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第5話 正頼の他の娘の結婚について
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「お帰りなさいませ。まあ、どうなさったのですか」
戻るなり難しい顔になり、どん、と座り込んでしまった夫に大宮は驚く。
帝からの急のお召しだった。何か粗相があったのか、近づいている相撲の節会のことで難しい依頼があったのか、と大宮はとっさに想像を巡らす。
「いや、仁寿殿に参上したらな、例の中将達のことを切り出されてな」
「中将どの達の?」
どの中将だろう、と大宮は一瞬迷う。
「仲忠と涼のことだ。神泉苑での褒美の話を覚えているだろう?」
「ええ、でもあれは所詮口約束だったということでは」
「確かにそうかもしれない。しかし帝が仰せられるには、やはり彼らの処遇はきちんとしておきたいということなのだ」
まあ、と大宮は身を乗り出す。
「それで、何と」
「帝はあの折り、仲忠に女一宮を、と。そして涼には今宮を、と仰るのだ」
「今宮…… ですか」
「帝は仲忠の琴の才を子孫にお伝えしたいらしい。ともかく女一宮と仲忠を、というあたりを強調された」
「女御は何と」
「帝が仰るのなら、と微妙に奥歯に物が挟まっている様な感じだったがな」
「まあ」
娘の危惧するところは母には容易に想像がついた。
しかし母は娘ほど深刻に考える質ではなかった。仲忠という人物はどんな生まれであれ、現在はとても素晴らしい若者だ、と彼女は信じていたのだ。
「婚儀は八月半ばに。もうこれは決定だそうだ」
はあ、と大宮は目をできる限り大きく広げた。
「……まあ、想像はしていた。だからこそ、あれに来た文はお互い見せない様に処分していただろう?」
「それはそうですが、いざ現実に、というかこの忙しい時に、というか」
「まあいつだって我が家はごたごたと忙しいから、そのあたりは慣れているからいいだろう。一気に済ませてしまうというのも一つの手だろうな」
「そうですね」
大宮はうなづく。
「しかしそうなると、他の姫達のことも気になりますね。皆もう一応結婚はできる様になりましたし……」
「向こうの姫もか?」
「ええ、あちらの方から聞きましたの」
成る程、と妻達の仲の良さに、正頼は感心する。
「今宮は涼に。正直、彼は同じ源氏だし、物持ちの向こうの財目当てではないかという評判が立つのではないか、と心配ではあるのだよ」
「でも帝の仰せでしょう」
「それが救いといえば救いだな。しかし何というか、婿取った者がこっちの後見でもって出世していくのを見るという楽しみには欠けるな…… まあ、あとは今宮自身が果たしてきちんと奥方に収まってくれるか、だが……」
うーむ、と正頼はうめいた。しかし大宮はあっさりとこう答える。
「何とかなるでしょう」
「あれがか?」
「一度度胸を決めたらあの子は強いと思いますわ。私だってそうでした」
「そ、そうなのか?」
「ええ。私の子ですもの」
母は強し。正頼はそう感じずには居られなかった。
「さてそれでは、その下の子達はどうしたものかな。あて宮に懸想していた方々に差し上げるのが一番丸く治まると思うのだが」
「……そうですね、実忠《さねただ》どのは特にそう思いますわ。どうしたものでしょうね」
「実忠と兵部卿宮と右大将、それに平中納言に十一の君から十四の君は差し上げよう。さて誰に誰が似合うかな」
「そうですね、私の子の方しか、誰がこうとは申し上げられませんですが、袖宮には右大将どのが良く似合うと思いますわ」
「そうだな。袖宮《そでみや》は右大将にもよく似合う。それに彼の好みに合っているだろう。けす宮は――― あれも少し今宮と似たところがあるな、何やら自分の好みがある様だが」
「けす宮を実忠どのに、ではどうでしょう」
「そうだな。それでは向こうの人とも相談してみよう」
「皆それぞれ美しく育ってくれて嬉しい限りだ」
正頼はふとつぶやく。
「今宮もなかなか美しく、堂々と成長したものだと思うな」
「あの子は顔だちなどはあてこそとそっくりなのですが、髪と、あの気性が……」
大宮は苦笑する。
「それを考えると、あて宮は何処といって非の打ち所の無い、見るからに素晴らしく育った子だとは思いますが……」
完璧すぎるのだ、とは大宮は言わなかった。
「まあだからこそ、東宮さまの現在まのご寵愛も無理ないことだろう。今宮を内裏に入れてしまったら、どういう騒ぎが起こることか、想像するに恐ろしい」
正頼はふとため息をつく。
「もっとも、あの子がああなったのは、あて宮が完璧すぎたからかもしれませんが」
大宮は思う。
自分のあて宮に対する何処とない隔意が、今宮をあの様に奔放な子にしてしまったのかもしれないと。
およそ姫君には相応しくない、はきはきした言動だの、好奇心旺盛なところだの、理屈に走りがちなところなど。
姫君としての美点を全て兼ね揃えたあて宮にはそれは存在しない。
大宮は自分で生んだ子ながら、そのあたりが空恐ろしく、ついつい年子である今宮にはそのあたりについて厳しくすることを無意識に怠ってしまったのかもしれない。
まあそれはそれでいい、と彼女は思う。涼がそんな彼女を気に入らなければ、自分がずっと一緒に居るだけだ、と。
できれば相手が物好きであってくれれば嬉しい、と半分思いつつも。
その様にして正頼の三条殿では、相撲の節会の支度と平行して、沢山の婿を迎えるための支度が行われれつつあった。
戻るなり難しい顔になり、どん、と座り込んでしまった夫に大宮は驚く。
帝からの急のお召しだった。何か粗相があったのか、近づいている相撲の節会のことで難しい依頼があったのか、と大宮はとっさに想像を巡らす。
「いや、仁寿殿に参上したらな、例の中将達のことを切り出されてな」
「中将どの達の?」
どの中将だろう、と大宮は一瞬迷う。
「仲忠と涼のことだ。神泉苑での褒美の話を覚えているだろう?」
「ええ、でもあれは所詮口約束だったということでは」
「確かにそうかもしれない。しかし帝が仰せられるには、やはり彼らの処遇はきちんとしておきたいということなのだ」
まあ、と大宮は身を乗り出す。
「それで、何と」
「帝はあの折り、仲忠に女一宮を、と。そして涼には今宮を、と仰るのだ」
「今宮…… ですか」
「帝は仲忠の琴の才を子孫にお伝えしたいらしい。ともかく女一宮と仲忠を、というあたりを強調された」
「女御は何と」
「帝が仰るのなら、と微妙に奥歯に物が挟まっている様な感じだったがな」
「まあ」
娘の危惧するところは母には容易に想像がついた。
しかし母は娘ほど深刻に考える質ではなかった。仲忠という人物はどんな生まれであれ、現在はとても素晴らしい若者だ、と彼女は信じていたのだ。
「婚儀は八月半ばに。もうこれは決定だそうだ」
はあ、と大宮は目をできる限り大きく広げた。
「……まあ、想像はしていた。だからこそ、あれに来た文はお互い見せない様に処分していただろう?」
「それはそうですが、いざ現実に、というかこの忙しい時に、というか」
「まあいつだって我が家はごたごたと忙しいから、そのあたりは慣れているからいいだろう。一気に済ませてしまうというのも一つの手だろうな」
「そうですね」
大宮はうなづく。
「しかしそうなると、他の姫達のことも気になりますね。皆もう一応結婚はできる様になりましたし……」
「向こうの姫もか?」
「ええ、あちらの方から聞きましたの」
成る程、と妻達の仲の良さに、正頼は感心する。
「今宮は涼に。正直、彼は同じ源氏だし、物持ちの向こうの財目当てではないかという評判が立つのではないか、と心配ではあるのだよ」
「でも帝の仰せでしょう」
「それが救いといえば救いだな。しかし何というか、婿取った者がこっちの後見でもって出世していくのを見るという楽しみには欠けるな…… まあ、あとは今宮自身が果たしてきちんと奥方に収まってくれるか、だが……」
うーむ、と正頼はうめいた。しかし大宮はあっさりとこう答える。
「何とかなるでしょう」
「あれがか?」
「一度度胸を決めたらあの子は強いと思いますわ。私だってそうでした」
「そ、そうなのか?」
「ええ。私の子ですもの」
母は強し。正頼はそう感じずには居られなかった。
「さてそれでは、その下の子達はどうしたものかな。あて宮に懸想していた方々に差し上げるのが一番丸く治まると思うのだが」
「……そうですね、実忠《さねただ》どのは特にそう思いますわ。どうしたものでしょうね」
「実忠と兵部卿宮と右大将、それに平中納言に十一の君から十四の君は差し上げよう。さて誰に誰が似合うかな」
「そうですね、私の子の方しか、誰がこうとは申し上げられませんですが、袖宮には右大将どのが良く似合うと思いますわ」
「そうだな。袖宮《そでみや》は右大将にもよく似合う。それに彼の好みに合っているだろう。けす宮は――― あれも少し今宮と似たところがあるな、何やら自分の好みがある様だが」
「けす宮を実忠どのに、ではどうでしょう」
「そうだな。それでは向こうの人とも相談してみよう」
「皆それぞれ美しく育ってくれて嬉しい限りだ」
正頼はふとつぶやく。
「今宮もなかなか美しく、堂々と成長したものだと思うな」
「あの子は顔だちなどはあてこそとそっくりなのですが、髪と、あの気性が……」
大宮は苦笑する。
「それを考えると、あて宮は何処といって非の打ち所の無い、見るからに素晴らしく育った子だとは思いますが……」
完璧すぎるのだ、とは大宮は言わなかった。
「まあだからこそ、東宮さまの現在まのご寵愛も無理ないことだろう。今宮を内裏に入れてしまったら、どういう騒ぎが起こることか、想像するに恐ろしい」
正頼はふとため息をつく。
「もっとも、あの子がああなったのは、あて宮が完璧すぎたからかもしれませんが」
大宮は思う。
自分のあて宮に対する何処とない隔意が、今宮をあの様に奔放な子にしてしまったのかもしれないと。
およそ姫君には相応しくない、はきはきした言動だの、好奇心旺盛なところだの、理屈に走りがちなところなど。
姫君としての美点を全て兼ね揃えたあて宮にはそれは存在しない。
大宮は自分で生んだ子ながら、そのあたりが空恐ろしく、ついつい年子である今宮にはそのあたりについて厳しくすることを無意識に怠ってしまったのかもしれない。
まあそれはそれでいい、と彼女は思う。涼がそんな彼女を気に入らなければ、自分がずっと一緒に居るだけだ、と。
できれば相手が物好きであってくれれば嬉しい、と半分思いつつも。
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