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第9話 相撲の試合後、帝は涼に琴を命じる
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そうこうしているうちに、左右を決する試合が始まることとなった。
ということで、左方からは、名だたる「下野のなみのり」が出てきた。
なみのりは今まで三回上京しては、相撲の試合に出ている。
だがその中の一回は、あまりにも強すぎて、相手が居なくて帰ってしまったという天下の強者である。左方の相撲人の中で、なみのりの相手になる者は居ないのだ。
正頼はここ一番では彼しかない、とばかりになみのりを出してきた。
「今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って奮戦するだろう」
正頼はそう思う。
一方右方は「ゆきつね」を頼りにするしかなかった。皆神仏に祈願を立て「勝たせ給え」と念じていた。
人々は思う。
「今回の相撲の勝ち負けが決まらないと、きりが無い。まさにこの二人の最手で決まるのだな」
帝はその様子を見て命ずる。
「左方にせよ、右方にせよ、今日勝った方は、ここに参上している人を分けて、負け方の司や官人を送りなさい」
よし、とばかりに最後の勝負が始まった。
―――左が勝った。
勝った左方から、四十人の舞人が出てきて、御前に出て舞いを始めた。
それを皮切りに、楽人など、皆一斉に管弦の遊びを始め、その場は大騒ぎとなった。
正頼は杯をなみのりに渡す。そして自分の袙を脱いで、褒美として取らせた。
相撲の結果を満足そうに帝は見る。
「近年、嵯峨院の御時にも、私が即位してからも、見所のある行事はさほどになかったが、今日の相撲は非常に面白かったな。現在の左右大将達のおかげだろう」
そう一人、つぶやく。
「後の人々に、仁寿殿の相撲の節は吹上の九月九日に匹敵すると言わせたいものだ」
それを聞きつけた東宮が口を挟む。
「何と言っても、今日のこれこそは、と思われたことは左右大将以外の人達には出来ませんよ。多くの者に勝っている、天下のあらゆる物事が今日は出尽くしたと思われます」
「それで終わりのつもりか?」
「いいえ」
東宮はふっと笑う。
「仲忠や涼なら大将達のしたこととは違う、それでいて素晴らしいことをすることでしょう」
は、と帝は軽く口元を上げる。
「彼らは手強い。そう簡単には我々とて、動かせるものでもなかろう。とは言え、いつもいつも断られているというのも癪に障るな。ともかく涼を呼ぶがいい」
帝がそう言うと、すぐに涼が呼ばれて来る。
「何か」
「おお、涼。今日の相撲の節は素晴らしいものだったな」
「は。非常に面白うございました」
「そうだろうそうだろう」
帝は大きくうなづく。
「いつもの節会よりずっと面白い日だ。そこで、だ」
ほら来た、と涼は思った。彼は自分が呼ばれた時から嫌な予感がしていた。
「もう一つ面白いことをして、出来ることなら後代の手本とできたら、と思うのだ。人がそうそうしない様なことをしたい。そこでそなたともう一人を思い出した」
仲忠のことだな、と涼はすぐに気付く。
「院がそなたの所を訪れた時の九日の催しは、唐土にもそうそう無い珍しい例となった。今日のこの節会もぜひそうさせたいものだ」
「はあ……」
「そこで、だ。そなたがあの日弾いたという琴を」
「それは」
「院の前で弾けて、私の前では困るというのか?」
くく、と帝は笑う。困った、と涼は思う。
「無論帝の仰せなら何でもお応えしたいと思います。ですがここしばらく、あの折りに弾いた琴は今後は弾くまいと決心致しまして……」
「ほぉ、それはまたどういう」
「精進しなくては、と。心を入れ替えて、それまでの技術も全て捨ててしまったので、ここでご披露できる様な手はまるで覚えておらず……」
「何を言っている。そういうことは私に言うべきことではない。ああ全く、仲忠もそなたも山賎《やまかつ》共にも等しい奴だな。それではそういう者達の言葉は今後聞かないことにしよう」
涼は困った。
無論帝の言い方からして戯れ言であるのは判っているのだが、仲忠の普段の態度が態度である。帝はおそらくそれを思い出してやや苛つくのだろう。
「いえ、少しでも思い出すことができるのなら、お弾き致します。ただ、さっぱりかけ離れてしまって」
「涼よ」
ずい、と帝は軽く涼に迫る。
「そなたが拒めば拒むだけ、私は仲忠の琴をも聴けなくなるのだよ。あれはともかく私の言うことは聞かない。琴を弾く者の性状だとは思ってはいるのだが――― そなたはどうなのだ? あれの琴は聞きたくは無いのか?」
聞きたい。涼は思う。箏ではなく琴。あの人々の心を幻の中に陥れる様な琴をまた聞きたいとは思う。
だが一方で「それは危険だ」と警告する声もある。
仲忠は自分の琴の持つ力を知っていて、自重している。だがその意味を帝をはじめ、誰も判らない。
そしてそれは、自分の口から言うべきものでもない。涼は思う。
帝はそんな涼の思いには構わず、続ける。
「弾く曲を覚えていないで全く不安であるのは当然のことだろう。だがそもそもそなたには深い才があるのだから、琴に向かって手を触れさえすれば、自然に思い出してくるものではないのか?」
「……」
「半分くらいは覚えていよう?」
そう言って帝は側にあった「六十調」という琴を胡笳《こか》の調子にして差し出し、命じた。
「胡茄の声で折り返して、笛に遭わせて弾きなさい。そなたの師、弥行いやゆきから伝えられた『このは』を琴の音の出る限り弾くのだ」
「困ります。一向に他の手など、まして胡茄の手など…… どうぞ、この調をやめて、元に戻して下さい」
「まだ言うか」
微妙に帝の声に怒りが混じる。まずい、と思った瞬間だった。
「―――仲忠となら」
涼の唇から一つの名がこぼれた。
「仲忠の朝臣が一緒でございましたなら、彼の弾く調子に、失われた記憶も僅かながらに思い出すことでしょう」
なるほど、と帝はにやりと笑う。
「あれとて、涼、そなたが一緒に弾くというならばその気にもなるかもな」
それはいいかもしれない、と帝はうなづく。
「仲忠は何処だ?」
ということで、左方からは、名だたる「下野のなみのり」が出てきた。
なみのりは今まで三回上京しては、相撲の試合に出ている。
だがその中の一回は、あまりにも強すぎて、相手が居なくて帰ってしまったという天下の強者である。左方の相撲人の中で、なみのりの相手になる者は居ないのだ。
正頼はここ一番では彼しかない、とばかりになみのりを出してきた。
「今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って奮戦するだろう」
正頼はそう思う。
一方右方は「ゆきつね」を頼りにするしかなかった。皆神仏に祈願を立て「勝たせ給え」と念じていた。
人々は思う。
「今回の相撲の勝ち負けが決まらないと、きりが無い。まさにこの二人の最手で決まるのだな」
帝はその様子を見て命ずる。
「左方にせよ、右方にせよ、今日勝った方は、ここに参上している人を分けて、負け方の司や官人を送りなさい」
よし、とばかりに最後の勝負が始まった。
―――左が勝った。
勝った左方から、四十人の舞人が出てきて、御前に出て舞いを始めた。
それを皮切りに、楽人など、皆一斉に管弦の遊びを始め、その場は大騒ぎとなった。
正頼は杯をなみのりに渡す。そして自分の袙を脱いで、褒美として取らせた。
相撲の結果を満足そうに帝は見る。
「近年、嵯峨院の御時にも、私が即位してからも、見所のある行事はさほどになかったが、今日の相撲は非常に面白かったな。現在の左右大将達のおかげだろう」
そう一人、つぶやく。
「後の人々に、仁寿殿の相撲の節は吹上の九月九日に匹敵すると言わせたいものだ」
それを聞きつけた東宮が口を挟む。
「何と言っても、今日のこれこそは、と思われたことは左右大将以外の人達には出来ませんよ。多くの者に勝っている、天下のあらゆる物事が今日は出尽くしたと思われます」
「それで終わりのつもりか?」
「いいえ」
東宮はふっと笑う。
「仲忠や涼なら大将達のしたこととは違う、それでいて素晴らしいことをすることでしょう」
は、と帝は軽く口元を上げる。
「彼らは手強い。そう簡単には我々とて、動かせるものでもなかろう。とは言え、いつもいつも断られているというのも癪に障るな。ともかく涼を呼ぶがいい」
帝がそう言うと、すぐに涼が呼ばれて来る。
「何か」
「おお、涼。今日の相撲の節は素晴らしいものだったな」
「は。非常に面白うございました」
「そうだろうそうだろう」
帝は大きくうなづく。
「いつもの節会よりずっと面白い日だ。そこで、だ」
ほら来た、と涼は思った。彼は自分が呼ばれた時から嫌な予感がしていた。
「もう一つ面白いことをして、出来ることなら後代の手本とできたら、と思うのだ。人がそうそうしない様なことをしたい。そこでそなたともう一人を思い出した」
仲忠のことだな、と涼はすぐに気付く。
「院がそなたの所を訪れた時の九日の催しは、唐土にもそうそう無い珍しい例となった。今日のこの節会もぜひそうさせたいものだ」
「はあ……」
「そこで、だ。そなたがあの日弾いたという琴を」
「それは」
「院の前で弾けて、私の前では困るというのか?」
くく、と帝は笑う。困った、と涼は思う。
「無論帝の仰せなら何でもお応えしたいと思います。ですがここしばらく、あの折りに弾いた琴は今後は弾くまいと決心致しまして……」
「ほぉ、それはまたどういう」
「精進しなくては、と。心を入れ替えて、それまでの技術も全て捨ててしまったので、ここでご披露できる様な手はまるで覚えておらず……」
「何を言っている。そういうことは私に言うべきことではない。ああ全く、仲忠もそなたも山賎《やまかつ》共にも等しい奴だな。それではそういう者達の言葉は今後聞かないことにしよう」
涼は困った。
無論帝の言い方からして戯れ言であるのは判っているのだが、仲忠の普段の態度が態度である。帝はおそらくそれを思い出してやや苛つくのだろう。
「いえ、少しでも思い出すことができるのなら、お弾き致します。ただ、さっぱりかけ離れてしまって」
「涼よ」
ずい、と帝は軽く涼に迫る。
「そなたが拒めば拒むだけ、私は仲忠の琴をも聴けなくなるのだよ。あれはともかく私の言うことは聞かない。琴を弾く者の性状だとは思ってはいるのだが――― そなたはどうなのだ? あれの琴は聞きたくは無いのか?」
聞きたい。涼は思う。箏ではなく琴。あの人々の心を幻の中に陥れる様な琴をまた聞きたいとは思う。
だが一方で「それは危険だ」と警告する声もある。
仲忠は自分の琴の持つ力を知っていて、自重している。だがその意味を帝をはじめ、誰も判らない。
そしてそれは、自分の口から言うべきものでもない。涼は思う。
帝はそんな涼の思いには構わず、続ける。
「弾く曲を覚えていないで全く不安であるのは当然のことだろう。だがそもそもそなたには深い才があるのだから、琴に向かって手を触れさえすれば、自然に思い出してくるものではないのか?」
「……」
「半分くらいは覚えていよう?」
そう言って帝は側にあった「六十調」という琴を胡笳《こか》の調子にして差し出し、命じた。
「胡茄の声で折り返して、笛に遭わせて弾きなさい。そなたの師、弥行いやゆきから伝えられた『このは』を琴の音の出る限り弾くのだ」
「困ります。一向に他の手など、まして胡茄の手など…… どうぞ、この調をやめて、元に戻して下さい」
「まだ言うか」
微妙に帝の声に怒りが混じる。まずい、と思った瞬間だった。
「―――仲忠となら」
涼の唇から一つの名がこぼれた。
「仲忠の朝臣が一緒でございましたなら、彼の弾く調子に、失われた記憶も僅かながらに思い出すことでしょう」
なるほど、と帝はにやりと笑う。
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