うつほ物語④次の東宮はどの女君の産んだ宮?そして巻き込まれたくない藤原仲忠くん。

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
6 / 14

第6話 藤壷の御方退出し、涼が用意した場所へと落ち着く

しおりを挟む
 正頼もさすがに辛抱しきれないで、そっと藤壷の局へと出向いた。
 子息達は退屈して女房の部屋へ立ち寄って戯れ言を言い、童や部下達は装束のまま立って待ち続けている。
 それでもなかなか東宮は出て行かない。
 さすがに藤壷の御方もきっぱりとこう言い放った。

「それではもう本当に退出致します。父も心配して迎えに参りましたので、これから何日か喪に服して、忌み慎むことと致します。来月になりましたら、夜の間にそっと参上いたします」
「それは嬉しいな。普通の女房が参内する様にして出車で毎晩必ず来てくれ。来なかったなら私が其方から思われていないものだと恨んでしまうよ」

 東宮は相変わらずの戯れ言を言ったが、ともかくはようやく退出することができた。
 供奉の車が二十、大人が四十人、童下仕が八人、樋洗《ひすまし》が二人やってきていた。
 大臣や上達部である子息三人は車で、四位以下は馬に乗り、時勢に明るい者であれば、四位であれ五位であれ、お供しない者はいない。六位などには目もくれられていない。
 前駆に続き、車は涼が現在住んでいる西の一の対の南の階《きざはし》にと進んで行く。そのまま寄せていき、師純と祐純が几帳を持ち、下りてくる藤壷を人目から隠す。正頼と忠純は車の簾わ引き上げ、藤壷を下ろしてやる。
 他の子息達は皆、その周りをぐるりと護衛する様に立っている。
 兄弟とは判っていても、その様子は非常に素晴らしいものだった。
 車には兵衛の君や孫王の君も一緒である。大宮や女御、他の姉妹も前夜から待ち通しである。
 特に涼の妻である今宮など、自分達の住んでいた場所に彼女を迎えるということで、やって来たらそこで入れ替わろうと待ち構えていたのである。
 その様なことをしているうちに夜が明けてきた。
 正頼や上達部である子息達は、南の廂《ひさし》に、他の息子達は簀子《すのこ》の方に控えている。
 正頼が言う。

「私自身が迎えに参る筈ではなかったのだが、其方は妙に人に妬まれているというので、途中で悪い人間が現れてはいけないと思ってね…… それにしてもずいぶん待たせてくれたものだ。心配したよ」
「東宮様が、皆退出しているこの時にか、と強く仰有られ、なかなかお許しが出なかったのです。私も色々申し上げてようやく退出することができましたのよ」
「以前、其方の退出の時、ずいぶんこちらも急き立てて、東宮様もお騒ぎになられたので、今度もまたややこしいことになったら困ると思ってのんびり待っていたのだけどね」

 すると大宮が口をはさむ。

「本当にずいぶんと久しいことですね。一昨年の秋にこの宮をお産みになって以来、ずっと会うこともできずに。こんなことでもなければ退出のお許しも無いのですからね…… さて、今居るのは男宮かしら、女宮かしら。ちょっと調べてみましょう。見せて頂戴」
 
 すると「見苦しいですが」と藤壷も言って笑う。姉である女御もそこに入り、

「お母様早速何ですか。そうねえ、東宮様はよっぽどこのひとが退出されるのはお嫌なのでしょう。帝もかつてはそうでしたわ。今の様に度々退出をお許しになることはなくって、まるで離して下さらなくて」
「まあそれはともかくどれどれ」

 大宮は構わず藤壷の衣を開いて、そのお腹を確かめる。

「そうねえ、今度も男皇子でしょうね」
「男皇子と言えば」

 藤壷は問いかける。

「若宮達はどちらに? まずそれを伺いたく」
「一宮は大人しく待っておられましたよ。二宮はびっくりする様な声を張り上げなさるから、ちょっと心配で」
「そんな声は出さない様に私から言い聞かせましょう。きっと心細いのですわ」

 やがて空が明るくなって行くにつれ、この改装した大殿の様子が皆の目にもよく判るようになってくる。
 元の主である六の君が出ていたばかりで、ただ御座所の敷物を取り替えただけであるのだが、何にしろほんの少しの手落ちも無いのだ。



 一方涼は、沈で作った小さな趣味の良い唐櫃に鎖と鍵を添えて贈った。

「よい折りですのでこれをどうぞ。ここに居る間に使っていただければと思いまして。こちらは引っ越し先にも用意がございますので何も持って行く必要はありません」

 そう言い切る。

「ということで、我々の住んでいたところへどうぞお移り下さい。この寝殿では色々不都合もございましょう。あちらはその昔、吹上にあったものと取り替えたものですので住みよいと思います。ともかくできるだけのことはさせたつもりです」

 大宮と仁寿殿女御も横から口を挟む。

「そうですね、こんなに住みよいところは何処にもないでしょう。よくここまでしつらえましたね」

 すると涼は、

「やがてお帰りを祝って三日間の饗応を致します。その時には東の対を使って、家司や我が祖父、紀伊守なども使ってお仕えいたしましょう。男であれ女であれ、そこにいる者全てに折敷を九、下臈にも六、四渡しましょう」

 とか何やら皆で話しているうちに、東宮から桜の花に点けられた紫の色紙に書かれた文が届いた。藤壷が開いてみると。

「ただいまどんな様子かと気になって仕方がない。こんな調子では待ちきれないかもしれない。どうして退出させてしまったのだろう、と悔やんで仕方がない。
―――風が吹いたも散らない花は、落ち着いて見えるのに、どうして私は落ち着かないのだろう―――
 皆其方故だ。先々、其方無しでどうやって過ごしたらいいのかと考えてしまう」

とあった。

「ああ、この字も久しぶりに見た。大変御上達されているな」

 そう正頼は言い、女御の居る御簾の内へと差し入れる。

「まあこれは、仲忠どのの字とずいぶん似てきましたね」

 女御はそう言って藤壷の方を向いた。

「ええ、大将の書いて奉ったお手本を、真名であれ仮名であれそればかりを手習いの手本にお使いになっておられます。もう古くなってしまった、新しい手本が欲しいと常々仰有っているのですが、なかなか彼も奉ろうとはしなくて。私にまで、催促してびっくりさせてやれ、などと無茶なことを仰有いますのよ」
「詩を作るためと伺いましたが、そうではないのですか?」
「何ごとにつけても人の一歩先に行こうとなさる貪欲な方だからな」

 正頼はそう評して、東宮の使いに饗けものを持たせた。
 この様に藤壷の返歌をつけて。

「ただ今は旅先では落ち着きません。
―――花よりも落ち着かないと仰有る貴方様は、それでも風も吹かないうちに散る程頼りないお心なのでしょうか―――
 そう思ってしまうので」 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

うつほ物語②~仲忠くんの母上が尚侍になるはなし

江戸川ばた散歩
歴史・時代
「源氏」以前の長編古典ものがたり「うつほ物語」をベースにした、半ば意訳、半ば創作といったおはなし。 男性キャラの人物造形はそのまま、女性があまりにも扱われていないので、補完しつつ話を進めていきます。 ……の続きで「初秋」もしくは「内侍のかみ」という巻を中心とした番外の様な。 仲忠くんの母君にまだ心を残している帝とのおはなし。 蛍の使い方が源氏物語に影響もたらしている様な気がします。

うつほ物語③~藤原仲忠くんの結婚・新婚ものがたり

江戸川ばた散歩
歴史・時代
古典「うつほ物語」の「田鶴の村鳥」「蔵開」の部分にあたります。 藤原仲忠くんの、今上の女一宮との結婚とその新婚生活、生まれた京極の屋敷跡で見つけた蔵の中にあった祖父の古い日記に書かれていた波瀾万丈な出来事を帝の前で講読する……  そして何と言っても、待望の彼の娘が生まれます。 何とか落ち着いた仲忠くんのそれなりに幸せなおはなし。

うつほ物語~藤原仲忠くんの平安青春ものがたり

江戸川ばた散歩
歴史・時代
「源氏」以前の長編古典ものがたり「うつほ物語」をベースにした、半ば意訳、半ば創作といったおはなし。 男性キャラの人物造形はそのまま、女性があまりにも扱われていないので、補完しつつ話を進めていきます。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

異聞平安怪奇譚

豚ドン
歴史・時代
 時は平安……日ノ本は荒れ魑魅魍魎が跋扈し乱が起こり崩壊しかけた。 煌びやかな京の外は魔境。 血風が舞い、悲哀と怨嗟が渦巻く闘いの連鎖ーー陰謀深く、妖は定命の者を嘲笑う。 後世にて英雄と呼ばれる男達が現れ、熾烈な戦いの日々を送る。 正統派アクション伝奇!ここに開演! ノベルアップ+様の歴史・時代小説大賞において、最終選考落選!残念無念!

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

処理中です...