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第24話 皇帝の出とやっかいな自由
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窓から、皇帝そのひとが入ろうとしていた。
「ああいい、いい。そのままで」
慌てて皿を持ち直し、頭を下げようとするサボンを、皇帝は手で制した。
「忍びでな」
「は、はい」
「ダウジバルダ・サヘ将軍が来る前に、そなたの主人と話をしておきたくてな」
「は、はい」
「主人、でいいのだな」
「あ、はい、勿論」
そうだ、自分達の入れ替わりは知れているのだ。サボンは思い出した。
「そなたはそれを置いて、少々席を外していてくれ」
判りました、とサボンは言われるままに果物を卓の上に置くと、部屋から出た。そしてまた洗い場へ戻る。
「おやサボンさん、手が空いたなら、頼むよ、そこの豆を剥いてくれないかい?」
「はい、どうやって……」
*
「せっかくの水菓子が来たことだ。空腹だろう。食べるがいい」
皇帝は足音一つ立てずに窓から降りると、寝台脇に立ち、卓を寄せた。
「では失礼して」
アリカは卓の上の鮮やかな色の一つに手を伸ばす。何とかつぶさずに、爪を立て、ざばざばと皮を剥き、ひょいひょいと口に放り込む。
「相変わらず物怖じという言葉を知らぬ女だな」
「捨てて惜しいものもございませんので」
「それにしても、見事な食いっぷりだな」
「育ちが育ちでありますので」
「ではこれからは化けるがいい」
アリカは手を止める。
「陛下、私は」
「居るのだろう? そこに、私の世継ぎが」
皇帝はアリカの下腹を指さした。アリカは大きくうなづいた。
「はい」
「判るのだな?」
「はい」
皇帝は寝台に腰を下ろした。
「それで、正気を保っているとはな。大したものだ。その昔、俺はしばらく混乱したぞ。ただの田舎の宿屋の小倅だった俺はな」
その話は聞いたことがある、とサボンは思った。
今上の皇帝は、先代帝が「桜」の戦乱の時に自ら乗り込んだ先で儲けられた方だ、と。
ところが戦場で行方不明になり、それまでずっと、旧藩国「桜」、現帝都直轄地である桜州の州境付近の宿屋で義理の母親に育てられたのだ、と。
「だから、出や育ちなぞ大した問題ではない。皇帝の器足り得る身体であるかどうか、の方が大事だ。サヘはよく判っている」
「将軍様はあのことを判っておられると?」
「いや」
皇帝は首を横に振った。
「知っているのは俺とそなたと、あと二人だけだ」
「お二人」
「母上。それに、祖后様」
アリカはそれを聞き、ふっと天井を見上げた。その様子を見て、寝台に腰を下ろした。
「そなたは何処まで理解できた? この十日足らずで」
「理解まではまだ」
「しかし受け入れることはできたのだろう? なだれ込んでくるあれを」
アリカはうなづいた。
「正直、実のところ俺は未だに理解ができん。四十年経って、この様だ」
両手を組んで、皇帝はにやりと笑った。アリカは目を伏せた。
「全て、にわかには信じがたいことばかりでございます」
「だろうな」
「ただ信じがたいこととは言っても、自分の中からあれほど一連の、系統だった妄想が生まれて来るとは考えにくいですから、陛下を通した、外部からの情報として、それはそれと受け止めております。理解するには時間が必要です。ただ」
「ただ?」
「身体の調整が――― 力の具合がまだ上手くはできません」
言いながらアリカは両手を閉じたり開いたりする。
「ふむ。どうなった?」
失礼します、と言ってアリカは皿を運んだ盆を親指と人差し指で摘んだ。
ぴし。
音がした次の瞬間、盆は半分に折れていた。
「この程度には」
「なるほど」
皇帝はうなづいた。
「先程も杯を持とうとして失敗しました」
「なるほどそれで蜜柑か。皮のせいですぐにはつぶれまい。むくのも細かい作業ではないな。だが実はそなた、林檎を丸かじりしたいのではないか?」
「ええ」
サボンは微かに笑った。
「構いませんでしょうか」
「構わないさ。俺も一つもらおう」
そう言うと、皇帝は林檎を二つ取り、一つをアリカに渡し、もう一つに歯を当てた。しゃり、と音がする。
「近いうちに、正式に皇后の地位が与えられるだろう」
アリカはそっと林檎を持つと、黙ってかじった。
「これはそいつを守るための力だ」
皇帝はアリカの腹を指す。彼女はしゃり、と黙って林檎をかじる。
「だが生まれてからその力を、そなたに与えられた情報を使うも使わないも、そなたの自由」
しゃり。
「俺はそれには関与しない。よほどのことが無い限り、そなたはこの帝国で最も強い権力を持つことができるだろう」
「それは」
アリカは言葉に詰まった。
「と、やれやれ、そなたの『親父』が到着したようだ。今俺が居たことは、将軍に告げたければそうすればいい。そなたの自由だ」
「自由」
「そう、自由」
言いながら皇帝は窓辺へと飛び上がる。
「一番厄介な、代物だ」
「ああいい、いい。そのままで」
慌てて皿を持ち直し、頭を下げようとするサボンを、皇帝は手で制した。
「忍びでな」
「は、はい」
「ダウジバルダ・サヘ将軍が来る前に、そなたの主人と話をしておきたくてな」
「は、はい」
「主人、でいいのだな」
「あ、はい、勿論」
そうだ、自分達の入れ替わりは知れているのだ。サボンは思い出した。
「そなたはそれを置いて、少々席を外していてくれ」
判りました、とサボンは言われるままに果物を卓の上に置くと、部屋から出た。そしてまた洗い場へ戻る。
「おやサボンさん、手が空いたなら、頼むよ、そこの豆を剥いてくれないかい?」
「はい、どうやって……」
*
「せっかくの水菓子が来たことだ。空腹だろう。食べるがいい」
皇帝は足音一つ立てずに窓から降りると、寝台脇に立ち、卓を寄せた。
「では失礼して」
アリカは卓の上の鮮やかな色の一つに手を伸ばす。何とかつぶさずに、爪を立て、ざばざばと皮を剥き、ひょいひょいと口に放り込む。
「相変わらず物怖じという言葉を知らぬ女だな」
「捨てて惜しいものもございませんので」
「それにしても、見事な食いっぷりだな」
「育ちが育ちでありますので」
「ではこれからは化けるがいい」
アリカは手を止める。
「陛下、私は」
「居るのだろう? そこに、私の世継ぎが」
皇帝はアリカの下腹を指さした。アリカは大きくうなづいた。
「はい」
「判るのだな?」
「はい」
皇帝は寝台に腰を下ろした。
「それで、正気を保っているとはな。大したものだ。その昔、俺はしばらく混乱したぞ。ただの田舎の宿屋の小倅だった俺はな」
その話は聞いたことがある、とサボンは思った。
今上の皇帝は、先代帝が「桜」の戦乱の時に自ら乗り込んだ先で儲けられた方だ、と。
ところが戦場で行方不明になり、それまでずっと、旧藩国「桜」、現帝都直轄地である桜州の州境付近の宿屋で義理の母親に育てられたのだ、と。
「だから、出や育ちなぞ大した問題ではない。皇帝の器足り得る身体であるかどうか、の方が大事だ。サヘはよく判っている」
「将軍様はあのことを判っておられると?」
「いや」
皇帝は首を横に振った。
「知っているのは俺とそなたと、あと二人だけだ」
「お二人」
「母上。それに、祖后様」
アリカはそれを聞き、ふっと天井を見上げた。その様子を見て、寝台に腰を下ろした。
「そなたは何処まで理解できた? この十日足らずで」
「理解まではまだ」
「しかし受け入れることはできたのだろう? なだれ込んでくるあれを」
アリカはうなづいた。
「正直、実のところ俺は未だに理解ができん。四十年経って、この様だ」
両手を組んで、皇帝はにやりと笑った。アリカは目を伏せた。
「全て、にわかには信じがたいことばかりでございます」
「だろうな」
「ただ信じがたいこととは言っても、自分の中からあれほど一連の、系統だった妄想が生まれて来るとは考えにくいですから、陛下を通した、外部からの情報として、それはそれと受け止めております。理解するには時間が必要です。ただ」
「ただ?」
「身体の調整が――― 力の具合がまだ上手くはできません」
言いながらアリカは両手を閉じたり開いたりする。
「ふむ。どうなった?」
失礼します、と言ってアリカは皿を運んだ盆を親指と人差し指で摘んだ。
ぴし。
音がした次の瞬間、盆は半分に折れていた。
「この程度には」
「なるほど」
皇帝はうなづいた。
「先程も杯を持とうとして失敗しました」
「なるほどそれで蜜柑か。皮のせいですぐにはつぶれまい。むくのも細かい作業ではないな。だが実はそなた、林檎を丸かじりしたいのではないか?」
「ええ」
サボンは微かに笑った。
「構いませんでしょうか」
「構わないさ。俺も一つもらおう」
そう言うと、皇帝は林檎を二つ取り、一つをアリカに渡し、もう一つに歯を当てた。しゃり、と音がする。
「近いうちに、正式に皇后の地位が与えられるだろう」
アリカはそっと林檎を持つと、黙ってかじった。
「これはそいつを守るための力だ」
皇帝はアリカの腹を指す。彼女はしゃり、と黙って林檎をかじる。
「だが生まれてからその力を、そなたに与えられた情報を使うも使わないも、そなたの自由」
しゃり。
「俺はそれには関与しない。よほどのことが無い限り、そなたはこの帝国で最も強い権力を持つことができるだろう」
「それは」
アリカは言葉に詰まった。
「と、やれやれ、そなたの『親父』が到着したようだ。今俺が居たことは、将軍に告げたければそうすればいい。そなたの自由だ」
「自由」
「そう、自由」
言いながら皇帝は窓辺へと飛び上がる。
「一番厄介な、代物だ」
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