった。
三年前、南西の砂漠に住む民の定期的な近隣集落の襲撃に対し救援要請に出動した際、流れ矢に当たった。毒矢だったことから、傷は治らず、結果として彼は翌年亡くなった。
結婚はしていたのだが、子供が生まれなかったので、夫人は実家に戻った。
元々弱かったマヌェを亡くしてから数年、ただ散文を書き散らすばかりの日々を送っていたシャンポンも、さすがに自分がしなくてはならない様だ、と立ち上がった。
そしてそのついでの様に、彼女は彼女でウリュンの友であったサハヤを婿として迎えたのだった。
元々彼はシャンポンと本の話ができる人間だった。きょうだいの多い彼は、家は弟に任せたということだった。
将軍としても、この息子の友人は良い部下であったことから、良縁だと思った様である。
昨年あった結婚式には副帝都一の商家となったトモレコル家から盛大に祝いの品が贈られた。
既に三人の男の子持ちとなっていたマドリョンカは更にもう一人を妊娠中の姿をたっぷりの透かし編みの衣装で覆っていた。
サボンはウリュンが亡くなった時には「使い」としてさすがに実家で泣くことができた。残された夫人が何処かアリカと似た雰囲気を持っていたのが印象的だった。
それだけに、将軍は時々内密にサボンに対してリョセンとの結婚を勧めてくる。最愛の娘がずっと独り身で宮中に居ながら男と会う生活をすることが、彼には少々理解しがたかった様だった。
それだけではない。将軍としてはサハヤも悪くはなかったが、リョセンが婿になったら良かった、と考えていた節もある。それこそサボンとの間に何もなければシャンポンとの間に勧めていたかもしれない。―――無論お互いの好み的には無理ではあったが。
何はともあれ、サボンは周囲があれこれ変わる程には自分自身は歳を重ねる以外大して変わっていない、と感じていた。
それが良いのかどうか判らない。
ただ後悔はしていない彼女である。
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