11 / 25
第11話 彼はこの時、夜の底から言葉を探しているようだった。
しおりを挟む
「変わった声だったよ」
彼は、高校・大学と通してバンド仲間だった相手のことをそう評した。
過去形だった。
彼がそう意識しているかどうかは判らなかったが、彼がその友達のことを話す時には、必ず過去形だった。
「どういう声? ノセさんみたいの?」
BELL-FIRSTのヴォーカリストの名を出す。すると彼は首を横に振った。
「あれとは別」
「じゃあ、どういう感じ?」
「格別いい声って言う訳じゃないんだ」
だからどういう声なのか、と俺はその時珍しく彼に詰め寄った。
六月。初夏から、次第に夏の色が濃くなってきた頃だった。陽射しが目にきつい。
その頃彼は、時々バイクでライヴハウスに通うようになっていた。
バイク――― バイクと言うべきだろうか? だが原チャリと言ってしまうには、それはややスタイリッシュな感じがしたが。
淡い緑のパステルトーンのベスパ。50CCではないので、二人乗りもOKだというが、彼は断固として後ろに誰かを乗せることはしなかった。
人間は乗せなかったが、楽器は構わないらしい。よくベースをかついで乗っていた。
暑くなってきていても、彼は長袖シャツにゴーグルをかぶってそれに乗ってきていた。照りつける陽射しの下で長袖、雨が降れば合羽を着て。
梅雨の合間の晴れた日には、目に痛い程の陽射しが照りつけ、夜になっても温度は下がらない。
昼間に比べれば下がっているのだろう。
だがむっとするというか、ねっとりしているというか、体中に絡み付く大気は、部屋の中ではむき出しにした腕に容赦なくまとわりついていた。
「何て言えばいいんだろうな―――」
きんきんに冷やしたバドワイザーを呑んでいた彼はこの時、夜の底から言葉を探しているようだった。
「理屈じゃあないんだ。お前のやってるクラシック的に『いい声』なんかじゃ絶対ない。実際そう上手いという訳じゃあない。歌い出すと、時々音程も飛び上がってしまうことも多かった」
「それって下手って言わない?」
ぽん、と彼は俺の頭を軽くはたいた。
「下手ね。そう、下手だったんだろうな。実際下手だったよ。そういう意味だったらな。だけど、そういうものでもないだろ? バンドのヴォーカルってのは」
「うん」
さすがに三ヶ月、その大半の夜をライヴハウスと関わってくれば、それまでの狭かった見方も変わってもくる。
「そういうところじゃない、魅力があった声だったんだ」
「へえ」
「だけど俺も不思議だったことがあってね」
「何?」
彼は少し考え込むと、クロゼットの中から何かを取り出し、聴いてみな、と俺の前に放り出した。データ音源だった。
俺はそれを自分の端末に入れる。
ひどく雑音だらけのそれは、室内で録音したものらしい。何やらごそごそと人が動く音が聞こえた。そしてこんこん、と音がすると、生ギターをかきならす音が聞こえた。
明るい、でも少し切ないメロディが、でたらめ英語で歌われている。
「もう一個も聴いてみな。ライヴの奴」
俺はデータを切り替える。と。
声が、強く真っ直ぐ、耳に飛び込んできた。
「トモさんこれ、同じ人?」
彼はそう、とうなづいた。
「そういう奴だったんだよ。マイクロフォンを通すと変わるんだ」
「そういうことってあるの?」
「あるの。と言うか、マイクを通ることで、まあ物理的に変わるという訳じゃないかもしれないけど、何かか変わるんだ」
「へえ……」
確かに、その「マイクを通した声」は彼が魅力的、と言うのにふさわしかった。
下手は下手なのだ。俺の知るテクニック的には。
だが、確かに、何か引っかかるものがある。
「こういう声が好きだった?」
「好きだったよ」
今でも好きなのか、と俺は聞きそうになって、やめた。
ノセさんの声は、こういう声ではない。
音源の中の人の声は、時々切れてしまいそうな程不安定な部分を残していた。一方の、ノセさんの声はもっと安定していた。周囲のテンションを急激に上げるとか、熱狂乱舞とか言う言葉とは全く無縁だが、安心できる声だった。
だが音源の中のヴォーカルは。
時々居る。そういう人は。
耳に飛び込んだ瞬間、体温がコンマ1℃くらい上昇し、頭の中をかき回し、身体を勝手に動かしてしまうような。
とても目の前の彼を見ていると、そんな声が好き、とは思えなかった。
それでは昔と現在の声の趣味は違うのか、と問えばいいのだが――― 俺はそれを問うことはできなかった。
もどかしかった。彼の態度もだが、そんな風にためらってしまう自分自身にも。
彼は、高校・大学と通してバンド仲間だった相手のことをそう評した。
過去形だった。
彼がそう意識しているかどうかは判らなかったが、彼がその友達のことを話す時には、必ず過去形だった。
「どういう声? ノセさんみたいの?」
BELL-FIRSTのヴォーカリストの名を出す。すると彼は首を横に振った。
「あれとは別」
「じゃあ、どういう感じ?」
「格別いい声って言う訳じゃないんだ」
だからどういう声なのか、と俺はその時珍しく彼に詰め寄った。
六月。初夏から、次第に夏の色が濃くなってきた頃だった。陽射しが目にきつい。
その頃彼は、時々バイクでライヴハウスに通うようになっていた。
バイク――― バイクと言うべきだろうか? だが原チャリと言ってしまうには、それはややスタイリッシュな感じがしたが。
淡い緑のパステルトーンのベスパ。50CCではないので、二人乗りもOKだというが、彼は断固として後ろに誰かを乗せることはしなかった。
人間は乗せなかったが、楽器は構わないらしい。よくベースをかついで乗っていた。
暑くなってきていても、彼は長袖シャツにゴーグルをかぶってそれに乗ってきていた。照りつける陽射しの下で長袖、雨が降れば合羽を着て。
梅雨の合間の晴れた日には、目に痛い程の陽射しが照りつけ、夜になっても温度は下がらない。
昼間に比べれば下がっているのだろう。
だがむっとするというか、ねっとりしているというか、体中に絡み付く大気は、部屋の中ではむき出しにした腕に容赦なくまとわりついていた。
「何て言えばいいんだろうな―――」
きんきんに冷やしたバドワイザーを呑んでいた彼はこの時、夜の底から言葉を探しているようだった。
「理屈じゃあないんだ。お前のやってるクラシック的に『いい声』なんかじゃ絶対ない。実際そう上手いという訳じゃあない。歌い出すと、時々音程も飛び上がってしまうことも多かった」
「それって下手って言わない?」
ぽん、と彼は俺の頭を軽くはたいた。
「下手ね。そう、下手だったんだろうな。実際下手だったよ。そういう意味だったらな。だけど、そういうものでもないだろ? バンドのヴォーカルってのは」
「うん」
さすがに三ヶ月、その大半の夜をライヴハウスと関わってくれば、それまでの狭かった見方も変わってもくる。
「そういうところじゃない、魅力があった声だったんだ」
「へえ」
「だけど俺も不思議だったことがあってね」
「何?」
彼は少し考え込むと、クロゼットの中から何かを取り出し、聴いてみな、と俺の前に放り出した。データ音源だった。
俺はそれを自分の端末に入れる。
ひどく雑音だらけのそれは、室内で録音したものらしい。何やらごそごそと人が動く音が聞こえた。そしてこんこん、と音がすると、生ギターをかきならす音が聞こえた。
明るい、でも少し切ないメロディが、でたらめ英語で歌われている。
「もう一個も聴いてみな。ライヴの奴」
俺はデータを切り替える。と。
声が、強く真っ直ぐ、耳に飛び込んできた。
「トモさんこれ、同じ人?」
彼はそう、とうなづいた。
「そういう奴だったんだよ。マイクロフォンを通すと変わるんだ」
「そういうことってあるの?」
「あるの。と言うか、マイクを通ることで、まあ物理的に変わるという訳じゃないかもしれないけど、何かか変わるんだ」
「へえ……」
確かに、その「マイクを通した声」は彼が魅力的、と言うのにふさわしかった。
下手は下手なのだ。俺の知るテクニック的には。
だが、確かに、何か引っかかるものがある。
「こういう声が好きだった?」
「好きだったよ」
今でも好きなのか、と俺は聞きそうになって、やめた。
ノセさんの声は、こういう声ではない。
音源の中の人の声は、時々切れてしまいそうな程不安定な部分を残していた。一方の、ノセさんの声はもっと安定していた。周囲のテンションを急激に上げるとか、熱狂乱舞とか言う言葉とは全く無縁だが、安心できる声だった。
だが音源の中のヴォーカルは。
時々居る。そういう人は。
耳に飛び込んだ瞬間、体温がコンマ1℃くらい上昇し、頭の中をかき回し、身体を勝手に動かしてしまうような。
とても目の前の彼を見ていると、そんな声が好き、とは思えなかった。
それでは昔と現在の声の趣味は違うのか、と問えばいいのだが――― 俺はそれを問うことはできなかった。
もどかしかった。彼の態度もだが、そんな風にためらってしまう自分自身にも。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
もう一度『初めまして』から始めよう
シェリンカ
ライト文芸
『黄昏刻の夢うてな』ep.0 WAKANA
母の再婚を機に、長年会っていなかった父と暮らすと決めた和奏(わかな)
しかし芸術家で田舎暮らしの父は、かなり変わった人物で……
新しい生活に不安を覚えていたところ、とある『不思議な場所』の話を聞く
興味本位に向かった場所で、『椿(つばき)』という同い年の少女と出会い、ようやくその土地での暮らしに慣れ始めるが、実は彼女は……
ごく平凡を自負する少女――和奏が、自分自身と家族を見つめ直す、少し不思議な成長物語
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/light_novel.png?id=7e51c3283133586a6f12)
僕の目の前の魔法少女がつかまえられません!
兵藤晴佳
ライト文芸
「ああ、君、魔法使いだったんだっけ?」というのが結構当たり前になっている日本で、その割合が他所より多い所に引っ越してきた佐々四十三(さっさ しとみ)17歳。
ところ変われば品も水も変わるもので、魔法使いたちとの付き合い方もちょっと違う。
不思議な力を持っているけど、デリケートにできていて、しかも妙にプライドが高い人々は、独自の文化と学校生活を持っていた。
魔法高校と普通高校の間には、見えない溝がある。それを埋めようと努力する人々もいるというのに、表に出てこない人々の心ない行動は、危機のレベルをどんどん上げていく……。
(『小説家になろう』様『魔法少女が学園探偵の相棒になります!』、『カクヨム』様の同名小説との重複掲載です)
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
看取り人
織部
ライト文芸
宗介は、末期癌患者が最後を迎える場所、ホスピスのベッドに横たわり、いずれ訪れるであろう最後の時が来るのを待っていた。
後悔はない。そして訪れる人もいない。そんな中、彼が唯一の心残りは心の底で今も疼く若かりし頃の思い出、そして最愛の人のこと。
そんな時、彼の元に1人の少年が訪れる。
「僕は、看取り人です。貴方と最後の時を過ごすために参りました」
これは看取り人と宗介の最後の数時間の語らいの話し
再び大地(フィールド)に立つために 〜中学二年、病との闘いを〜
長岡更紗
ライト文芸
島田颯斗はサッカー選手を目指す、普通の中学二年生。
しかし突然 病に襲われ、家族と離れて一人で入院することに。
中学二年生という多感な時期の殆どを病院で過ごした少年の、闘病の熾烈さと人との触れ合いを描いた、リアルを追求した物語です。
※闘病中の方、またその家族の方には辛い思いをさせる表現が混ざるかもしれません。了承出来ない方はブラウザバックお願いします。
※小説家になろうにて重複投稿しています。
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
【完結】大江戸くんの恋物語
月影 流詩亜(旧 るしあん)
ライト文芸
両親が なくなり僕は 両親の葬式の時に 初めて会った 祖母の所に 世話になる
事に………
そこで 僕は 彼女達に会った
これは 僕と彼女達の物語だ
るしあん 四作目の物語です。
よくできた"妻"でして
真鳥カノ
ライト文芸
ある日突然、妻が亡くなった。
単身赴任先で妻の訃報を聞いた主人公は、帰り着いた我が家で、妻の重大な秘密と遭遇する。
久しぶりに我が家に戻った主人公を待ち受けていたものとは……!?
※こちらの作品はエブリスタにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる