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第9話 彼の目の前に、朱が広がった。

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 それからのことは、半ば意識の無い状態の彼を人形の様に引き回しては、行われていた。
 軍事法定の裁判長は、彼に銃殺刑を命じた。
 それは彼にとって、遠くの出来事のように聞こえた。半分は投与された薬のせいでもあるが、彼自身の衝撃もまた強すぎた。
 だが、彼は自分が法廷から連れ出される際に、次の番として宣告される人物達を見て頭から水をかけられたような気がした。目が覚めた。
 彼の部下であった下士官五人が、揃って法廷に引き出されている。それを彼はそれまで知らなかった。自分の宣告を夢の中のように聞いていた彼も、その時には正気に戻った。

 彼らが何をしたって言うんだ?

 無論自分に関してもそうは思う。だが自分に関しては、多少なりとも彼は自分の甘さを感じていた。
 自分はずっと、ローズ・マダーやコーラルの態度に違和感を感じていた。感じていたはずなのに、何もせず、ただ事態に身を任せていた。
 自分の甘さを痛感した。そして家が、家族が焼けてしまったということもあり、彼はそのまま終わってしまうのも仕方がない、と考え出していた。

 だが。
 下士官の彼らは。

 彼らは馬鹿正直に、熱に浮かされただけではないか。疑問を持っていた自分と違って、奴等の言うことに従っていたじゃないか。なのにそれが自分の部下であるからと言うだけで。

 何とかしなくてはならない。

 彼は思った。

 何とかしなくては―――



 何とかしなくては。
 当時は地元軍の中央施設だった10階建てのビルの地下から脱出した時、彼の頭にはその言葉だけが渦巻いていた。
 彼自身は脱出に成功した。
 このまま逃げればいい、と思った。捕まれば死が待っている。だったら死んだ気で逃走すれば。さすがに彼も一瞬そう思った。

 だが。

 五人の部下の姿が脳裏に浮かんだ。

 処刑は正午だった。ひどくいい天気だった。真っ青な空が、木々の赤と強烈なコントラストをなしていた。
 だが彼にそれを見るだけの余裕はなかった。彼はその時間が迫る刑場に乗り込んだ。
 刑場には銃殺のための兵士と共に、不安と興奮の入り交じった色の染まった人々を、もしものために押さえ込むための機動隊が揃えられていた。
 彼らの手には、手には通常の歩兵銃だけでなく、騒乱用の催涙弾、煙幕、放水隊、果てには火炎放射器まで揃えられていた。
 そしてギャラリーも。
 見せしめのため、とは誰へ対してのものだったのか。銃殺の広場にしつらえられた天幕の中には、確かにやんごとない人物が座しているのが判る空間が見受けられた。
 無論その時の彼は、そんなことは知らなかったし、どうでもよかった。
 やんごとない人物は、顔を扇で覆ったまま、黒い長い髪をなびかせてその場に案内されていた。

 正午の合図と共に、それは行われることになっていた。
 三分前だった。準備は完了していた。全体に緊張が走った。
 
 その時彼が、その場に飛び込んだ。

 兵の一人から銃をもぎ取ると、銃殺隊にまず打ち込んだ。
 年老いた指揮官は、その時一体何が起きたのか、把握できないようだった。決して長い軍歴はこの場合、年の功とはならなかった。

「何をしてる!撃て!」

 そしてその代わりに、そこで声を張り上げたのはローズ・マダーだった。困惑している表情が彼の目にはクローズアップされる。

「ローズ・マダー! この裏切り者!」

 叫んでいた。
 次の瞬間、腕に熱い線が走った。弾丸がかすめる。
 銃を撃ちながら彼は後ろ向きに走り、つながれている部下の元へ向かった。彼らは目隠しをされ、柱に手と足をつながれている。だがそれはワイヤーではない。ただのロープだ。

「何が」

 目隠しをされたままでも、一人が異変に気付いたのか、きょろきょろと首を動かしている。彼はそれに向かって叫んだ。

「待ってろ! 今助ける!」
「中尉! 中尉ですか!」

 驚きと喜びが混じった声だった。だが彼はそれには答えず、右手で連続に切り換えた銃を撃ちながら、左手で部下を縛り付けていたロープを切った。そしてそのナイフは部下に渡す。
 だがその間にも、弾丸は次々に飛んできていた。
 既に五人のうち一人は、その弾丸に撃ち抜かれて息絶えていた。そして彼自身の身体にも、急所ではないにせよ、数発がめり込んでいた。

 やばいな。

 痛みは、気付いた時にその力を発揮する。汚れた服に、血がだらだらと流れ始めていた。
 時間の問題だった。
 数が違いすぎるのだ。どだい無理と言えば無理だったのだ、と彼の中でつぶやく者が居る。

 無理だよ。もう止めときな。

 それもいいかな、と考えた時だった。彼の視界に、ローズ・マダーとコーラルの姿が入った。
 残っていた血が、逆流する。奴らだけは、生かしてはおけなかった。

「中尉!」

 連射の音が耳に入る。
 最初に助けた部下が、自分の前で跳ね上がった。血吹雪を上げていた。霧の様に、ねっとりと自分の頬に降りかかる。それは最後の部下だった。
 彼にはもうすることは一つしかなかった。
 その場に倒れた部下の手から銃を取ると、最後のカートリッジを入れて走った。ローズ・マダーとコーラルの方へ。
 自分の喉の奥から、強烈な声が出ていることに彼は気付いていた。
 ひっ、とその勢いに思わず身をかわそうとする兵士の姿がある。慌てて引き金を引く姿がある。
 だがそんなことは彼にはどうでもよかった。
 視界には、二人の姿しか入らなかった。近くで興味深げに見ているやんごとない人物の姿も、何も。
 突入してくるその勢いに、元々同僚である兵士達はとうとう怯えた。思わず逃げ腰になる。
 その姿を見て、ローズ・マダーは一人から銃をもぎ取っていた。そしてそれが何の銃であるか、当の本人は、全くその時意識になかった。

「貸せ!」
「ローズ・マダー! お前はぁぁ!」

 血にまみれた形相が、襲いかかってくる! ローズ・マダーは無意識に引き金を引いていた。 

「***来るなあっっっ!」

 ―――火炎放射器だった。

 彼の目の前に、朱が広がった。
 強烈な熱が、全身を襲った―――
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