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60.「好きなんじゃないの?」

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 真夏のイヴェントの後の打ち上げは、山の中のホテルの、プールの側でバーベキューパーティだった。
 四つのバンドとそのスタッフが入り乱れて、肉を焼く音、野菜を焼く音、煙に乗って漂う香ばしい匂いが、まだやや熱が残るプールサイドのコンクリートの上で混じり合っていた。
 やっほう、とHALは一つのビーチテーブルで食べることに専念している朱明と芳紫に近付いた。

「お、トーキビ入ったんか?」

 とうもろこしやピーマン、しいたけといった野菜が並ぶHALの皿を見て芳紫は目をむく。

「あっちにさっき入ったよ。見てくれば?」

 行ってきまーす、と芳紫は皿と箸を持って立ち上がった。よいしょ、とHALは芳紫が座っていた椅子に掛けた。そしてじっと朱明を見る。何だ何だと朱明は嫌な予感がしつつ様子を見ていると、HALはいきなりむきだしの腕をべし、と打った。

「痛てーっ!!!」

 ぱっと飛び下がって、日焼けした腕を押さえる朱明に、HALはくすくすと笑いながら、あ、やっぱり、とつぶやいた。

「何がやっぱりだよお前…」
「そりゃそうだよな。あんな炎天下にいちゃ」
「悪かったなあ… ったく」
「じゃあ冷やそうか」

 ぴと、と缶ビールを今度は腕につける。今度は冷たすぎるくらいの缶に朱明は驚く。そしてその冷たさは、昼間の悪戯めいた冗談を思い出させる。

「ったくお前は~」
「人のこと言えるの?さっきスタッフにコーラを振ってから渡してたくせに」

 目くそ鼻くそである。
 撫然として朱明は皿の上の物を一気に片付けた。

「いいのか?」
「何が」
「だって今日は奴も居るんだろうに」
「それがどうしたの?」
「ケンカでもしたのか?」
「そんな訳ないじゃない」

 いつものポーカーフェイス。何となく朱明はしゃくにさわる。

「お前な、奴の何処がいいわけ?」
「何処って?」
「や、単なる疑問」  
「布由? いいじゃない。声も姿も、面白いし、前向きだし」
「それだけか?」
「人を恋するのに何の理由がありましょ?」

 こういうことをお天気のようにさらっと言うからこいつは困るんだ、と朱明は頭を抱えたくなった。
 以前彼が、藍地に来たファンレターのことで話をしていたことも思い出す。手紙は相談のようなものだった。
 朱明はそもそもファンレターの相談に対しては、別に答えてもらうことを期待していないんだ、と割り切っている。
 返事が来ることを期待できないファンレターに書いてくるものなど、その類のものではないのだ。書くこと送ることで気分は治まるのだ。その類のことにいちいち気をもむことはない、と彼は思う。
 ところが藍地はそんなことでいちいち悩む。かわいそうだな、からどうしてこんなこと思うんだろうな、までそれは千差万別であったけど。
 その時は、別れた彼がしつこい、という内容だった。
 すると藍地は理解できない、と言った。何が、とHALは訊ねた。藍地はこんな簡単に愛が無くなってしまうのは理解できない、と言った。するとHALはあっさりと言った。

「愛と憎しみは紙一重なんですよ」

 冗談にしてもきつい、と近くで聞いていた朱明は鳥肌半分で思った。こういうことを簡単に言うから、彼の言葉からは次第に重力が消えていくのだった。

「まあそうだけどな」
「だって絶対に俺は奴みたいにはなれないでしょ」

 その前の言葉と同じ重力でHALは言った。だが朱明はその時はっとした。これは本当だ、と訳もなく感じた。

「なれない? 同じヴォーカリストじゃない」
「あほだなあ」

 ぺし、と箸を持ってない方の手で、HALは朱明のおでこを音を立ててはたいた。目を半分伏せたまま、形の良い眉だけ吊り上げる。痛えな馬鹿やろ、と抗議する朱明を無視して、ふっとそのまま彼は視線を横に移した。芳紫が顔全体に笑みを浮かべて戻ってきた。

「あ、芳ちゃんすごいじゃんか」

 彼の皿の上には山と積まれた焼き物があった。

「ふふふふふ。山崩しの帝王と呼んでくれい!」

 暇な時に彼らがやっていた将棋盤を使った遊びの名を出す。確かに芳紫は積まれた将棋の駒を崩さずに取るのが異様に得意だった。
 そしてその話題はそれで打ち切りとなった。  

「あ、そーいやHAL、あっちにBBの連中居たからね」
「ああ、後で行くよ」
「ま、その方がいいかもな」

 何で、と朱明は訊ねた。ん?と芳紫は脂身が半分くらいあるのではないか、と思われる、焦げ目が均等についた肉にかみつきながら横目で朱明を見た。

「んにゃ。ただ連中も忙しそうだったからさ。それにどーせ宿泊先一緒だろうし」

 この友人は何処まで知って、何処まで知らないのだろう、と何となく朱明はうらめしくなる。


 
 散開後、ホテルの部屋に、芳紫ががさがさ音を立てるコンビニエンスの袋を持ってやってきた。

「藍地な、くたびれたから、今日は早く寝たいって言ったから俺代わったんだけど、いいだろ?」

 へえ、と朱明は答えて、何気なくTVのスイッチを入れた。一つ一つ確かめていくと、有料のチャンネルに当たった。まあ別に他に見るものもないし、別にいいか、と彼はそのままにしておいた。金のかかっていないような画面の中に、ぽん、と。

「おおっ巨乳だっ」

 食い入るように芳紫は画面に目をやる。やっぱりそのチャンネルにして正解かな、と朱明は思う。別に彼は同室の人間に気をつかう習性はないが、芳紫のあからさまな態度は面白かった。

「呑むかあ?」
「ウーロン茶くれい」

 ほいよ、と朱明は冷蔵庫の中からウーロン茶の350CC缶を取り出すと芳紫に放った。あっぶないなあ、とつぶやいて彼は受け取る。

「藍地の奴珍しいな、暑気あたりか?」
「んにゃ、それもあるけど、ほれ」

 彼は上を指した。上の階には別のバンドが泊まっている。ああ、と朱明は察した。

「藍地はデリケートだからなあ。ま、もともと眠りにくい人ではあるしな」
「みたいだよな。苦労する奴だよなあ」
「朱明は平気?」
「何が」
「HALさんがさ」
「ああ」

 ビールに口を付ける。TVの画面では小柄なのに胸ばかりがぼんと張り出したアンバランスな少女が白いソックスのところまで下着を下ろされている。張り出した胸は二人の男に掴まれている。

「平気と言うか何というかな…… だいたい芳ちゃんさあ、俺が奴をどう思ってるって思ってるの?」
「好きなんじゃないの?」

 あっさりと言う。あっさりすぎて朱明の方が驚いた。

「どうして」
「そう見えるからそう言っただけ。俺別に裏表ないからね?」
「ああ」

 そう思う。同じあっさりでも、HALのそれがひねくりまわした上のあっさりであるのに対し、芳紫のそれは素直でストレートだった。少なくともそう聞こえた。

「まあ多分な。でも俺、基本的には女が好きだけど?」
「そりゃそおだよ。藍地だってそうだもん。ただたまたまHALさんだっただけでさ」
「つまりはあれが悪いと」
「そおそお。だって俺だって最初はサギだーっ! って思ったもん。何でこの顔でこの姿でこの声なんだって」

 そうだろうな、と朱明も思う。

「でもそもそも俺はぽよんぽよんしている方が好きだから」
「おっぱい星人……」
「そおそお」
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