大正時代、彼女と彼女は出会ってしまった。

江戸川ばた散歩

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後編・千代さん、吉屋信子と出会ってしまった。

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 お昼御飯を吉屋さんの家で一緒に―― それがしげりさんの出した提案だった。
 悪くないと思った。ただ向かい合っているだけでは何処から話を切りだしたものか判らないが、そこに食事がある、それだけで何かと話の切欠を作ることはできる。

「いらっしゃい―― 門馬――千代さん?」

 綺麗な声が、独特の抑揚で耳に飛び込んできた。そして私の目の前に現れたのは。

 ……座敷わらし?

 いやいやこんな大きな座敷わらしはいない。だけどまず浮かんだのはその言葉だった。
 だって。
 ぱつんぱつんに短くされた前髪。
 いや前だけじゃない。髪は横も後ろも…… 肩のずっと上、耳の辺りまで髪は思いっきり切り揃えられていた。
 要するにもの凄くぼつ、ぼつと出だしていた女性の「断髪」だった。
 短い髪の女性。それは私の世界の中に存在しないものだった。
 尼さんならもうくりくりに剃ってしまうだろう。でなければ、古典の世界の「尼そぎ」。
 そんな髪をした同世代の女性。しかも米琉《よねりゅう》の対の着物は、ひどく「着られている」感じを私に与えた。
 すぐにその理由が判った。彼女は大柄な上に、ひどくいかり肩なのだ。――――この頃の一般女性では珍しい程に。

「どうぞ、あがって頂戴な」

 ほらほら、としげりさんも私をうながした。

 話は弾んだ。
 いや、話が転げ回ったというべきだろうか。
 しげりさんによる最初の紹介以外、殆どの会話の主導権は吉屋さんが握っていた。

「数学の先生! 私はとてもとても駄目。でもあなたの様な人に習ったらきっと成績も上がったんじゃないかと思うわ。だって情熱を感じるんですもの」
「……どうでしょう」
「私も少しだけ講師をしたことがあったけど…… 駄目駄目ね」
「駄目だなんて」
「ううん駄目駄目。綺麗な生徒が居るとついつい目が引き寄せられてしまって。公平であるかし、のはずなのに、困ったものだったわ。経験としちゃいいけど、私の様な先生は駄目ね」

 後、何を話しただろう。
 ともかく彼女のあっちへ行きこっちへ行く話を、私は何とか受け止めてはまた投げ返す、ということを繰り返していた。
 飛び回る彼女の話を受け止めるのは、なかなかに苦労が要った。
 彼女は非常に広く知識を持っている様だった。だが深くはなかった。

「それにしても、ご理解のあるご両親ね。娘が外で働くことを許してくれるって。私は一度失敗したら、それみたことか、って感じだったわよ。それこそ今の仕事を色んな方が回してくださるから、まあ、何とかやっているけど」
「『花物語』は売れているじゃないですか」
「そうね。でも女の子にだけだわ。確かに連載やったけど、その後全く新聞とかからは音沙汰無いのよ」
「じゃあこの先、大人の作品を書かないんですか?」
「書きたいわよ、そりゃ。ああでも無論少女のための小説もね。だってそうでしょう? 少女には綺麗なものが必要だわ。甘い甘いお菓子が必要な様に。だって少女の時代って、とっても短くて、儚くて、だからこそ大事にしたいじゃないの。ああもう、何だって皆、あの頃本当に仲良くしてくださった方々もどんどん家庭ってものに入ってしまうんでしょ。そしてそうすると私のことなんて全く忘れてしまうのよ。あんまりじゃない? あの一番いい時を過ごしたって言うのに、そんなことあったかしら、みたいな調子でお手紙しても返してくるのよ。私はあの頃と同じ気持ちでいるのに」

 私は言葉に詰まった。
 それは当然だと思う。結婚する前と後では、何処に重きを置くかが変わってくる。

「ねえ、結婚ってそんな大事かしら?」
「今のところはする気は無いから、判らないけど。しげりさんは?」
「まあ、一度やってみて思ったのは、面倒、だったかな」

 あははは、としげりさんは笑った。

「そう、面倒よね。だってそうじゃない。男って、自分ではタテのものをヨコに動かすこともしないじゃない。それって旦那さんだけじゃないのよ。うちなんてほら、男兄弟ばかりて、私、いつも兄や弟からあれ取ってこれやって、って。女中じゃないのに。お母さんもそれが当然、って顔してるから余計に腹立つわ」
「でも、女中さんが居ない訳じゃないでしょう?」

 少なくとも吉屋さん宅は、お父様が郡長《ぐんちょう》をなさっていたという士族系だ。それでいて子沢山。

「そりゃあそうよ。じゃないとうちなんか回っていかない。だいたい私、すっごく不器用なんだから。やれって言われたって着物なんか縫いたくないし、味噌の分量間違えるなんてザラだし」
「不器用…… には見えないけど」
「不器用なのよ、ね、しげりさん、見たことあるでしょ? 私の雑巾」
「ああ!」

 あはは、と快活な笑い声が飛んだ。

「あなた本当に、真っ直ぐ縫えない人なんだったわね」
「そうなのよ。自分では真っ直ぐ縫っているつものなのに、どうしてかどんどん逸れていってしまって……」
「それだけじゃないわよ。縫い目が大きすぎるってお母様嘆いてらしたじゃない」
「ああもうお母さんったら! そういうこと人にべらべら言うんだから」

 吉屋さんはふいっ、と横を向いた。子供みたいだ。

「あの人は、いっつもそう。私のすることなすこと全部気に入らないのよ。こうやって小説書いていられるのは、お母さんでも目にする様な朝日新聞の懸賞で一等とっただからであって、私の書いたものの中味を認めてくれる訳じゃないもの」

 それはそうだ、と思う。
 あの綺羅綺羅しい文章が、しげりさん曰くの堅そうなお母様に果たして理解できただろうか。いや無理だろう。
 正直私も吉屋さんの文章に関しては、かなり退いていた。
 しげりさんに「会わせてあげる」と言われてから、改めて彼女の本に目を通したのだけど、……やはり駄目だった。
 「花物語」はまだいい。短篇で、一つ一つ違う設定を作り、そして余韻で終わらせる。これは何とか読める。多少の努力は要るが。
 「地の果まで」と「海の極みまで」は、先に「地」を読んで、何となく首を捻りたくなったので、「海」を先に読むことにした。

 華やかだ、と思った。
 だが中に出てくる夢見がちな男女に関しては、ひどく嫌な感じがした。
 深川の描写で、「貧しさから汚い、だから良くない」場所とばかりに強調しているのがどうも気に掛かった。
 他の短編も一応眺めた。その中で一つ気になる童話? 小品?があった。
 「小さき者」と題されたそれは、極端に夢見がちな小学生の少女が主人公だった。――それこそ、「屋根裏」の主人公の子供の頃の様な。
 だが少女は「屋根裏」の主人公より更に現実離れしていた。
 授業中でも想像の世界に入っていってしまい、「うしうしもうもう」と唐突に歌い出してしまう。
 白昼夢。
 端からみれば奇異なこと間違いない。
 「屋根裏」の主人公は鬱々としながらも、何とか自分の夢見がちな習性を飼い慣らしていた。
 だが少女は無力だった。
 白昼夢に広がる想像力は現実に対抗するのに全く役立たず、教師からも軽蔑され、与えておいた罰すら忘れ去られてしまう存在として描かれている。
 そしてどうするか。
 少女はそのまま(おそらく)死を選ぶのだ。無論直接的には書いていないが、行き場も無く、白昼夢の中に消えていく。
 嫌な話だ。
 本気で思った。全くもって救いが無い。
 尤もこれは「屋根裏」以前の話だ。想像力過多な少女にも多少の救いを求める意欲が湧いたのだろうか。

「千代ちゃん、黙ってないで何か聞きたいこととかないの?」

 ぼんやりしていた私にしげりさんが言葉を促す。私は吉屋さんの方を真っ直ぐ向いた。

「質問していいですか?」
「何でしょう」

 私は頭の中でざっと作品への疑問を整理した。
 幾つもある。だが下手に聞けばするりとかわされてしまうかもしれない。とりあえず。

「『地の果まで』の緑さんは、最後まで伯父さんには何も謝らないですよね」
「そうだったかしら」

 吉屋さんは軽く眉を寄せると考えた。

「私は特に、謝らなくてはならない様な所は無かったと思うのだけど」
「ええと」

 本気だろうか? 彼女を見つめる。本気だ。本気で首を傾げている。
 「地の果まで」のヒロイン、春藤緑は夢見がちな「屋根裏」とは違い、弟の栄達のためには自分は全てを投げ打たねばならない、と「思いこんでいる」女だ。極端なまでに。弟がその圧迫に苦しむ程に。
 緑は「世間の常識」で話す伯父に自分の正義をとうとうと述べる。
 だけど彼女のそれは、まるで世間を知らない子供の発言だ。
 二十歳をとうに越えた、大きな子供。姉や義兄の視線にもそれは含まれている。奇妙な位に。
 そしてついには伯父に「悪魔」とののしって失神しまうのだ。
 緑は自分の意見を通すことしか知らない。
 相手の意見を聞く耳を持たない。
 伯父の示す常識的な未来を軽蔑し、その一方で弟の性格を無視して「常識的な栄達」を強制する。
 最終的には緑も弟の死をかけた家出に打ちのめされるのだけど、だからと言って、それで彼女が変わるという訳ではない。
 大人しくはなるとしても、感化されるのは親友の方であり、緑はその親友に現実的な対処を全て任せる。
 日々の新聞で読むなら、何となく勢いで通してしまうかもしれない。
 だけど私が読んだのはしげりさんから借りた単行本だ。まとめて読むと、緑の行動には首を捻る箇所が多すぎる。

「そう言えばこの名前で吉屋さんは投稿したんだよ、春藤みどり、ってね」

 しげりさんは本を貸してくれる時にそう言った。ならば。

「私、やっぱり緑さんは伯父さんに謝るべきだと思ったんですけど」
「え?」

 露骨に彼女は顔をしかめた。

「だって、緑さんは少なくとも伯父さんに対して、『悪魔』と罵ったことに関してはこの和解の場面では謝った方がいいと思ったんです。それでなければ――」
「そうじゃなかったら?」
「ただの世間知らずの頭でっかちさんの擁護小説だわ」
「千代ちゃん!」
「吉屋さんが『そういう』ひととして緑さんを書いたならそれはそれでいいと思うの。でも、吉屋さん無意識なんですよね」

 嗚呼、とばかりにしげりさんは手のひらで額を打った。

「私はしげりさんが紹介してくれた様に、文学のことなんかさっぱり判らない数学教師だから、理詰めでしか考えられないんです。構成とか、この人物はこう動いた方が自然だ、とか」
「緑が謝った方が、あのきょうだいに冷たかった伯父さんに膝を屈する方が自然だっていうの?」
「常識として。大人の行動だと思うわ」

 ひやひやしているしげりさんを横目に、私は吉屋さんに思うことを告げた。
 吉屋さんは黙る。
 怒っただろうか。まあその時はその時だ。私は答えを待った。

「……だって、お話よ」
「お話」
「作り話。私の見たいものを書いたっていいじゃない」
「吉屋さんはああいう緑さんを見たかった? 自然だと思っているの?」
「緑には、彼女の思うことを正直にさせたつもりよ。伯父さんはよくある親切な常識を振りかざすひとにしたかった。そうやって皆を動かしていったら、ああなった。それだけ。だからどうして緑が謝らなかったのかって言えば、緑は謝りたくなかったのよ」

 嗚呼。やっかいな人と、私は出会ってしまった。
 少なくともその時私はそう思った。

「また来てね、ねえ、絶対よ」

 その日彼女は私を何度も何度も引き止めた。帰らせたくない様だった。
 ええ必ず、と私は答えた。
 このひとをもう少し観察してみたい、と思ったのだ。

 それが私と彼女の生涯に渡る関係の始まりだった。
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