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66.「あ、でーとのお誘いだったんだ」

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 何しろそもそもそういう感情になったこと自体怪しいのだ。

 変わった人ですねえ、と土岐はその頃からHALのことをそう評していた。どんな点だ、と布由が訊ねると、全部ですよ、と土岐は答えた。
 メジャーデビューはほぼ同じ時だった。
 ただ、そのやり方はやや異なっていた。BBはメジャーデビューの前日と翌日にライヴをし、区切りをきっちりとファンにも自分にもつける形だったのに対し、向こうのバンドは、出た二枚目のアルバムの広告の端に書かれたレーベルの名前がメジャーのものに変わったということで、さりげなくそれを告げる形をとった。
 そのあいまいさは、何となく自分に対するHALの態度にも似ている、とその頃布由は思った。
 最初に会った時に交換した電話もそうそう鳴ることはない。気がつくとかけているのは布由の方だった。
 それは例えば声を聞きたいとかの単純な理由というよりも、むしろ「かかってこないから悔しい」という感情に近かった。
 そしてまた向こうの言葉がしゃくにさわる。

『あれ布由くん、どうしたの……』
「……いや特に用はないけど……」

 まあ実際そうである。

『あ、そう』

 沈黙が続く。
 そこで耐えきれずに切ろうか、と布由は思うのだが、いきなりHALはのんびりとした声で、思い出したように、

『あ、そういや、この間可愛い車見つけたんだけど~』

 などと話題を切り出すものだから切るに切れない。それでいて意外に面白い話題なので、その風の無い春の日だまりのような口調に半ば眠気を覚えながらもつい聞いてしまう。
 ところがその話題が終わると、また彼は言うのだ。

『……で、何の用だったっけ』

 再び沈黙がある。
 そして同じことが繰り返される。そして布由の一ヶ月の電話代が一気に跳ね上がるのだ。
 さすがに業を煮やしたのはやはり布由の方だった。何回目かの電話の時、何度か同じことが繰り返された時、布由は切り出した。

「今度のオフいつ?」

 何かいつも振り回されている、と彼は感じていた。布由は振り回すのは好きだが、振り回されるのは基本的には嫌いなのだ。ここいらで体勢を変えておかないと危険だ、と本能が叫んでいた。

『オフ? ……んー…… あんまり無いんだけど』
「捜して」

 沈黙がある。だが、受話器にぐっと耳を押しあて、耳を澄ましてみれば、向こう側で紙をぱらぱらと繰る音が聞こえた。

『**日』

 え、とさすがに布由は問い返していた。

『**日なら空いてるけど』
「本当?」

 もっともその日、自分が空いているかどうかは布由は確かめていなかった。

「じゃ呑みに行こう」
『呑むのはちょっと』

 ああそう言えば呑めない奴だっけ、と布由は思い出す。

「じゃ遊びにいこう。昼から。それと夕飯。おごるから」
『いいね』

 あっさりと答えが返ってくる。布由はあまりのあっさりさに気が抜けそうだった。
 だが思わず自分の言った言葉を頭の中でくり返してみて赤面する。どうしてそこまで自分が一生懸命にならなきゃならないんだ!

『じゃ**で*時に』

 約束の時間と場所を決めて電話は切られた。途端に布由は脱力する。まるでこれじゃ、中坊高校生の頃に、好きになった女の子をデートに誘う時みたいじゃないか!
 その事実に布由は愕然とする。下手すると、その時以上に緊張していたのではないか、とも思う。
 はあぁぁぁ、と彼はため息をついた。


 
 それまで布由は、ステージだの、雑誌の取材だのでしかHALを見たことがなかった。したがって、何てことないただのシャツとジャケットとジーンズという組合せの相手を見た時には驚き同時に新鮮だった。

「こんな所で待ち合わせなんて、昨今のガキでもしないと思うな」

 さらさらとそんなことを開口一番、HALは待ち合わせの相手に言った。そこは待ち合わせの人が多すぎて、結局待ち合わせに向かないのではないか、と言われている場所でだった。
 だが布由にはすぐに判った。カクテルパーティで呼ばれた自分の名のように、その姿は彼の視界の中に飛び込んできた。
 その頃短い金髪にしていた布由と違い、HALは長く伸ばした焦げ茶の髪を無造作にゆらゆらさせて適当に結んでいるだけだった。だがそれでも目立っている。周囲から浮き上がって見えた。
 とりあえずサングラスをしているが、軽い煙草を喫う時に、ややそれがずれる。そういう時に顔が判るのか、布由は自分の来る前に、何人かの男がHALをナンパしているのを目撃している。そして、

「遅かったじゃん」

 素気なく相手は言った。

「何か言われた?」
「あん?」

 彼はサングラスを取ってジャケットのポケットに入れる。

「別に。ただ邪魔だったから、『おとといきやがれ』とか言ってやっただけ」

 はあ、と布由はため息をつく。言われた側がやや気の毒になった。
 そのくらい横を歩く友人は、「美人」だった。
 ところがこの「美人」は外見と声のギャップが激しい。しかも意外にそういう時には柄が悪いのだ。言葉にどすが利いている。
 布由は彼がメンバー同士で喋っている所を知っているので良かったが、初対面でそれをされたら、確実に10mは退くだろう。

「でも珍しいね、布由くん」
「うん、まあ」

 あいまいに布由は答える。

「何か俺に直接会わなくちゃならない用事あったの?」
「……まあ別に、用事ってほどの用事って訳じゃ」
「あ、でーとのお誘いだったんだ」

 は?

 彼はやや流行とはズレた、一見時代遅れ、なサングラスを掛けていた。それが非常に大きかったので、隠れていたが、その下の目は思いきり開かれていた。

「違うの?」
「……でーとって君ねえ」
「てっきり俺はそうだと思っていたけど? 違うんなら残念」

 あまり背の高い方ではない布由だが、HALはそれよりもさらに小さい。
 ナンパされるのも当然で、そこいらの女の子が高いヒールを履けば軽く抜かされてしまうくらいなのだ。
 しかも奇妙なぐらい華奢である。何となく布由は自分が女の子と歩いているような気分になる。

「残念って」
「俺は結構楽しみにしていたんだけど?」

 結局この声が、全てをかき乱すのだ。

「それはまあ。仲良くしたいとは思っていたけど」
「あ、じゃあやっぱりそれでいいんだ」

 いいんだ、と言われても。布由は返す言葉に困ってしまった。
 実際その後の行動は明らかにデートだった。遊んで、話して、食べて……それから。
 だが何故そうなったのかが、布由にはどうしても思い出せないのだ。
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