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71.「関係無い奴がドラムかHALに触ると怖くなったんですよ」 

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 土岐もいつのまにか箸を休めていた。

「正直言って、おかしいんですよ」

 コップを持ったまま、それを口に運ぶこともしない。

「例えばB・Bは首都だったら、規模的にはブレイクド・ボーン・クラブだし、アメジストはクラブ・ファニイですよ。西のあそこだったら、リバーサイド」

 似たよう規模の会場のことを次々と土岐は口にしていく。

「でも何処だってあるじゃないですか。音響の善し悪し。どんな上手い人だって、会場によっては、全然抜けないことがあるじゃないですか」

 そうだな、と布由はあいづちを打つ。

「だけど、あの都市では、全くいつも、どんな条件でもあんたの声は抜けましたよ。無茶苦茶良かった。逆にHALの声は駄目でした。とにかくあの都市と相性が悪かった」
「都市と相性が悪い?」
「としか言いようがなかったですよ。逆にあんたは異様に都市と相性が良かったんですよ」

 言われてみれば、そうかもしれない。

「そう言えばお前、HALの声があの都市ではどーのって、どうして知ってるの? 結構当時、同じ日程ってことが多くて俺達行けなかったことが多かったじゃないか」
「藍地さんがよく伝えてくれましたから」
「藍地が」
「あの人もやっぱりベーシストだったし、そういうことあのバンドの中で一番良く気付いたの、あの人なんですよね。一番神経細かいし、リーダーだったし」

 そしてようやく土岐は自分のコップに次のビールを注いだ。

「藍地があのバンドを作ったんだったよな」
「ええ。HALさん誘って。かなり惚れ込んだらしいですよね。当時。朱明さんもそうだ。あの人が見つけて引っぱり込んだんでしたよね。……あの位の熱意がうちにもあったら朱明さんも居てくれたかも」
「いや、それは無いだろ」
「そうですか?」
「だって奴は、HALの声に惚れたんだ。自分は泣き声に弱いからって」

 へえ、と感心したように土岐は声を立てる。

「それは初耳でしたよ…… でも泣き声ね」
 
 くっくっ、と土岐は笑い声を立てる。

「確かに布由さんは歌で『泣き言』は言っても泣き声ではないですからね」
「ま、それはそれでいいんだよ。それに、朱明は結構俺を……」
「え?」

 朱明は…… どうだったろう。いきなりその部分がぼんやり、あいまいになっていることに布由は気付いた。

「どーしたんです?」
「おい土岐、朱明が俺のこと嫌いとか何とか言ったの聞いたことはあるか?」
「直接にはないですが」
「直接に? じゃ間接的にはあるのか?」
「うーん…… こう言っていいのかなあ……」
「言えよっ」
「……じゃあ言いますよ。視線がねえ……」
「視線が」
「何っか、時々怖かったんですよ」
「怖い?」
「どんなこと言ってました? 朱夏は。彼については」
「朱夏はそうでもないが、奴は周囲には恐れられているらしいぞ」
「……はあ、なるほど……」

 土岐は何となく納得したようにうなづいた。

「俺はそのへんがいまいち釈然としないんだが……」
「何がですか?」
「奴って恐がられる柄か?」
「場合によりけりですよ。あの人は、大切なもののためなら何でもできるタイプの人です。本当に、何でも、ね。その辺はあんたとよく似てませんかね?」

 似てねえよ、と布由は吐き捨てるように言う。
 そうですかね、と土岐はにやりと笑った。

「ま、あんたに似てる云々はどっちでもいいですけど…… さっき言ったでしょう? あの人は、誰かが関係無い奴が、ドラムかHALに下手に触ると、ずいぶん怖くなったんですよ」 

 ドラムとHALを並列するところが妙と言えば妙だが。

「要は、何よりも大切なものってことですよね」
「……朱明は俺をそういう意味で敵視していたってことか?」
「意識してそうしてたかは知りませんがね。あの人は藍地さんほど優しくも弱くもないですから、露骨には出しませんでしたけど」

 そういうお前が一番強いんじゃないか、と布由は相棒に向かってちらり、と横目でにらむ。
 だが確かに考えられない訳ではない。

「いつだったっけ」

 ふと布由はそんな疑問が湧いた。

「おい土岐、あの『都市』が閉じたのはいつだったっけ?」

 この記憶力が良さそうな相棒に聞けば間違いない、と彼は思った。そしてそれは間違いではない。

「閉じたのは、十年前の、七月でした。七月二十三日。夏でした。ねえ布由さん、その日、俺達が何処に居たか、覚えてますか?」
「……いや……」

 妙だった。そのあたりの記憶が自分の中で本当にあいまいになっていた。

「あの頃、ツアー中だったじゃないですか。うちはアルバムが出たばかりで」
「そうだったか?」
「……で、向こうはアルバム一枚につき、結構長いタームを置いたでしょう。だから向こうはアルバムを出した翌年でも、全国ツアーを組んで」
「ああ……」

 そう言えば。

「うちが北回りで、向こうが南回りでした。……で、それがちょうど折り合うのが」
「あの都市」
「そうです」

 布由は相棒の顔が真剣になっているのが判る。目の前の料理達は、いつのまにか彼らの興味の対称外になっていた。
 周囲のざわめきは大きくなる。時間が時間なのだ。そして初夏は、最も若者が昼夜問わず活動的になる。

「あの日、俺達はオフでした。おまけに、実家のあるあの都市の隣の県まで来てました」
「隣まで」
「一緒に帰ったじゃないですか」

 彼らは出身地が同じだから、帰る時は一緒のことが多かった。

「……記憶にない」
「……だろうと思いました」

 はあ、と土岐はため息をつく。

「でもあんたのことだから、HALは友達……以上でしたね、……だったし、ライヴ見に行ってもおかしくはないと思ってました。俺がわざわざ誘わなくとも。まあ俺は俺で藍地さんに誘われてはいたんですから何ですが。ただあん時は家族孝行ということで」
「……」
「どうしたんですか?」

 様子がおかしい。布由の顔色か、このあまり明るくない店内でもよく判るくらい悪くなっている。額には脂汗が浮いている。

「布由さんっ!」
「……大丈夫。……悪い土岐、ここ、出よう…… 何かひどく気分が……」
「布由さんっ!」

 どうして?

 土岐が呼ぶ声が聞こえる。

 ああそうだ。

 記憶の彼と、今の彼がオーバーラップする。

 そうだ土岐だ。たしか、あの時、奴は、何か知らないけれど、ひどく嬉しそうな顔して、飛びついてきたんだ。

 そのまま布由は、眠りに入る自分が判った。
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