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第32話 サヘ家の女達、驚愕する

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「あなた方は行かないんですの?」

 ミチャ夫人は正議殿の前で道を譲るサハヤとセンの二人に問い掛けた。 

「ええ。我々は任務としてここに居るだけですので」
「そうですか……」
「ミチャ様」

 義理の息子がそっちと口を挟んだ。

「何ですか若様」
「一つだけ申し上げます」

 夫人は首を傾げた。

「何があっても、驚いたりうろたえたり――― 顔や態度には出さないで下さい」

 は? 
 彼女は問い返そうとした。だがその時彼は既に、母の元へと向かっていた。
 謁見にも順番がある。彼等は「サヘ一家」として新しい皇后に謁見することとなるのだが、第一夫人マウジュシュカとその息子の方が、第三夫人のミチャとその娘達より先だった。
 マウジュシュカはミチャには一瞥も加えず、大きな体を揺らし、歩いて行く。
 順番としては早い方だった。既に家長である将軍は入口近くで待っていた。彼自身は息子と共に、新皇后である娘と度々会っている。今回の謁見は形式的なものに過ぎない。
 無言で将軍は家族を率いる。
 正議殿は普段は日々の政務が執り行われる場所である。宮城のほぼ中央に位置し、玉座がそこに置かれる。
 そして玉座の横はそれまで空席だった。
 普段はその場所に、高官から順に皇帝の近くに席を設け行う。
 作りそのものは簡素であるため、用途に応じて敷物や垂れ幕を変化させることでその場をあつらえて行く。
 もっともサヘ家の女達にとっては、そんなことはどうでも良かった。
 ミチャ夫人やセレは、宴の時になら宮城にも来たことがある。
 だがそれは今回同様、外で花を愛でながらするものである。正議殿に入ることは、普通の女には滅多に無いことである。
 入った瞬間、思わずシャンポンは天井を見上げてしまった。高い、と小さな声が洩れた。しっ、とミチャ夫人は娘をたしなめる。 
 マドリョンカは横目でちらちらと周囲に配属されている人々を伺う。女官の朱い制服が気になる。単純なのに、どうしてこうも同じ形のものがずらりと並ぶだけで、迫力があるのだろう、と思う。
 セレはただその場に恐縮していた。
 サヘ家の七人は、家長を筆頭に、皇帝の元に近付いて行く。その時点ではみな顔を伏せたまま、歩いている。

「このたびは誠におめでとうございます」

 将軍は玉座に向かい、声を大きく低く、張り上げた。

「面を上げよ」

 皇帝の声が彼等の耳に届く。
 女達もそれに応じて、ゆっくりと顔を上げ―――

「……?」

 すぐには、誰も判らなかった。
 特に、マウジュシュカ夫人は背後の女達の表情の変化には興味も無かった。
 だが。

「……姉様」

 マドリョンカは唇の先でつぶやいた。

「……あれは、誰……?」

 妹のつぶやきを耳にしたシャンポンは、目を広げる。誰って。自分達の前に居るのは。
 いや。
 皇帝の隣に陣取っている女は。

「そなた達はこれからも、家族の一員として、何かと皇后の力になる様に」
「は」

 将軍は短く言うと、深く礼をした。女達もそれに従った。

「何かそなた達から皇后に言うことは無いか」
「よろしいでしょうか」

 マドリョンカが声を張り上げた。

「マドリョンカ!」

 母夫人が止めようとしたが、遅かった。

「何だ」
「おそれながら皇后様におかれましては、とても斬新な髪型……」

 マドリョンカは微妙な口調で問い掛ける。

「私の髪ですか」

 返答。その声。
 シャンポンはこの声に聞き覚えがある。

「似合わないですか」
「いいえとてもお似合いです」

 目の前の皇后は、焦げ茶色の髪を全体的に耳の下で切り揃え、左右一房だけ、細い飾り紐や玉を美しく巻いていた。
 女性は長い髪であることが美しさの条件である様な、このあたりでは非常に珍しい―――いや、奇異にも感じる髪型である。

「ではよろしいではないですか」

 皇后はふっと笑う。マドリョンカの口元が引き締まる。

「長いも短いも、その人に合う合わないによります。一度こうしてみたかったのです。似合うならこのまま続けましょう」

 さらり、と言葉が流れて行く。マドリョンカは唇を噛んだ。

「それでは我々はこれにて」

 将軍は娘の言動に特に注意を加えるでもなく、退場を口にした。その間ずっと、ミチャ夫人とセレの胸は音が聞こえる程に高鳴っていた。
 シャンポンは何も言わず、女官達の顔ぶれを横目で追っていた。
 居た。
 玉座に座る、彼女が知っている少女を認めた時、シャンポンは先程の朱い服が誰なのか気付いた。目は映していたのに、頭が認めなていなかった。

「父上」

 シャンポンは正議殿から出てから問い掛けようとした。
 だがそれを、兄の手が止めた。

「あとで、皆に話がある」

 父将軍はそのまま、職務だと言って家族の元を離れて行った。
 ざく、と足元の砂利が音を立てた。マドリョンカが踵で強く踏みしめた音だった。
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