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第36話 変わっていく生活とか
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「あなたは陛下をどう思います?」
アリカはサボンに問い掛けた。
「どうって」
卓にお茶の用意をしながらサボンは首を傾げた。
「どう思うもこう思うも、陛下は陛下でしょう?」
「そう…… ですね」
ふわ、とアリカは視線を窓に泳がせた。珍しい、とサボンは思った。
「だいたい私は滅多にお会いできません。どうもこうもないでしょう」
とぽとぽ、とお茶を注ぐ。
「あ、もっとゆっくり」
アリカは手をかざす。あ、とサボンは注ぐ手を緩める。
「茶の色を確認しながら注いでください。特に白器の場合」
「青器の場合は?」
「まず黒茶だから色はそう関係ないでしょう。けどその場合は、暖かいことが何よりも大切になりますから」
「茶器をきちんと温めておく。でしたね」
「そうです」
くす、と二人は笑みを交わす。
そんな風に未だ何かとアリカに指南を受けながらの女官生活を送っているサボンではあった。
忙しい。
本当に忙しい。
朝から晩まで一日、くるくるくるくる働き詰めである。
立ち働き、身体がこんなにくたくたになるなんて、思いもしなかった。寝台に入るが早いが、いつの間にか眠っていたなんて、女官になるまで考えたこともなかった。
忙しく―――そして楽しかった。
そしてそう考える自分が不思議で新鮮だった。
もっとも、仕える相手が「皇后アリカ」でなかったら楽しさは半分以下になっていたろう。ただのサボンに対して、こんなに丁寧にいちいち教えてくれる相手は誰も居ない。
彼女はサボンに対して、女官に必要と思われる手作業の類は事細かに教えてくれる。しかも決して横柄な態度に出ない。
無論他の女官の居る場所では、それなりに上下関係を区別した言葉を使う。
だが二人きりになった時、彼女達の言葉は昔に近付く。端から聞かれた時、幼なじみの会話として、不自然ではない程度の気安さをもって。
今のうちだろう、とこの一年でサボンも思う様になった。アリカが皇后に正式になり、自分が上級女官となってしまったからには。
皇后につく女官の数も増え、女官長からの指示も増える。自分の立ち位置についてもっと真剣に考えなくてはならない、とサボンは思いつつあった。
そしてこの日の祝いの宴。数日前から彼女もまた、準備に追われていた。
その最中、皇后はいきなり髪を切った。朝、サボンが目を離した隙だった。
女官長はため息をついた。
「そなたがついていながら……」
「申し訳ございません申し訳ございません……」
何度も何度も、サボンは頭を下げた。そこへアリカが口を挟んだ。
「叱らないで下さいな」
「いえこういうことはきちんとしておかねば」
「私が切りたかったんです。重かったから」
「皇后様」
女官長は顔を思い切りしかめた。
「別にサボンのためではなく、ただ私が切りたかった。それだけです。ですから、ぜひこの頭に似合う衣装や飾りを考えて下さいな」
にっこり、とアリカは笑った。ああ…… とサボンは内心嘆いた。
自分が宮中で様々なことを覚えるのと平行して、アリカは別のことを学んでいた様だった。
例えば表情。サヘ家で働く中では格別に動かすことのなかったそれを、アリカはこの一年でずいぶんと豊かにした。サボンは笑ったアリカが綺麗だと思った。驚いた。
そして彼も、こう言った。
「笑顔は誰をも綺麗にする」
「そうでしょうか」
「そうだ」
言葉少なな武人は、彼女にそう言った。
「けどリョセン様」
「何ですか」
「私、あなたの笑顔って見たことが無いのですか」
む、と「若様」の友人ツァイツリョアイリョセンは口元を歪めた。
「私に怒っているのではないのでしょう?」
「まさか」
「ではそのへの字に曲げた口をどうにかして下さいませ。怒っているのかと私は思ってしまいます」
「そ、そうか……」
珍しくセンは口ごもった。
「簡単なことではないですか? ほらこんな風に、口元をきゅっと」
すっ、とサボンは彼の顔に手を伸ばしていた。口元に手を当てようとして―――
「も、申し訳ありません」
引っ込めた。
「いや、いい」
彼はその手を掴んだ。
「お放し下さい」
「荒れているな」
「仕事をする者としては当然です。あなた様の手も」
「だが柔らかい」
サボンはどう答えていいのか困った。
彼女がツァイツリョアイリョセンと最初に会ったのは、アリカの懐妊が判った時だった。
当初、変な人だと思った。無愛想だし顔は怖いし言葉が短すぎる。
だが悪い人ではない、と思った。自分の疲れていることを一番先に気付いてくれたのは、彼だった。
彼はそれからすぐに、将軍の意を受け、「若様」共々北離宮の護衛に当たった。
その間、サボンの仕事は次第に増えつつあった。正式な女官になるための訓練もあった。
「女君の依頼により、そなたは特別待遇で上級女官の位を贈られることとなります。ですがそなたには決定的に宮中の知識が欠けてます」
詰め込み式の教育が始まった。
アリカに仕える時間、勉強の時間、休む間もなく、夜中になればばったりと眠ってしまう日々。
そんな中、彼は時々サボンの前に現れた。
「……何の御用でしょう」
問い掛けると、黙って紙包みを渡す。帝都でも名の知れた菓子屋の―――端包みだった。
アリカはサボンに問い掛けた。
「どうって」
卓にお茶の用意をしながらサボンは首を傾げた。
「どう思うもこう思うも、陛下は陛下でしょう?」
「そう…… ですね」
ふわ、とアリカは視線を窓に泳がせた。珍しい、とサボンは思った。
「だいたい私は滅多にお会いできません。どうもこうもないでしょう」
とぽとぽ、とお茶を注ぐ。
「あ、もっとゆっくり」
アリカは手をかざす。あ、とサボンは注ぐ手を緩める。
「茶の色を確認しながら注いでください。特に白器の場合」
「青器の場合は?」
「まず黒茶だから色はそう関係ないでしょう。けどその場合は、暖かいことが何よりも大切になりますから」
「茶器をきちんと温めておく。でしたね」
「そうです」
くす、と二人は笑みを交わす。
そんな風に未だ何かとアリカに指南を受けながらの女官生活を送っているサボンではあった。
忙しい。
本当に忙しい。
朝から晩まで一日、くるくるくるくる働き詰めである。
立ち働き、身体がこんなにくたくたになるなんて、思いもしなかった。寝台に入るが早いが、いつの間にか眠っていたなんて、女官になるまで考えたこともなかった。
忙しく―――そして楽しかった。
そしてそう考える自分が不思議で新鮮だった。
もっとも、仕える相手が「皇后アリカ」でなかったら楽しさは半分以下になっていたろう。ただのサボンに対して、こんなに丁寧にいちいち教えてくれる相手は誰も居ない。
彼女はサボンに対して、女官に必要と思われる手作業の類は事細かに教えてくれる。しかも決して横柄な態度に出ない。
無論他の女官の居る場所では、それなりに上下関係を区別した言葉を使う。
だが二人きりになった時、彼女達の言葉は昔に近付く。端から聞かれた時、幼なじみの会話として、不自然ではない程度の気安さをもって。
今のうちだろう、とこの一年でサボンも思う様になった。アリカが皇后に正式になり、自分が上級女官となってしまったからには。
皇后につく女官の数も増え、女官長からの指示も増える。自分の立ち位置についてもっと真剣に考えなくてはならない、とサボンは思いつつあった。
そしてこの日の祝いの宴。数日前から彼女もまた、準備に追われていた。
その最中、皇后はいきなり髪を切った。朝、サボンが目を離した隙だった。
女官長はため息をついた。
「そなたがついていながら……」
「申し訳ございません申し訳ございません……」
何度も何度も、サボンは頭を下げた。そこへアリカが口を挟んだ。
「叱らないで下さいな」
「いえこういうことはきちんとしておかねば」
「私が切りたかったんです。重かったから」
「皇后様」
女官長は顔を思い切りしかめた。
「別にサボンのためではなく、ただ私が切りたかった。それだけです。ですから、ぜひこの頭に似合う衣装や飾りを考えて下さいな」
にっこり、とアリカは笑った。ああ…… とサボンは内心嘆いた。
自分が宮中で様々なことを覚えるのと平行して、アリカは別のことを学んでいた様だった。
例えば表情。サヘ家で働く中では格別に動かすことのなかったそれを、アリカはこの一年でずいぶんと豊かにした。サボンは笑ったアリカが綺麗だと思った。驚いた。
そして彼も、こう言った。
「笑顔は誰をも綺麗にする」
「そうでしょうか」
「そうだ」
言葉少なな武人は、彼女にそう言った。
「けどリョセン様」
「何ですか」
「私、あなたの笑顔って見たことが無いのですか」
む、と「若様」の友人ツァイツリョアイリョセンは口元を歪めた。
「私に怒っているのではないのでしょう?」
「まさか」
「ではそのへの字に曲げた口をどうにかして下さいませ。怒っているのかと私は思ってしまいます」
「そ、そうか……」
珍しくセンは口ごもった。
「簡単なことではないですか? ほらこんな風に、口元をきゅっと」
すっ、とサボンは彼の顔に手を伸ばしていた。口元に手を当てようとして―――
「も、申し訳ありません」
引っ込めた。
「いや、いい」
彼はその手を掴んだ。
「お放し下さい」
「荒れているな」
「仕事をする者としては当然です。あなた様の手も」
「だが柔らかい」
サボンはどう答えていいのか困った。
彼女がツァイツリョアイリョセンと最初に会ったのは、アリカの懐妊が判った時だった。
当初、変な人だと思った。無愛想だし顔は怖いし言葉が短すぎる。
だが悪い人ではない、と思った。自分の疲れていることを一番先に気付いてくれたのは、彼だった。
彼はそれからすぐに、将軍の意を受け、「若様」共々北離宮の護衛に当たった。
その間、サボンの仕事は次第に増えつつあった。正式な女官になるための訓練もあった。
「女君の依頼により、そなたは特別待遇で上級女官の位を贈られることとなります。ですがそなたには決定的に宮中の知識が欠けてます」
詰め込み式の教育が始まった。
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そんな中、彼は時々サボンの前に現れた。
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問い掛けると、黙って紙包みを渡す。帝都でも名の知れた菓子屋の―――端包みだった。
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