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第23話 サボンの雑務修行
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「何だと?」
皇帝が内侍長からその知らせを受け取ったのは、明け方頃だった。
「それは確かか?」
「確かと申しますか……」
内侍長は言葉を濁した。
「侍医長のホルバ・ケドによりますと、女君自身がそう口にしたとの……」
「ふぅん」
皇帝は顎を一撫ですると、大きくあくびをした。寝台から飛び降りると、寝台に掛けたままの上着と下履きを身につける。
「ちょっと出てくるぞ」
「へ、陛下、女君の方は―――」
慌てて内侍長は声を掛ける。
「その女の方へちょっとお散歩してくるのさ」
「それなら我々も」
「一人で良い。それと」
は、と内侍長は顔を上げた。
「サヘ将軍宅へ使いを出せ。すぐに北離宮に来る様にと」
「は」
内侍長は頭を下げる。
再び上げた時には、皇帝の姿は何処にも無かった。
ふう、と内侍長ケレンフトはため息をついた。
*
北離宮の厨房は明け方から大忙しだった。
「まだ糧庫の方も開いていないというのにさ。ろくなに材料もありゃしない。ああそっちの鍋の煮込みの方が先だよ」
タボーは近くを歩いていた雑人女を捕まえると、者も言わせず食事の用意を手伝わせた。
「タボーさぁん…… 私厨房雑人じゃあないんですが~うちの仕事もあるんですが~」
「うるさいね、後で私が縫製方に言ってやるよ。とにかくこの時間じゃああんたしか見つからなかったから仕方ないだろう、エモイ?」
「そーですが~」
「ともかく、今! 早く食事の用意をしなきゃならないんだ。しかもたくさん!」
「たくさんですかあ~はあ~」
はあ、と気の抜けた様な返事をしつつも、エモイは腕まくりをし、煮込み料理を始めた。
言われた通りの野菜を切り、肉を取り出しぶつ切りにする。手際は良い。
「焼き物はすぐできる。サボンさんあんたはとりあえず水菓子《くだもの》を持って行っておくれよ」
手が足りない、ということでサボンもまた、かり出されていた。
もっとも彼女が厨房でろくな作業もできない、ということはタボーもこの十日程のうちでよく判っていた。だから彼女には簡単なことだけを指示する。
サボンもまた、言われたことをともかく忠実にやろう、とそれだけで今は頭が一杯になっていた。
厨房の菜庫に置かれた果物の中から、皮をむきやすいものをざっと選び、ざるに移す。外の水場でそれを綺麗に洗い、それから皿に盛りつけて女君には渡す、と。
それでも。
「ああああ」
ざるに移す際にころころと幾つか大きめの蜜柑が転がる。
何してるんだ、とタボーも言いたい気にかられるが、あえて言わない。彼女にとってはまず目の前で仕上がりつつある焼き物が先だ。
「けど本当に大丈夫なんですかあ?」
エモイが首を傾げる。サボンよりも一つ二つ年下だが、手際は格段に良い。
「何が」
タボーは素っ気なく答える。
「だって女君は、起きられたばっかりなんでしょー? こんなに食べて大丈夫なんですかねえ」
「私もそれは思ったんだけどねえ」
焼き物をひっくり返しながら、タボーは口を歪める。
「侍医のセンセイも構わないと言ったからねえ。そもそもあのジイさんも首を傾げてたがねえ。とは言えあのジイさんがここの方々のお身体に悪いことは言わないだろ。女君に大丈夫と言うなら」
「なら?」
小動物の様な目で、エモイはタボーを見つめる。
「たぶん、大丈夫なんだろ」
「たぶんですかー?」
「うるさいね、煮込みはどうだいっ! 噴いてるじゃないかっ!!」
などとけたたましい会話を背に、水場でサボンは果物を洗う。水場は井戸の側に作られた洗い物のための作業場だ。
汲み上げた水を台の上に置いて、一つ一つを丁寧に洗う。ごしごし。だけど手加減は必要。ごしごし。最初に林檎を洗った時、洗いすぎて皮までむきかけて、タボーから呆れられた。
「食材はねえ、大切なものだから、丁寧に扱うんですよ。一つ一つが、食べられるために用意されてる。食べられないものにしてしまうことは食材に対しても、作ったひとに対しても、失礼だ」
だからその日の夕食は、自分の失敗した食材の処理だった。むきすぎた林檎が一つと、生焼けのパンが二つ。茶ではなく、水。それ以外口にできなかった。
無論後で空腹になった。なかなか眠れなかった。
家では、気分がすぐれなくて食事を取らないことはあったが、食事が満足に食べられなくて気分が悪くなったことは無かった。
「あんたが今までどういう暮らしをしてきたか私には判らないが、今のあんたはあの女君の世話をしなくちゃあならないんですよ」
タボーはサボンの手をじっと見て、そう言った。
身代わりとまでは思わなかっただろうが、厨房仕事も掃除もしたことの無い家の娘の手だということはすぐに見抜いただろう。
「できそうなことを言うよ。あんたがここに居るうちは。言われたことはやる。それだけだ」
タボーはそう言った。だからサボンはそれにうなづいた。
ごしごし。背後でエモイがさっさっ、とタボーに言われた作業をこなしている。胸が痛くなる。悔しい、と彼女は思った。唇を噛んだ。
「洗ったら持って行って下さいよ」
はぁい、とサボンはつとめて大きな声を出した。
「とりあえず水菓子を……」
そう言いながらサボンは寝室へと入ろうとし。
―――もう少しで皿を取り落としそうになった。
「へ、陛下……」
窓から、皇帝そのひとが入ろうとしていた。
皇帝が内侍長からその知らせを受け取ったのは、明け方頃だった。
「それは確かか?」
「確かと申しますか……」
内侍長は言葉を濁した。
「侍医長のホルバ・ケドによりますと、女君自身がそう口にしたとの……」
「ふぅん」
皇帝は顎を一撫ですると、大きくあくびをした。寝台から飛び降りると、寝台に掛けたままの上着と下履きを身につける。
「ちょっと出てくるぞ」
「へ、陛下、女君の方は―――」
慌てて内侍長は声を掛ける。
「その女の方へちょっとお散歩してくるのさ」
「それなら我々も」
「一人で良い。それと」
は、と内侍長は顔を上げた。
「サヘ将軍宅へ使いを出せ。すぐに北離宮に来る様にと」
「は」
内侍長は頭を下げる。
再び上げた時には、皇帝の姿は何処にも無かった。
ふう、と内侍長ケレンフトはため息をついた。
*
北離宮の厨房は明け方から大忙しだった。
「まだ糧庫の方も開いていないというのにさ。ろくなに材料もありゃしない。ああそっちの鍋の煮込みの方が先だよ」
タボーは近くを歩いていた雑人女を捕まえると、者も言わせず食事の用意を手伝わせた。
「タボーさぁん…… 私厨房雑人じゃあないんですが~うちの仕事もあるんですが~」
「うるさいね、後で私が縫製方に言ってやるよ。とにかくこの時間じゃああんたしか見つからなかったから仕方ないだろう、エモイ?」
「そーですが~」
「ともかく、今! 早く食事の用意をしなきゃならないんだ。しかもたくさん!」
「たくさんですかあ~はあ~」
はあ、と気の抜けた様な返事をしつつも、エモイは腕まくりをし、煮込み料理を始めた。
言われた通りの野菜を切り、肉を取り出しぶつ切りにする。手際は良い。
「焼き物はすぐできる。サボンさんあんたはとりあえず水菓子《くだもの》を持って行っておくれよ」
手が足りない、ということでサボンもまた、かり出されていた。
もっとも彼女が厨房でろくな作業もできない、ということはタボーもこの十日程のうちでよく判っていた。だから彼女には簡単なことだけを指示する。
サボンもまた、言われたことをともかく忠実にやろう、とそれだけで今は頭が一杯になっていた。
厨房の菜庫に置かれた果物の中から、皮をむきやすいものをざっと選び、ざるに移す。外の水場でそれを綺麗に洗い、それから皿に盛りつけて女君には渡す、と。
それでも。
「ああああ」
ざるに移す際にころころと幾つか大きめの蜜柑が転がる。
何してるんだ、とタボーも言いたい気にかられるが、あえて言わない。彼女にとってはまず目の前で仕上がりつつある焼き物が先だ。
「けど本当に大丈夫なんですかあ?」
エモイが首を傾げる。サボンよりも一つ二つ年下だが、手際は格段に良い。
「何が」
タボーは素っ気なく答える。
「だって女君は、起きられたばっかりなんでしょー? こんなに食べて大丈夫なんですかねえ」
「私もそれは思ったんだけどねえ」
焼き物をひっくり返しながら、タボーは口を歪める。
「侍医のセンセイも構わないと言ったからねえ。そもそもあのジイさんも首を傾げてたがねえ。とは言えあのジイさんがここの方々のお身体に悪いことは言わないだろ。女君に大丈夫と言うなら」
「なら?」
小動物の様な目で、エモイはタボーを見つめる。
「たぶん、大丈夫なんだろ」
「たぶんですかー?」
「うるさいね、煮込みはどうだいっ! 噴いてるじゃないかっ!!」
などとけたたましい会話を背に、水場でサボンは果物を洗う。水場は井戸の側に作られた洗い物のための作業場だ。
汲み上げた水を台の上に置いて、一つ一つを丁寧に洗う。ごしごし。だけど手加減は必要。ごしごし。最初に林檎を洗った時、洗いすぎて皮までむきかけて、タボーから呆れられた。
「食材はねえ、大切なものだから、丁寧に扱うんですよ。一つ一つが、食べられるために用意されてる。食べられないものにしてしまうことは食材に対しても、作ったひとに対しても、失礼だ」
だからその日の夕食は、自分の失敗した食材の処理だった。むきすぎた林檎が一つと、生焼けのパンが二つ。茶ではなく、水。それ以外口にできなかった。
無論後で空腹になった。なかなか眠れなかった。
家では、気分がすぐれなくて食事を取らないことはあったが、食事が満足に食べられなくて気分が悪くなったことは無かった。
「あんたが今までどういう暮らしをしてきたか私には判らないが、今のあんたはあの女君の世話をしなくちゃあならないんですよ」
タボーはサボンの手をじっと見て、そう言った。
身代わりとまでは思わなかっただろうが、厨房仕事も掃除もしたことの無い家の娘の手だということはすぐに見抜いただろう。
「できそうなことを言うよ。あんたがここに居るうちは。言われたことはやる。それだけだ」
タボーはそう言った。だからサボンはそれにうなづいた。
ごしごし。背後でエモイがさっさっ、とタボーに言われた作業をこなしている。胸が痛くなる。悔しい、と彼女は思った。唇を噛んだ。
「洗ったら持って行って下さいよ」
はぁい、とサボンはつとめて大きな声を出した。
「とりあえず水菓子を……」
そう言いながらサボンは寝室へと入ろうとし。
―――もう少しで皿を取り落としそうになった。
「へ、陛下……」
窓から、皇帝そのひとが入ろうとしていた。
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