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第16話 衣装と三公主のはなし
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「桜好みというのは、確か旧藩国『桜』の服を真似たものでしたよね」
「そう。よくご存知ね」
ふふ、とマドリョンカは笑った。
彼等の上着は基本的に、立てた襟と、左側で幾つかの紐やぼたんで留めるものである。
長さ、色、模様、材質、筒袖の有無や幅はその用途や立場によって異なる。
例えば今この時、武術の稽古を欠かさないシャンポンは筒袖の細い内着の上に、袖無しの短い上着、それにゆったりとした下履きをつけている。
セレの上着は腰の辺りまであり、袖は長く、広い。そして下は巻きスカート。年頃の女性の衣裳として、巻きスカートは欠かせないものである。
「桜好み」はその上着が異なっているのだ。
帝国版図の中央よりやや南東。
現在は政府直轄領となっている「桜州」はかつて藩国「桜」と言った。
温暖な気候、豊かな緑に恵まれたその国は、夏は高温で湿気が多く、冬は冷たい風が吹く青天が続き乾燥した。―――四季が存在したのだ。
人々は、移り変わる季節に応じられる服を作り上げていった。夏には風通しが良く、冬には体温を逃がさない様に。
現在の帝都付近に住む人々と、何よりも異なるのは胸元だった。
首の前でざっと合わせただけの襟には、きっちりと留めるためのぼたんも紐も無かった。長い上着を、腰の辺りで帯で留めただけだった。下履きもスカートも無かった。
単純なつくりだったと言ってもいい。
だがそれは彼等にとっての完成形だったとも言える。それ以上の形は必要が無かったのだ。
形の進化が止まれば、意識は自ずと生地に向かう。
「ずいぶんとでこぼことしている」
センはぽつりと言った。
「失礼な方! これは今一番人気の絞り染めですのよ!」
「む…… 昆虫の目の様だ」
うんうん、とセンは納得した様にうなづく。
「あーもうっ! おにーさまっ!! この方本当に失礼っ!」
マドリョンカはセンを指さして怒鳴る。ウリュンは頭を抱える。
「まあ言うな。だいたいお前、僕等にそれを言っても無駄だって判ってるだろうが」
「綺麗か綺麗じゃないかだけ言ってくれればいいのよっ! まぁったく、男ってのは無粋なんだから」
「そりゃあそうでしょう」
セレは口元に手を当て、くすくす、と笑う。
「殿方はそれで宜しいのですわ。一生懸命お仕事に取り組んでらっしゃるんですから」
「あーあ、うらやましい」
シャンポンはそう言いながら椅子にもたれた。
「私も本当、男だったら良かったのになあ。武芸も学問も、面白いけど何の役にも立たない!」
「だったら役に立つことをすればいいだろうが」
「兄上は私に姉上の様にひなが刺繍をしたり菓子作りをしろとでも?」
「できない訳ではないだろう」
ウリュンは眉を寄せる。
そう、確かこの妹は、決してそういう家庭的なことができない訳ではないのだ。
がさつな行動が「好き」だが、令嬢一般のたしなみは一応こなすことができる。―――好きでないだけで。
「シャンポンに言っても無駄ーっ、お兄様。せーっかくおかーさまがこのひとに似合う流行の服とか選んでも『動きにくい』のひとことでどれだけ箱詰めになってることか!」
ひらひら、とマドリョンカは手を振り、ふんっ、と胸を張る。
「女は美しく装うべきなのよっ」
「まあそれは否定しませんね」
ふふ、とサハヤは笑う。
「サハヤ様は話が判る方ね」
「いえまあ、何と言うか」
彼は苦笑する。
「それにしても、ミチャ様はアリカのことを心配されていたのか?」
「ええ」
セレはうなづく。
「そんな心配だったら、私を送り込んでくれれば良かったのにね」
「そういう訳にはいかないでしょう。でももしアリカ様がその、駄目、だったら、シャンポンかあなたが行くことになるでしょうね」
「私が行くわよ! そうしたら」
マドリョンカは姉のほうにぐい、と身を乗り出す。
「ねえそうでしょ? おにーさま。アリカ様も私も、同じ歳だもの。若くて元気よ」
「順番というものがある、マドリョンカ」
シャンポンはとん、と杯を置いた。
「判ってるわよ」
マドリョンカは口をとがらせる。客人二人の方をじっと見る。
「つまりねー、私達のおかーさまってのは、おにーさまの母上様よりも、アリカ様の母上様よりも、ずっとずっとずーっと、身分が低いの」
「む」
センは軽く眉を上げた。
「母御のことをそういうものではない」
「でも事実よ。だから年齢がどうあれ、私の気持ちがどうあれ、おとーさまはまずアリカを宮中に入れたんだわ! 私あれだけ私にして私にして、ってお願いしたのに!」
「お前…… そんなことしてたのか」
「だって宮中よ!」
マドリョンカはどん、と両の拳で卓を叩いた。
「皇后さまになんかなれなくてもいいの。宮中だったら、いっそ女官でもいいわ。ああでも駄目ね、女官だと制服になってしまうもの。おにーさまご存知? 桜の公主様」
「い、いや……」
「『最後の三公主』のお一方のことかな」
サハヤが口をはさむ。
「何だそれは」
「まあ何って言うか、女性の間で広まっている呼び名だよ」
「そうなのか?」
ええ、とウリュンの問いに妹達は一斉にうなづいた。
「現在降嫁先がお決まりになっていないのは、アマダルシュ様とイースリャイ様とイムファシリャ様のお三方だ」
「その中で、一番美しく、衣装選びに長けていると言われているのがアマダルシュ様。『桜好み』もあの方が言い出されたことだわ」
「そうなのか?」
ウリュンは友人に問い掛ける。そうらしい、とサハヤはうなづく。
「イースリャイ様とイムファシリャ様は同い歳。イースリャイ様は幼い頃地方暮らしで、自由に過ごされたせいか、帝都に入られてからも、時々ふらりと城下に行ってしまわれて周りが大変だと。自由に飛び回る『鳥の公主』と呼ばれてます」
セレが説明を引き継ぐ。
「イムファシリャ様は?」
四姉妹は顔を見合わせた。やがてマヌェがぽつりと口にした。
「『緑の公主』さま」
緑の。ウリュンの眉が寄った。
「一番末のかたなんですが、何と言うか、その」
「構わない、言ってくれ。どういう噂が立っているんだ?」
「わかんないの」
マヌェがぽつりと言う。
「あのかた、わからないひとなの」
「そう。よくご存知ね」
ふふ、とマドリョンカは笑った。
彼等の上着は基本的に、立てた襟と、左側で幾つかの紐やぼたんで留めるものである。
長さ、色、模様、材質、筒袖の有無や幅はその用途や立場によって異なる。
例えば今この時、武術の稽古を欠かさないシャンポンは筒袖の細い内着の上に、袖無しの短い上着、それにゆったりとした下履きをつけている。
セレの上着は腰の辺りまであり、袖は長く、広い。そして下は巻きスカート。年頃の女性の衣裳として、巻きスカートは欠かせないものである。
「桜好み」はその上着が異なっているのだ。
帝国版図の中央よりやや南東。
現在は政府直轄領となっている「桜州」はかつて藩国「桜」と言った。
温暖な気候、豊かな緑に恵まれたその国は、夏は高温で湿気が多く、冬は冷たい風が吹く青天が続き乾燥した。―――四季が存在したのだ。
人々は、移り変わる季節に応じられる服を作り上げていった。夏には風通しが良く、冬には体温を逃がさない様に。
現在の帝都付近に住む人々と、何よりも異なるのは胸元だった。
首の前でざっと合わせただけの襟には、きっちりと留めるためのぼたんも紐も無かった。長い上着を、腰の辺りで帯で留めただけだった。下履きもスカートも無かった。
単純なつくりだったと言ってもいい。
だがそれは彼等にとっての完成形だったとも言える。それ以上の形は必要が無かったのだ。
形の進化が止まれば、意識は自ずと生地に向かう。
「ずいぶんとでこぼことしている」
センはぽつりと言った。
「失礼な方! これは今一番人気の絞り染めですのよ!」
「む…… 昆虫の目の様だ」
うんうん、とセンは納得した様にうなづく。
「あーもうっ! おにーさまっ!! この方本当に失礼っ!」
マドリョンカはセンを指さして怒鳴る。ウリュンは頭を抱える。
「まあ言うな。だいたいお前、僕等にそれを言っても無駄だって判ってるだろうが」
「綺麗か綺麗じゃないかだけ言ってくれればいいのよっ! まぁったく、男ってのは無粋なんだから」
「そりゃあそうでしょう」
セレは口元に手を当て、くすくす、と笑う。
「殿方はそれで宜しいのですわ。一生懸命お仕事に取り組んでらっしゃるんですから」
「あーあ、うらやましい」
シャンポンはそう言いながら椅子にもたれた。
「私も本当、男だったら良かったのになあ。武芸も学問も、面白いけど何の役にも立たない!」
「だったら役に立つことをすればいいだろうが」
「兄上は私に姉上の様にひなが刺繍をしたり菓子作りをしろとでも?」
「できない訳ではないだろう」
ウリュンは眉を寄せる。
そう、確かこの妹は、決してそういう家庭的なことができない訳ではないのだ。
がさつな行動が「好き」だが、令嬢一般のたしなみは一応こなすことができる。―――好きでないだけで。
「シャンポンに言っても無駄ーっ、お兄様。せーっかくおかーさまがこのひとに似合う流行の服とか選んでも『動きにくい』のひとことでどれだけ箱詰めになってることか!」
ひらひら、とマドリョンカは手を振り、ふんっ、と胸を張る。
「女は美しく装うべきなのよっ」
「まあそれは否定しませんね」
ふふ、とサハヤは笑う。
「サハヤ様は話が判る方ね」
「いえまあ、何と言うか」
彼は苦笑する。
「それにしても、ミチャ様はアリカのことを心配されていたのか?」
「ええ」
セレはうなづく。
「そんな心配だったら、私を送り込んでくれれば良かったのにね」
「そういう訳にはいかないでしょう。でももしアリカ様がその、駄目、だったら、シャンポンかあなたが行くことになるでしょうね」
「私が行くわよ! そうしたら」
マドリョンカは姉のほうにぐい、と身を乗り出す。
「ねえそうでしょ? おにーさま。アリカ様も私も、同じ歳だもの。若くて元気よ」
「順番というものがある、マドリョンカ」
シャンポンはとん、と杯を置いた。
「判ってるわよ」
マドリョンカは口をとがらせる。客人二人の方をじっと見る。
「つまりねー、私達のおかーさまってのは、おにーさまの母上様よりも、アリカ様の母上様よりも、ずっとずっとずーっと、身分が低いの」
「む」
センは軽く眉を上げた。
「母御のことをそういうものではない」
「でも事実よ。だから年齢がどうあれ、私の気持ちがどうあれ、おとーさまはまずアリカを宮中に入れたんだわ! 私あれだけ私にして私にして、ってお願いしたのに!」
「お前…… そんなことしてたのか」
「だって宮中よ!」
マドリョンカはどん、と両の拳で卓を叩いた。
「皇后さまになんかなれなくてもいいの。宮中だったら、いっそ女官でもいいわ。ああでも駄目ね、女官だと制服になってしまうもの。おにーさまご存知? 桜の公主様」
「い、いや……」
「『最後の三公主』のお一方のことかな」
サハヤが口をはさむ。
「何だそれは」
「まあ何って言うか、女性の間で広まっている呼び名だよ」
「そうなのか?」
ええ、とウリュンの問いに妹達は一斉にうなづいた。
「現在降嫁先がお決まりになっていないのは、アマダルシュ様とイースリャイ様とイムファシリャ様のお三方だ」
「その中で、一番美しく、衣装選びに長けていると言われているのがアマダルシュ様。『桜好み』もあの方が言い出されたことだわ」
「そうなのか?」
ウリュンは友人に問い掛ける。そうらしい、とサハヤはうなづく。
「イースリャイ様とイムファシリャ様は同い歳。イースリャイ様は幼い頃地方暮らしで、自由に過ごされたせいか、帝都に入られてからも、時々ふらりと城下に行ってしまわれて周りが大変だと。自由に飛び回る『鳥の公主』と呼ばれてます」
セレが説明を引き継ぐ。
「イムファシリャ様は?」
四姉妹は顔を見合わせた。やがてマヌェがぽつりと口にした。
「『緑の公主』さま」
緑の。ウリュンの眉が寄った。
「一番末のかたなんですが、何と言うか、その」
「構わない、言ってくれ。どういう噂が立っているんだ?」
「わかんないの」
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