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第16話 「お前に言われて、答えるようならね」

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「そういうもんですか?」
「大抵の奴は、『一番』が何なのかも判らないままに、適当に仕事決めて、その中でまあ何かやること、捜して行こうと思うじゃない。で、仕事の中に無ければ、趣味でもいいし。ともかく、そんな強烈な『一番』なんて、そうそうねえんだよ」
「はあ」

 と言われても。ダイスにしてみれば、「一番」であるベースボールが「在る」ので、「無い」人々の気持ちの方が、予想できない。

「だいたいさ、お前、今そうやって悩むくらいだったら、それこそ今まで、ずいぶん楽に楽に好きなことやってこれたんだ、って、俺だったら思うぜ?」
「けど!」

 反論できる材料は無い。だがそれでも、と彼は声を張り上げた。しかしストンウェルの指摘は続く。

「端から見りゃあそうさ。そりゃまあ、それはそれで気苦労がつのるんだろうがな。例えば、ほれ」

 彼は向こう側で本日の先発のマッシュの投球練習に付き合っている、ヒュ・ホイを指さす。

「奴はさ、今までずーっと、企業の、金にもならない野球ばっかりやってきたんだよな。奥さんと子供居るから生活かかってるし、だけど野球はしたいから、毎日毎日、仕事終わってからの練習やら、日曜日潰しての試合やら。奴も大変だったけど、家族も大変だったろうな」
「はあ」

 妻子持ちだ、ということは知っていたけど。だから給料がどうの、と言っていたけれど。

「んでもって、テディのマルミュット星域ってのは、かーなーりー、こっちと比べると生活水準が低くてなー」
「そうなんですか?」
「そうだよ。重力のせいで、開発コストがかかるから、って色んな設備投資がされてこなかった惑星だからな。今でも一番盛んなのは、農業ってことだぜ。で、そうでなければ『出稼ぎ』だ」

 彼の明るさを見ると、とてもそんな苦労人には見えないのだが。

「よく言ってるじゃねえの。『働かざる者食うべからず』って。アレ、奴の惑星では死活問題なんだぜ」
「はあ……」

 ダイスはそう答えるしかなかった。

「でも奴はどうしてもベースボールをしたかったから、もう根性で捜したらしいぜ。ベースボールもできる仕事場、って奴。それこそ、ホイの様な感じでも、奴には御の字だったんじゃねえの?」

 だから今は一分一秒が楽しいのだろうか、とダイスは思う。

「ミュリエルだってなー…… だいたい奴、博士号持ってるんだぜ? それもちゃんと帝立大学で」
「げげげ」

 帝都本星にある帝立大学は、それこそ全ての星系の学問の頂点にある「学都」でもあった。そこで博士号を取るなんて、とんでもないことである。

「ところが気分転換のために始めたはずのベースボールにのめり込んじまって。監督やりたくて、実業学校の講師になってやがるんだぜ。あの『先生』は」

 はあ、とダイスはため息をついた。これがつかずにいられようか。

「まあ俺は恵まれてる方だよな。と言うのも俺のこの黄金の腕で……」
「ストンウェルさんの輝かしい経歴については、こないだ『Photo&Sports』のバックナンバー見ましたよ」
「おや」

 にやり、とストンウェルは笑う。

「なら別に俺に関しては言うことは無いな。で、たぶん、お前、一番聞きたいのはマーティだろ」

 図星だった。

「ま、奴も色々あるんだろうなあ」
「え? ストンウェルさんでも、知らないんですか?」
「俺だったら、って言われるのはとーっても嬉しいんだがな、奴についてだけは、誰も知らないよ。残念ながらな」

 へへへ、と彼は笑った。残念ながら。

「ストンウェルさんでも、なんですか?」

 ダイスは重ねて訊ねた。すると相手は、少しだけ情けなさそうに眉を寄せた。

「あのねダイちゃん、俺だって、知らないものは知らないの。俺が知ってるのは、レーゲンボーゲンに奴が居た、ということだけ。その前のことは、結局、奴以外知らないさ。でもそれ以上のことは、別に必要じゃないだろう?」
「じゃあ俺が聞いても、いいですか?」

 思わずダイスは、そう問いかけていた。

「お前に言われて、答えるようならね。あのひとは俺のものじゃないし」

 ん? とその時の残念そうな表情が、やや彼には気になった。

「それに、俺が口出しするようなことじゃないだろ」

 そして明らかにその表情には、無理だろう、という含みがあった。ダイスはさすがにその表情にはむっとくる自分を感じていた。

「判りました。ありがとうございます。失礼します」

 先輩に、軽く一礼する。

「何処行くの? ダイちゃん」
「トイレです!」

 その呼ばれ方は、あまりストンウェルからはしたくなかった。
 彼は足早に投球練習場のネットをくぐると、宣言した通り、トイレに向かった。
 少しばかり、一人になりたかったのだ。
 慣れない球場である。あちこちを確認しながら廊下を歩いていると、ダイスは今朝の営業社員ととすれ違った。

「あ、こんにちは。えーと」
「スロウプです。アプフィールドさん」

 ああ君が、と営業社員は大きくうなづいた。

「そうそうそうそう、スロウプ君だ。俺、君が中等/実業リーグで投げるの、見たことあるよ、すげえ速球で、ほら、よく『怪物』って言われてたろ。何かそれってホントだなあって思ったもん…… おっと、ごめん」
「いいですよ」

 勢い良くまくし立てる相手に、思わずダイスは笑みを浮かべていた。何せ、相手ときたら、ほとんど歯をむき出しにする勢いで笑うのだ。そこまでされたら、つられずにはいられる奴はいないだろう。

「突然のお仕事で、どうもすみませんでした」
「君が何、謝ることあるの」
「だって元々、俺が言い出したから」
「何言ってんの! 君が言い出したことは、それはそれで大事なんだよ? 誰も何も気付かず、うちの大切な選手がケガでもしたらねそれこそ一大事…… あ!」

 アプフィールドは天井を見上げた。

「どうしたんですか?」
「そうそう、俺こんなことしている場合じゃないんだ。さっき、球場に遅れて入るって言ってきた、マッシュが、投球練習中に、足を滑らせて、ひねって救護室に運ばれたんだ!」
「え、マッシュが」

 数秒、俺はその言葉の意味を考える。

「えええええええっ! ちょっと待って下さいよ! 彼今日、先発じゃないですか!」

 ダイスは思わず叫んでいた。
 そう、ストンウェルは外部入団の先発だが、マッシュは古参の先発投手だった。つまり、サンライズがプロ球団として認められる前から、ここで先発投手を張っていたベテランなのだ。
 速さよりは、重い球でよく知られている。しかし、その一方で、一本気で応用が効かないところから「石頭」とも言われているらしい。

「大変じゃないですか……」
「そうなんだよ。本当に、大変なんだ。だから俺は、その知らせを受けたから、監督に知らせに行かないと…… ああそれにまだ、見回らないといけないとこがあるし」
「じゃあ俺、監督に伝えてきましょうか?」
「いいのかい? 練習は」
「いや、今トイレに出たとこなんですよ。休憩中。伝える分だったら……」

 それに今日も俺は出番は無いだろうし。
 さすがに彼も、その言葉は飲み込んだ。
 アプフィールドはそんなダイスの内心に気付いただろうか。

「じゃあ、頼むよ」

 そう言って、両手で両肩を叩いた。何って力だ、本当に、スポーツか何かやっていたのではないか、と彼は反射的に思った。
 全く、投手の肩に何ってことをするんだ、と。
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