うつほ物語②~仲忠くんの母上が尚侍になるはなし

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
1 / 16

第1話 暇な父君は真面目な息子を連れて三条殿へ

しおりを挟む
 話はあて宮――― 藤壺の方が懐妊した年の秋にさかのぼる。

***

「暇だ」

 五月のとある日、右大将兼雅は大あくびと共にそうつぶやいた。

「何かおっしゃいましたか? 父上」

 それを漏れ聞いたのは、息子の中将仲忠。
 しどけない格好をした父とは違い、この日もくつろいでいるとはいえ、それなりにこざっぱりとした姿で父の側で雑談などしていた。

「暇だと言ったんだよー」
「暇ですか」
「だってそうじゃあないか。今日は出仕しなくていいし、かと言って家で何かするって程でもないし」
「退屈なら、何か楽器でも弾けばどうですか?」
「お前が私にそういうのかね?」

 父親はこの楽の名手に向かい、じろりと視線を飛ばす。
 息子はそれをするりと受け流し。

「それなら何処かへお出かけすればいいでしょう。天下の遊び人と思われている方にしては実に大真面目じゃあないですか」
「お前本当に容赦ないね」
「父上の子ですから」

 はあ、と兼雅はため息をつく。幼い頃から手元にあったなら、もう少し素直な子になっていたのになあ、と。

「何処かにねえ…… おおそうだ」

 ぽん、と兼雅は手を叩く。

「左大将どのの三条殿へ行こう」
「ああ、それはいいですね」
「何を他人事の様に言ってるんだ。そなたも行くんだよ、そなたも」
「僕もですか?」
「皆喜ぶし」

 すると仲忠ははあ、とため息をつく。

「何か今、色々僕の結婚話とか取りざたされていて、面倒なんですよ」
「女一宮とのか」
「らしいですねえ」
「何を他人事の様に。名誉なことじゃないか。私なんぞ、その昔、帝の女三宮を周囲にも許されない形で手に入れてしまって、後で大変だったんだぞ」
「らしいですねえ」
「それを考えれば、そなたは皆から婿に欲しい欲しいと望まれているのではないか。それを何だ?」
「煩わしいのは嫌なんですよ」
「ふふふふふ。世間なんていうのは基本的に煩わしいものだぞ。さ、さ、いざ行きましょうぞ、中将どの。三条殿へ」

 仕方無い、という顔をして仲忠は家人を呼び、用意をさせる。



 二人ともさっぱりとした直衣を着込んで一つの車に乗って出掛けることにする。
 とは言え、同じ三条にあるだから到着には程無い。それでも車をわざわざ出さなくてはならないのがこの身分という奴であろう。

「さ、さ、そなたが最初にご挨拶ご挨拶」

 そう言って兼雅は仲忠を先に降ろす。
 仲忠はまたも仕方無い、という顔で先触れのために入って行く。
 中では左大将正頼の子息や婿達、それに上達部や皇子達が何かと集まって騒いでいる様だった。

「おお仲忠、よく来てくれた」
「今日は僕も父上も出仕することもなく、何かと家で気分が滅入っておりまして……」
「いやいや、こっちもちと物足りなくなって、そなたの父上をお招きすればさぞ楽しいと思っていたところなのだ。さあさあぜひぜひ」
「父上、仲忠の声がした様ですが」

 すると奥から、仲忠の声を聞きつけたのか、上達部や皇子達がぞろぞろと彼らを出迎えに来た。

「やあ仲忠だ。君が来るとやっぱり場が華やぐよ」
「父君も一緒なんだって? 早くおいで願えよ」
「まあまあ皆、そう急がせないで。仲忠、右大将どのに告げておいでなさい。皆お待ちだとね」

 はい、と仲忠は従者を父の元へと返す。
 やがて兼雅もやって来て、二人は改めて設えられた席に様々に御馳走を用意された。
 銀の器には、果物や乾物が非常に綺麗に盛られている。
 やがて「大宮さまからです」と酒やその肴、粉熟ふずくと呼ばれる甘い菓子も用意される。
 正頼は甘い菓子にばかり手を伸ばす仲忠に思わず微笑む。

「仲忠は酒よりその方が好きなんだな」
「ええ、やっぱり甘いものは気持ちがほんのり幸せになります」

 うんうん、と周囲の公達も、その笑顔に何となく幸せを感じる。
 あて宮が既に過去になった彼らにとって、仲忠は目の保養の様な存在だった。

「ところで、今年の相撲すまいのことだが、右近衛府の相撲人はもう来たのかね? うちではまだ来ない様だが」

 酒を酌み交わす中で、ふと正頼が話題を切り出した。
 七月末にある相撲の節会せちえのことである。
 この時の力士は、左右の近衛府が、それぞれ定められた国々へと「ことり使」と呼ばれる使いを送り、これぞと言った強い力士を集めさせるのである。
 兼雅はそうですねえ、と首を傾げる。

「まあ、少しは来ている様ですよ。とは言え、今年はいまいち不作ですね」
「不作かね?」

 正頼は首を傾げる。

「ここ数年、いい力士が出ていたのですがね。どうも今年はいまいちで。例年の様に大勢来るということは無い様です」
「ううむ」
「とは言いましても、上京した中には、それこそ文句の付け様も無いほどの相撲人も何人かは居る様ですね。見栄えもいいし、年の頃も、そう、今が盛りと言ったところでしょう。きっといい取り合わせになると思います」

 周囲がその言葉に沸き立つ。今まで見たことの無い相撲人もその中には居るかもしれない……
 兼雅は続ける。

「まあ何と言うか、去年まで良くやって来た者達が、死んだり病気になったりで出られない中で、彼らが居てくれて助かりましたよ」
「流行病の勢いは、なかなか衰えないものだし…… 喜んでいいのかどうか微妙なところですね」

 ぼそ、と仲忠が聞こえるかどうかという声でつぶやく。兼雅はそれに気付いているのかいないのか。

「逆に、そういう機会でも無いと持ち上げられない者達をお目にかけることができるから、それはそれで好都合というものではないかと」

 なるほど、と正頼はうなづく。

「こっちの相撲人も、まだやって来てはいないから何だが、結構な人材が居るらしい」
「ほぅ、それはそれは」

 兼雅の反応に、正頼はにやりと笑う。

「何やら探して来て出す側でも思うところがあるらしいな。そうそう、何でも『下野《しもつけ》のなみのり』が来るそうだ」
「『なみのり』が!」

 周囲の者達も驚く。「下野のなみのり」は、都まで噂が轟いている力士である。

「とは言え、目玉はそれだけだろうな」
「そうですね。こっちの『伊予のゆきつね』は来ないことに決まってますし」
「来ないんですか!?」

 相撲好きの一人が声を上げる。

「ああ。そういう知らせが来てね、私もがっかりしている。どうも彼も今年は病気だか怪我だか」

 周囲の上達部《かんだちめ》達はがっかりする。「ゆきつね」もまた、有名な力士だった。
 それぞれ名高い力士達が左右に分かれて対戦するのを見るのは相撲の節会の見所である。なのに、と。
 正頼は腕を組んで軽く目をつぶる。

「そうそう、先日、仁寿殿で帝が『今年は例年よりは少し面白いことをしたい。今度の節会は見所がある様にして貰いたいものだ』と仰せられてな」
「なかなかこちらが困る様なことを仰せられますね」

 兼雅は苦笑する。

「とは言え、帝が仰せられるのだから仕方が無い。相撲人は多くは無いが、規定の数はそれなりに揃ってはいる。勝負は――― まあその時だから、その試合に帝が退屈なされない様に我々は勤めるしかないだろう」
「そうですね。私もそう考えてはいます。ですか、はて、どうしたことをしたものやら」

 兼雅は首をひねる。
 すると正頼はあっはっは、と笑う。

「口に出さずとも、考えればいいことではないか」
「けど考えれば口には出さずにはいられないものですよ」

 それで今は考えもしないのです、と兼雅は暗に示す。手のうちは今から見せてはならないのだ、とばかりに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

うつほ物語③~藤原仲忠くんの結婚・新婚ものがたり

江戸川ばた散歩
歴史・時代
古典「うつほ物語」の「田鶴の村鳥」「蔵開」の部分にあたります。 藤原仲忠くんの、今上の女一宮との結婚とその新婚生活、生まれた京極の屋敷跡で見つけた蔵の中にあった祖父の古い日記に書かれていた波瀾万丈な出来事を帝の前で講読する……  そして何と言っても、待望の彼の娘が生まれます。 何とか落ち着いた仲忠くんのそれなりに幸せなおはなし。

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

うつほ物語~藤原仲忠くんの平安青春ものがたり

江戸川ばた散歩
歴史・時代
「源氏」以前の長編古典ものがたり「うつほ物語」をベースにした、半ば意訳、半ば創作といったおはなし。 男性キャラの人物造形はそのまま、女性があまりにも扱われていないので、補完しつつ話を進めていきます。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

夢占

水無月麻葉
歴史・時代
時は平安時代の終わり。 伊豆国の小豪族の家に生まれた四歳の夜叉王姫は、高熱に浮かされて、無数の人間の顔が蠢く闇の中、家族みんなが黄金の龍の背中に乗ってどこかへ向かう不思議な夢を見た。 目が覚めて、夢の話をすると、父は吉夢だと喜び、江ノ島神社に行って夢解きをした。 夢解きの内容は、夜叉王の一族が「七代に渡り権力を握り、国を動かす」というものだった。 父は、夜叉王の吉夢にちなんで新しい家紋を「三鱗」とし、家中の者に披露した。 ほどなくして、夜叉王の家族は、夢解きのとおり、鎌倉時代に向けて、歴史の表舞台へと駆け上がる。 夜叉王自身は若くして、政略結婚により武蔵国の大豪族に嫁ぐことになったが、思わぬ幸せをそこで手に入れる。 しかし、運命の奔流は容赦なく彼女をのみこんでゆくのだった。

黄昏の芙蓉

翔子
歴史・時代
本作のあらすじ: 平安の昔、六条町にある呉服問屋の女主として切り盛りしていた・有子は、四人の子供と共に、何不自由なく暮らしていた。 ある日、織物の生地を御所へ献上した折に、時の帝・冷徳天皇に誘拐されてしまい、愛しい子供たちと離れ離れになってしまった。幾度となく抗議をするも聞き届けられず、朝廷側から、店と子供たちを御所が保護する事を条件に出され、有子は泣く泣く後宮に入り帝の妻・更衣となる事を決意した。 御所では、信頼出来る御付きの女官・勾当内侍、帝の中宮・藤壺の宮と出会い、次第に、女性だらけの後宮生活に慣れて行った。ところがそのうち、中宮付きの乳母・藤小路から様々な嫌がらせを受けるなど、徐々に波乱な後宮生活を迎える事になって行く。 ※ずいぶん前に書いた小説です。稚拙な文章で申し訳ございませんが、初心の頃を忘れないために修正を加えるつもりも無いことをご了承ください。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...