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第16話 課題曲は何にするの?
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ずん、と低音がその場に響いた。へえ、とBELL-FIRSTの他のメンバーが感心したようにうなづいた。
「上手くなったじゃん、マキちゃん」
ノセさんの声がかかる。BELL-FIRSTのライヴの前に、俺はステージに上がって、練習の成果を見てもらっていた。
「そう? 俺、上手くなった?」
「うん、上等上等」
ぱちぱち、と後ろでハリーさんも拍手してくれる。俺は妙に嬉しかった。ピアノの発表会でステージに上ったことは何度もある。拍手だって、ずいぶんもらった。そういうことには慣れているのだ。
だけど、今もらっている拍手は、今までもらったどの拍手よりも嬉しかった。
「誰かバンドメンバーお探しよ。もったいないよ」
「メンバー? そんな、ねえ」
「だってお前、ベース始めてまだ二ヶ月かそこらだろ?それでこれならすぐ上手くなるよ、なあトモ」
「うん、俺もびっくりした」
彼は彼で、穏やかな笑みを浮かべながらうなづく。
「だけどここはやっぱり、こうやった方が恰好いいかな」
彼は俺の手からベースを受け取ると、ハリーさんに合図して、同じフレーズを叩かせた。
「……あーあ」
ナナさんが面白そうにカウンターからのぞいている。
「トモの奴も結構いけずだよな」
ナサキさんもくく、と含み笑いをしている。
「でもさ、やっぱり手取り足取り教えてるのは強いよねえ、猫ちゃん」
「ナサキさん!」
俺は反射的に大声を出していた。まあ怒らないで怒らないで、とナサキさんはぽんぽんと俺の頭をはたいた。
「小さいと思って~」
「そうそう、小さいのにさ、よくトモのロングスケールこなすよな、と俺も思ったのよ」
ノセさんが助けを入れるかのように口をはさんだ。
「そ。俺もどうしようかな、って思ったんだけど」
もう一度やってみな、と彼は俺にベースを渡した。
これはメインベースではなかった。虹色の模様がない、ただの黒いベース、彼のセカンドベースだった。だが彼の趣味らしく、それもまたロングスケールである。つまりは長い。大きい。俺の様な小柄な奴がやるのは結構しんどいはずのものらしい。
「ただこいつ、ピアノやってるから、結構力あんのよ」
へー、とメンバーは揃って声を立てた。ちょっと手、握ってみ、と彼は俺の手を取ってナサキさんに握らせた。ナサキさんはトモさん程大きな手ではない。だけど俺よりは充分大きい。
「はいぎゅっと」
ぎゅっと。俺は言われた通り思いっきり握りしめた。その直後、痛ぇーっ!とナサキさんの声がステージ上に響きわたった。慌てて俺は手を離した。
「な、何こいつ、すげえ力」
「でしょ? 俺もびっくりしたことびっくりしたこと」
「へ? そぉ?」
「それに手が小さいのも、結局、ピアノで指広げまくって弾いてるから、全然問題じゃあないし」
へえ、と再び感心する声が周囲から上がる。
「じゃあお前、けっこうすぐに追い越されるかもな」
「いえいえ、そこまではさせませんって。俺にもプライドというものがあります」
「そう言いながら嬉しそうなくせに~」
そうだね、と彼は確かに嬉しそうな顔で俺を眺めた。まあ確かに、俺は上達するための要素はたくさん持っていたのかもしれない。
だけど、彼でなかったら、こうはならなかっただろう。
「あのさマキノ」
「はい?」
不意に彼が呼んだ。
「うちの曲一曲、完璧にコピーできるようになったら、何かプレゼントするよ。何がいい?」
おおっ! と周囲が再び湧いた。太っ腹だね~、とハリーさんは自分の体型を棚に上げて言う。
「ぷれぜんと」
「うん。俺にできる範囲でなら」
「トモ君のできる範囲なんてたかが知れてるじゃないーっ!」
ナナさんがカウンターから声を張り上げる。
「そんなことないですよぉ」
ぷれぜんと。俺はふっとあの部屋のマーブルのクッションを思い出した。確かあれは。
「何でもいいんですかあ?」
「おい、ちょっとこの言い方って怖いんだぞ」
ノセさんは人の悪い笑いを浮かべた。俺は彼に負けず劣らずの穏やかな笑みを浮かべる。内心を悟られないように。
「じゃあトモさん、俺を驚かせるようなもの、下さい」
「へ?」
「何でもいいですから」
は、と彼の表情が一瞬曇ったのを俺は見逃さなかった。
本当は、俺の欲しいものは具体的になかった訳じゃない。だけど、それはまず手に入らないだろう。
俺は彼のメインベースが欲しかった。どのベースよりも、あの彼の大きな手にしっくりおさまっているように、俺の目には映っていたから。
「驚かせるものかよ…… 結構それって難しくねえ?」
ナサキさんは腰に手を当てて、金髪を揺らし、へらへら、と笑う。
「難しい方が面白いでしょ?」
「言うねえ。さてトモ、じゃ課題曲は何にするの?」
ノセさんは含み笑いのまま、彼に訊ねた。
「課題曲ね……」
彼はしばらく考えていたが、やがて、ぼんぼん、とある曲のイントロをつま弾いた。お、とナサキさんが声を立てた。
「それかよ、おい」
「まあね」
何ですか、と俺はそばに居たノセさんに訊ねた。
「『LAUGHIN' RAIN』。よりによって一番ベースがややこしい曲じゃねえの」
「師匠も弟子も、負けず劣らず性格悪いってことじゃない?」
カウンターからナナさんの声が飛んだ。
*
「これでいいか?」
曲が終わった時、俺は大きく一つ息をつき、何気なくカナイの方を向いて訊ねた。
「弾けたのかよ、お前」
「別に俺、ベースが弾けないなんて一度も言ったことないけど?」
そりゃそうだけど! とカナイは声を荒げそうになり――― ぶるぶると頭を振った。そんなこと言っている場合じゃないのを奴も気付いたらしい。
「お前、この曲以外のも弾ける?」
「だから俺結構、お前らの練習付き合ってたろ?」
弾けるんだな、と奴は俺に念を押した。俺はうなづいた。大丈夫だ。大して難しい曲ではないのだ。彼が俺に教えてくれたものに比べれば。あの課題曲に比べれば。
「代役演っていいのか?」
「……いい! いや、頼む! 頼みます!」
ほとんど拝み倒すようなポーズになって、カナイは俺に頭を下げた。
そして俺はベーシストとして人生最初のステージを踏んだのだ。
「上手くなったじゃん、マキちゃん」
ノセさんの声がかかる。BELL-FIRSTのライヴの前に、俺はステージに上がって、練習の成果を見てもらっていた。
「そう? 俺、上手くなった?」
「うん、上等上等」
ぱちぱち、と後ろでハリーさんも拍手してくれる。俺は妙に嬉しかった。ピアノの発表会でステージに上ったことは何度もある。拍手だって、ずいぶんもらった。そういうことには慣れているのだ。
だけど、今もらっている拍手は、今までもらったどの拍手よりも嬉しかった。
「誰かバンドメンバーお探しよ。もったいないよ」
「メンバー? そんな、ねえ」
「だってお前、ベース始めてまだ二ヶ月かそこらだろ?それでこれならすぐ上手くなるよ、なあトモ」
「うん、俺もびっくりした」
彼は彼で、穏やかな笑みを浮かべながらうなづく。
「だけどここはやっぱり、こうやった方が恰好いいかな」
彼は俺の手からベースを受け取ると、ハリーさんに合図して、同じフレーズを叩かせた。
「……あーあ」
ナナさんが面白そうにカウンターからのぞいている。
「トモの奴も結構いけずだよな」
ナサキさんもくく、と含み笑いをしている。
「でもさ、やっぱり手取り足取り教えてるのは強いよねえ、猫ちゃん」
「ナサキさん!」
俺は反射的に大声を出していた。まあ怒らないで怒らないで、とナサキさんはぽんぽんと俺の頭をはたいた。
「小さいと思って~」
「そうそう、小さいのにさ、よくトモのロングスケールこなすよな、と俺も思ったのよ」
ノセさんが助けを入れるかのように口をはさんだ。
「そ。俺もどうしようかな、って思ったんだけど」
もう一度やってみな、と彼は俺にベースを渡した。
これはメインベースではなかった。虹色の模様がない、ただの黒いベース、彼のセカンドベースだった。だが彼の趣味らしく、それもまたロングスケールである。つまりは長い。大きい。俺の様な小柄な奴がやるのは結構しんどいはずのものらしい。
「ただこいつ、ピアノやってるから、結構力あんのよ」
へー、とメンバーは揃って声を立てた。ちょっと手、握ってみ、と彼は俺の手を取ってナサキさんに握らせた。ナサキさんはトモさん程大きな手ではない。だけど俺よりは充分大きい。
「はいぎゅっと」
ぎゅっと。俺は言われた通り思いっきり握りしめた。その直後、痛ぇーっ!とナサキさんの声がステージ上に響きわたった。慌てて俺は手を離した。
「な、何こいつ、すげえ力」
「でしょ? 俺もびっくりしたことびっくりしたこと」
「へ? そぉ?」
「それに手が小さいのも、結局、ピアノで指広げまくって弾いてるから、全然問題じゃあないし」
へえ、と再び感心する声が周囲から上がる。
「じゃあお前、けっこうすぐに追い越されるかもな」
「いえいえ、そこまではさせませんって。俺にもプライドというものがあります」
「そう言いながら嬉しそうなくせに~」
そうだね、と彼は確かに嬉しそうな顔で俺を眺めた。まあ確かに、俺は上達するための要素はたくさん持っていたのかもしれない。
だけど、彼でなかったら、こうはならなかっただろう。
「あのさマキノ」
「はい?」
不意に彼が呼んだ。
「うちの曲一曲、完璧にコピーできるようになったら、何かプレゼントするよ。何がいい?」
おおっ! と周囲が再び湧いた。太っ腹だね~、とハリーさんは自分の体型を棚に上げて言う。
「ぷれぜんと」
「うん。俺にできる範囲でなら」
「トモ君のできる範囲なんてたかが知れてるじゃないーっ!」
ナナさんがカウンターから声を張り上げる。
「そんなことないですよぉ」
ぷれぜんと。俺はふっとあの部屋のマーブルのクッションを思い出した。確かあれは。
「何でもいいんですかあ?」
「おい、ちょっとこの言い方って怖いんだぞ」
ノセさんは人の悪い笑いを浮かべた。俺は彼に負けず劣らずの穏やかな笑みを浮かべる。内心を悟られないように。
「じゃあトモさん、俺を驚かせるようなもの、下さい」
「へ?」
「何でもいいですから」
は、と彼の表情が一瞬曇ったのを俺は見逃さなかった。
本当は、俺の欲しいものは具体的になかった訳じゃない。だけど、それはまず手に入らないだろう。
俺は彼のメインベースが欲しかった。どのベースよりも、あの彼の大きな手にしっくりおさまっているように、俺の目には映っていたから。
「驚かせるものかよ…… 結構それって難しくねえ?」
ナサキさんは腰に手を当てて、金髪を揺らし、へらへら、と笑う。
「難しい方が面白いでしょ?」
「言うねえ。さてトモ、じゃ課題曲は何にするの?」
ノセさんは含み笑いのまま、彼に訊ねた。
「課題曲ね……」
彼はしばらく考えていたが、やがて、ぼんぼん、とある曲のイントロをつま弾いた。お、とナサキさんが声を立てた。
「それかよ、おい」
「まあね」
何ですか、と俺はそばに居たノセさんに訊ねた。
「『LAUGHIN' RAIN』。よりによって一番ベースがややこしい曲じゃねえの」
「師匠も弟子も、負けず劣らず性格悪いってことじゃない?」
カウンターからナナさんの声が飛んだ。
*
「これでいいか?」
曲が終わった時、俺は大きく一つ息をつき、何気なくカナイの方を向いて訊ねた。
「弾けたのかよ、お前」
「別に俺、ベースが弾けないなんて一度も言ったことないけど?」
そりゃそうだけど! とカナイは声を荒げそうになり――― ぶるぶると頭を振った。そんなこと言っている場合じゃないのを奴も気付いたらしい。
「お前、この曲以外のも弾ける?」
「だから俺結構、お前らの練習付き合ってたろ?」
弾けるんだな、と奴は俺に念を押した。俺はうなづいた。大丈夫だ。大して難しい曲ではないのだ。彼が俺に教えてくれたものに比べれば。あの課題曲に比べれば。
「代役演っていいのか?」
「……いい! いや、頼む! 頼みます!」
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そして俺はベーシストとして人生最初のステージを踏んだのだ。
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