3days,あるいはまだ見ぬチューリップ~学内暗殺者の悲劇

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
14 / 21

第13話 「何で花壇を踏まなかった?」

しおりを挟む
 「彼」は思わず胸を押さえた。

「それで……あんたは? いやあんたらは『R』のオレをどうしようっていうんだ? ……さっきあんたが撃ったのは何だ? 麻酔か何かだろ? その時オレを殺してしまえば、良かったんじゃないか?」
「間違えるな。お前は死にたいのか? 中里じゃない、お前」

 ぐっ、と「彼」は言葉を飲み込んだ。

「我々は『R』や『B』を消したい訳じゃない。その役割から解放させたいだけなんだ」
「は! そんなこと、できるのかよ」

 「彼」は大きく手を広げ、首を振った。

「少なくとも、お前を抑え込むことはできるさ。……これは、何だと思う?」

 彼女は白衣のポケットから、見覚えのある、赤い小瓶を取り出した。

「何で、それを……」
「我々でも、この程度は、複製することができた。つまり、お前を抑え込むことはできるんだよ。人殺しのできる人格の方、は」
「でも!」

 「彼」は毛布を掴み、ぐい、と上半身を大きく乗り出す。

「あんたはしなかったじゃないか――― 何で? 何で、オレをまた覚まさせたんだよ? 何で?」

 堰を切った様に、「彼」の口から言葉があふれ出した。
 岩室は一歩、「彼」に近づくと、腰をかがめた。上目づかいの視線が、「彼」とぶつかる。
 彼女は口を開いた。
 そしてゆっくりと、低く、だけどはっきりと、「彼」に向けて話しかけた。

「私は聞いてみたかったんだよ、お前に」
「オレに?」

 中里ではなく。

「そう、お前にだ。何でお前、花壇を踏まなかった?」

 ぱりん、と分厚いマグカップが割れた。
 手の中から、コーヒーと血が混じって、クリーム色の毛布にぽたぽたと染みを作った。

「そして今も、そうだ」

 ゆっくりと、骨張った太い指に絡み付く、コーヒーと血を拭き取りながら、彼女は問いかける。

「お前だったら、今この時にも、逆に私を殴り殺して逃げるくらい簡単だろう。なのにお前は、何故それをしない?」

 がちゃ、と膝に乗せられたかけらが音を立てる。

「何でって……」

 接近する白衣。眼鏡の下の目は、まっすぐ「彼」を見据えた。

「お前はいい奴だな。私の知っている、『もう一人』の中では一番いい奴だ」

 そうじゃない、と「彼」は小さくつぶやく。「彼」はそんな言葉が欲しい訳ではないのだ。

「だからこそ、できるだけ、生きて欲しいんだ。……我々は……私は……ただ、お前達を、自由にしてやりたいんだ」
「自由……オレ達、……って? オレと、こいつか?」
「それだけじゃない」

 彼女はきっぱりと言い放ち、ゆっくりと身体を離させた。

「お前と、中里と――― よし野とその母親」

 ―――何故!!

 それまでフレームの内側で様子をうかがっていた中里が、叫んだ。う、と「彼」は唐突な内部からの衝撃に顔をしかめる。

「ターゲットの家族もまた、別働隊によって拉致される。『ターゲットを育ててしまったから』という理由でな。その行く先に関してはまだ把握できていないが、そう、お前達が、自分の家族を失ったように。おい中里、聞いてるか? よし野の母上も、狙われているんだぞ!」

 そんな! と「彼」の中で中里が叫ぶ。
 身体の主導権を握ることができない悔しさが、「彼」の中にも広がってくる。

「だが心配するな。母上は、うちのダンナが保護している。昨日の朝から、拉致隊に先回りしてな」

 ほっとする中里に「彼」も安心する。中里の不安は、「彼」にとっても決して気持ち良いものではないのだろう。

「ぬかりないんだな、あんたらは」
「草の根レジスタンスというものはそういうものだ。それに、お前の知らない『B』やインスペクターについても」

 知ってるのか、と二人が同時に問いかけた。
 岩室はうなづく。そして何とか滑り落ちずにいた折り紙細工の箱をつまみ上げる。

「よし野に昨日、この小さい奴を『お守り』ってことで渡しておいた」

 あああの時か、と中里は思い出す。

「そしてもう一つ。見栄えだけはいい安物のチョコレート。この二つにつけておいたのさ。発信器を」

 岩室はにやり、と笑う。見栄えはいいが、安物の……義理チョコ。

「英語の溝口が、お前らのインスペクターだ。それに奴のお気に入りの女生徒が居たな? そのくらいは覚えているだろう? お前らでも!」
「……ああ…… あの、優等生の……」

 透明な声をした。
 そう言えば、と中里は一つの光景を思い出す。たしかあの女は、授業中、溝口に何かをこっそり渡していた。

「全く、色んなチームがあるものだ。うちのダンナが初めて出会った連中は、好き合っていた『R』と『B』がインスペクターを殺して逃走したらしいよ」

 そんな所もあるのか、と中里は今更の様に思う。本当に、自分は何も知ろうとしていなかったのだ。だがそれは「彼」も同様だった。苦い思いが、二つの意識の中に広がる。
 不意に岩室は「彼」に問いかけた。

「なあ、お前はあの時、私の名を呼んだな?」

 花壇を踏み荒そうとした時。荒そうとして、荒らせなかった時。そう、あの時足を止めたのは、中里ではなかった。「彼」自身だった。
 どうしても、踏めなかった。踏めなかったのだ。
 何故なら。
 「彼」はいつの間にか自分の目から、だらだらと熱く、涙がこぼれ落ちるのを感じていた。
 どうしてなのか、判らない。だがどうしても、止まらない。
 うっうっ、と喉の奥から出る声と共に、うつむいた顔が、肩が、何度も上下する。
 そして、絞り出す様な声で、彼は、告げた。

「……あんたが、……好きなんだ」

 岩室は息を呑む。

「……アイツがあの女のことを好きになるずっと前から、オレはあんたを見てた。あんたと直に、話をしたかった。だけどこいつには―――普段のこいつには、オレの言葉なんか、聞こえやしない。そうなってんだ。そうゆうふうに、なってるんだ。なあ、あんた、何で、こいつに、優しくしてくれたんだ? 放っておいてくれれば、良かったのに」
「放っておけるか」

 まくし立てる「彼」に、ぴしり、と彼女は言った。

「誰も好きで『R』になった訳じゃあない。私の友人もそうだった。……お前は、お前らは、この先も、生きたいんだろ?」
「生きたい」

 地の底から響く様な声で、「彼」はつぶやき、岩室の両手を強く掴んだ。

「もう時間が少ないのは知ってる。だから、その短い時間を、できるだけ、オレは、……あんたを見ていたかった。そのためだったら――― この学校に、居られるのだったら――― あの女なんか、オレには、どうでもイイんだ」

 そして不意に、顔を上げた。

「なあ、どうして、それじゃ、駄目なんだよ!」

 ぱくぱく、と「彼」の口が動く。
 指に力がこもる。だが痛みをもたらすだろうその強さに、岩室は声を立てることはしなかった。

「……なあ…… どうして……」

 「彼」はぎっ、と歯を食いしばる。
 判っては、いるのだ。
 そう、判っている。だってこのひとには、大好きな大好きなダンナが居る。
 いつも中里の奥で、「彼」はこの口調で、だけど明らかにのろけと判る言葉を聞かされてきた。
 知ってる。判ってる。自分が、自分だけが好きでも、どうにもならない。
 奪ってしまえば?
 そんな考えを起こしたことも無くはない。
 一年に一度、自分は解き放たれる。その時、中里の気持ちを無視して、強引に彼女の「最愛のダンナ」を殺して、奪ってしまうこともできたかもしれない。
 だがそうしたら。
 「彼」はあいにく、中里よりずっと察しが良かった。
 きっと自分が大好きな、あのさばさばとした、明るい、身も蓋もないくらいの言葉も表情も、そこで永遠に自分は失ってしまうだろう。
 それだけは、嫌だった。それを失うくらいだったら。

「すまん」

 岩室はゆっくりと「彼」の手を離させた。
 そして今度は彼女の方から、「彼」の背をぐっと抱きしめる。

「私はお前には何もしてやれない。中里に対してなら、できることは少しはある。ほんの少しだが、それでも確実に、ある。だが今の私には、我々には、お前には、何もできないんだ」

 腕に込められた力が強くなるのを、「彼」は感じた。

「でも一つだけ言える。私は、お前と話せて良かった」

 身体機能を上げ、その代わりにその寿命を縮めてしまう、その最初の処置。それは単に「凶暴な性格」を引き出すだけのものではないのだ。「彼」の存在は、それを岩室に伝えていた。

「我々は、一刻も早くお前を、お前の様な奴を元に戻す方法を、見付けたい。だけど今のお前には、どうしても、間に合わない。……すまない」
「……もういいよ」
 
 「彼」は岩室をそっと押し戻す。

「岩室さん、オレに『R』をくれ。……あんたは―――あんたが、あの親子を助けたいんだろ」

 喉の奥の奥から、絞り出す様な声だった。震えて、今にも、かすれて消えてしまいそうな声だった。

「……お前」
「だったらそれは、あいつに任せる。オレはあの女のために動く気は無い。あの女のために動くのだったら、あいつのほうがいい。どれだけ気が弱かろうが、度胸が無かろうが―――それは、あいつの役目だ」
「……なあ、お前は、よし野のことは、嫌いか?」

 「彼」は軽く目を伏せ、首を横に振った。

「岩室さん、……嫌いとかそういうのじゃないよ。ただオレは、あんたが、好きなんだ―――それだけだ。……それだけなんだよ」

 そうか、とつぶやき、彼女は小さくうなづいた。
 そして眼鏡を外すと、「R」を一粒口に含む。
 ベッドの両脇に手をつくと、彼女は「彼」の頬を両手でくるんだ。

「すまない―――ありがとう」

 最初で最後だ、と「彼」は目を閉じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

処理中です...