9 / 16
第9話 相撲の試合後、帝は涼に琴を命じる
しおりを挟む
そうこうしているうちに、左右を決する試合が始まることとなった。
ということで、左方からは、名だたる「下野のなみのり」が出てきた。
なみのりは今まで三回上京しては、相撲の試合に出ている。
だがその中の一回は、あまりにも強すぎて、相手が居なくて帰ってしまったという天下の強者である。左方の相撲人の中で、なみのりの相手になる者は居ないのだ。
正頼はここ一番では彼しかない、とばかりになみのりを出してきた。
「今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って奮戦するだろう」
正頼はそう思う。
一方右方は「ゆきつね」を頼りにするしかなかった。皆神仏に祈願を立て「勝たせ給え」と念じていた。
人々は思う。
「今回の相撲の勝ち負けが決まらないと、きりが無い。まさにこの二人の最手で決まるのだな」
帝はその様子を見て命ずる。
「左方にせよ、右方にせよ、今日勝った方は、ここに参上している人を分けて、負け方の司や官人を送りなさい」
よし、とばかりに最後の勝負が始まった。
―――左が勝った。
勝った左方から、四十人の舞人が出てきて、御前に出て舞いを始めた。
それを皮切りに、楽人など、皆一斉に管弦の遊びを始め、その場は大騒ぎとなった。
正頼は杯をなみのりに渡す。そして自分の袙を脱いで、褒美として取らせた。
相撲の結果を満足そうに帝は見る。
「近年、嵯峨院の御時にも、私が即位してからも、見所のある行事はさほどになかったが、今日の相撲は非常に面白かったな。現在の左右大将達のおかげだろう」
そう一人、つぶやく。
「後の人々に、仁寿殿の相撲の節は吹上の九月九日に匹敵すると言わせたいものだ」
それを聞きつけた東宮が口を挟む。
「何と言っても、今日のこれこそは、と思われたことは左右大将以外の人達には出来ませんよ。多くの者に勝っている、天下のあらゆる物事が今日は出尽くしたと思われます」
「それで終わりのつもりか?」
「いいえ」
東宮はふっと笑う。
「仲忠や涼なら大将達のしたこととは違う、それでいて素晴らしいことをすることでしょう」
は、と帝は軽く口元を上げる。
「彼らは手強い。そう簡単には我々とて、動かせるものでもなかろう。とは言え、いつもいつも断られているというのも癪に障るな。ともかく涼を呼ぶがいい」
帝がそう言うと、すぐに涼が呼ばれて来る。
「何か」
「おお、涼。今日の相撲の節は素晴らしいものだったな」
「は。非常に面白うございました」
「そうだろうそうだろう」
帝は大きくうなづく。
「いつもの節会よりずっと面白い日だ。そこで、だ」
ほら来た、と涼は思った。彼は自分が呼ばれた時から嫌な予感がしていた。
「もう一つ面白いことをして、出来ることなら後代の手本とできたら、と思うのだ。人がそうそうしない様なことをしたい。そこでそなたともう一人を思い出した」
仲忠のことだな、と涼はすぐに気付く。
「院がそなたの所を訪れた時の九日の催しは、唐土にもそうそう無い珍しい例となった。今日のこの節会もぜひそうさせたいものだ」
「はあ……」
「そこで、だ。そなたがあの日弾いたという琴を」
「それは」
「院の前で弾けて、私の前では困るというのか?」
くく、と帝は笑う。困った、と涼は思う。
「無論帝の仰せなら何でもお応えしたいと思います。ですがここしばらく、あの折りに弾いた琴は今後は弾くまいと決心致しまして……」
「ほぉ、それはまたどういう」
「精進しなくては、と。心を入れ替えて、それまでの技術も全て捨ててしまったので、ここでご披露できる様な手はまるで覚えておらず……」
「何を言っている。そういうことは私に言うべきことではない。ああ全く、仲忠もそなたも山賎《やまかつ》共にも等しい奴だな。それではそういう者達の言葉は今後聞かないことにしよう」
涼は困った。
無論帝の言い方からして戯れ言であるのは判っているのだが、仲忠の普段の態度が態度である。帝はおそらくそれを思い出してやや苛つくのだろう。
「いえ、少しでも思い出すことができるのなら、お弾き致します。ただ、さっぱりかけ離れてしまって」
「涼よ」
ずい、と帝は軽く涼に迫る。
「そなたが拒めば拒むだけ、私は仲忠の琴をも聴けなくなるのだよ。あれはともかく私の言うことは聞かない。琴を弾く者の性状だとは思ってはいるのだが――― そなたはどうなのだ? あれの琴は聞きたくは無いのか?」
聞きたい。涼は思う。箏ではなく琴。あの人々の心を幻の中に陥れる様な琴をまた聞きたいとは思う。
だが一方で「それは危険だ」と警告する声もある。
仲忠は自分の琴の持つ力を知っていて、自重している。だがその意味を帝をはじめ、誰も判らない。
そしてそれは、自分の口から言うべきものでもない。涼は思う。
帝はそんな涼の思いには構わず、続ける。
「弾く曲を覚えていないで全く不安であるのは当然のことだろう。だがそもそもそなたには深い才があるのだから、琴に向かって手を触れさえすれば、自然に思い出してくるものではないのか?」
「……」
「半分くらいは覚えていよう?」
そう言って帝は側にあった「六十調」という琴を胡笳《こか》の調子にして差し出し、命じた。
「胡茄の声で折り返して、笛に遭わせて弾きなさい。そなたの師、弥行いやゆきから伝えられた『このは』を琴の音の出る限り弾くのだ」
「困ります。一向に他の手など、まして胡茄の手など…… どうぞ、この調をやめて、元に戻して下さい」
「まだ言うか」
微妙に帝の声に怒りが混じる。まずい、と思った瞬間だった。
「―――仲忠となら」
涼の唇から一つの名がこぼれた。
「仲忠の朝臣が一緒でございましたなら、彼の弾く調子に、失われた記憶も僅かながらに思い出すことでしょう」
なるほど、と帝はにやりと笑う。
「あれとて、涼、そなたが一緒に弾くというならばその気にもなるかもな」
それはいいかもしれない、と帝はうなづく。
「仲忠は何処だ?」
ということで、左方からは、名だたる「下野のなみのり」が出てきた。
なみのりは今まで三回上京しては、相撲の試合に出ている。
だがその中の一回は、あまりにも強すぎて、相手が居なくて帰ってしまったという天下の強者である。左方の相撲人の中で、なみのりの相手になる者は居ないのだ。
正頼はここ一番では彼しかない、とばかりになみのりを出してきた。
「今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って奮戦するだろう」
正頼はそう思う。
一方右方は「ゆきつね」を頼りにするしかなかった。皆神仏に祈願を立て「勝たせ給え」と念じていた。
人々は思う。
「今回の相撲の勝ち負けが決まらないと、きりが無い。まさにこの二人の最手で決まるのだな」
帝はその様子を見て命ずる。
「左方にせよ、右方にせよ、今日勝った方は、ここに参上している人を分けて、負け方の司や官人を送りなさい」
よし、とばかりに最後の勝負が始まった。
―――左が勝った。
勝った左方から、四十人の舞人が出てきて、御前に出て舞いを始めた。
それを皮切りに、楽人など、皆一斉に管弦の遊びを始め、その場は大騒ぎとなった。
正頼は杯をなみのりに渡す。そして自分の袙を脱いで、褒美として取らせた。
相撲の結果を満足そうに帝は見る。
「近年、嵯峨院の御時にも、私が即位してからも、見所のある行事はさほどになかったが、今日の相撲は非常に面白かったな。現在の左右大将達のおかげだろう」
そう一人、つぶやく。
「後の人々に、仁寿殿の相撲の節は吹上の九月九日に匹敵すると言わせたいものだ」
それを聞きつけた東宮が口を挟む。
「何と言っても、今日のこれこそは、と思われたことは左右大将以外の人達には出来ませんよ。多くの者に勝っている、天下のあらゆる物事が今日は出尽くしたと思われます」
「それで終わりのつもりか?」
「いいえ」
東宮はふっと笑う。
「仲忠や涼なら大将達のしたこととは違う、それでいて素晴らしいことをすることでしょう」
は、と帝は軽く口元を上げる。
「彼らは手強い。そう簡単には我々とて、動かせるものでもなかろう。とは言え、いつもいつも断られているというのも癪に障るな。ともかく涼を呼ぶがいい」
帝がそう言うと、すぐに涼が呼ばれて来る。
「何か」
「おお、涼。今日の相撲の節は素晴らしいものだったな」
「は。非常に面白うございました」
「そうだろうそうだろう」
帝は大きくうなづく。
「いつもの節会よりずっと面白い日だ。そこで、だ」
ほら来た、と涼は思った。彼は自分が呼ばれた時から嫌な予感がしていた。
「もう一つ面白いことをして、出来ることなら後代の手本とできたら、と思うのだ。人がそうそうしない様なことをしたい。そこでそなたともう一人を思い出した」
仲忠のことだな、と涼はすぐに気付く。
「院がそなたの所を訪れた時の九日の催しは、唐土にもそうそう無い珍しい例となった。今日のこの節会もぜひそうさせたいものだ」
「はあ……」
「そこで、だ。そなたがあの日弾いたという琴を」
「それは」
「院の前で弾けて、私の前では困るというのか?」
くく、と帝は笑う。困った、と涼は思う。
「無論帝の仰せなら何でもお応えしたいと思います。ですがここしばらく、あの折りに弾いた琴は今後は弾くまいと決心致しまして……」
「ほぉ、それはまたどういう」
「精進しなくては、と。心を入れ替えて、それまでの技術も全て捨ててしまったので、ここでご披露できる様な手はまるで覚えておらず……」
「何を言っている。そういうことは私に言うべきことではない。ああ全く、仲忠もそなたも山賎《やまかつ》共にも等しい奴だな。それではそういう者達の言葉は今後聞かないことにしよう」
涼は困った。
無論帝の言い方からして戯れ言であるのは判っているのだが、仲忠の普段の態度が態度である。帝はおそらくそれを思い出してやや苛つくのだろう。
「いえ、少しでも思い出すことができるのなら、お弾き致します。ただ、さっぱりかけ離れてしまって」
「涼よ」
ずい、と帝は軽く涼に迫る。
「そなたが拒めば拒むだけ、私は仲忠の琴をも聴けなくなるのだよ。あれはともかく私の言うことは聞かない。琴を弾く者の性状だとは思ってはいるのだが――― そなたはどうなのだ? あれの琴は聞きたくは無いのか?」
聞きたい。涼は思う。箏ではなく琴。あの人々の心を幻の中に陥れる様な琴をまた聞きたいとは思う。
だが一方で「それは危険だ」と警告する声もある。
仲忠は自分の琴の持つ力を知っていて、自重している。だがその意味を帝をはじめ、誰も判らない。
そしてそれは、自分の口から言うべきものでもない。涼は思う。
帝はそんな涼の思いには構わず、続ける。
「弾く曲を覚えていないで全く不安であるのは当然のことだろう。だがそもそもそなたには深い才があるのだから、琴に向かって手を触れさえすれば、自然に思い出してくるものではないのか?」
「……」
「半分くらいは覚えていよう?」
そう言って帝は側にあった「六十調」という琴を胡笳《こか》の調子にして差し出し、命じた。
「胡茄の声で折り返して、笛に遭わせて弾きなさい。そなたの師、弥行いやゆきから伝えられた『このは』を琴の音の出る限り弾くのだ」
「困ります。一向に他の手など、まして胡茄の手など…… どうぞ、この調をやめて、元に戻して下さい」
「まだ言うか」
微妙に帝の声に怒りが混じる。まずい、と思った瞬間だった。
「―――仲忠となら」
涼の唇から一つの名がこぼれた。
「仲忠の朝臣が一緒でございましたなら、彼の弾く調子に、失われた記憶も僅かながらに思い出すことでしょう」
なるほど、と帝はにやりと笑う。
「あれとて、涼、そなたが一緒に弾くというならばその気にもなるかもな」
それはいいかもしれない、と帝はうなづく。
「仲忠は何処だ?」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

うつほ物語③~藤原仲忠くんの結婚・新婚ものがたり
江戸川ばた散歩
歴史・時代
古典「うつほ物語」の「田鶴の村鳥」「蔵開」の部分にあたります。
藤原仲忠くんの、今上の女一宮との結婚とその新婚生活、生まれた京極の屋敷跡で見つけた蔵の中にあった祖父の古い日記に書かれていた波瀾万丈な出来事を帝の前で講読する……
そして何と言っても、待望の彼の娘が生まれます。
何とか落ち着いた仲忠くんのそれなりに幸せなおはなし。

うつほ物語~藤原仲忠くんの平安青春ものがたり
江戸川ばた散歩
歴史・時代
「源氏」以前の長編古典ものがたり「うつほ物語」をベースにした、半ば意訳、半ば創作といったおはなし。
男性キャラの人物造形はそのまま、女性があまりにも扱われていないので、補完しつつ話を進めていきます。

うつほ物語④次の東宮はどの女君の産んだ宮?そして巻き込まれたくない藤原仲忠くん。
江戸川ばた散歩
歴史・時代
古典「うつほ物語」の「国譲」上中下巻にあたる部分にあたります。
東宮に譲位を考える帝、では次の東宮は誰になるのか?
その選択がその後の宮廷内の勢力を左右する……
にも関わらず、何やらそういう騒ぎにはできるだけ巻き込まれたくないよー、という仲忠くん達。
女一宮の間にも二人目の子供が! この時点におけるクライマックスのおはなしです。
新規訳につき、一話あたり短めの連載いたします。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中

空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる