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4話目 偽善者め!

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「ビスケットとクッキーはどちらが好き?」

 カラシェンカは小さな台所の小さな棚を開けながら訊ねた。棚の中には赤白色違いの、似たような平たい缶が入っていた。

「あ、どちらでも」

 アーランは曖昧に答えた。生憎どちらがどちらと区別がつくほど味わったことはないのだ。
 じゃビスケットね、とカラシェンカは大きな丸い赤い缶を抱えてきた。
 ぱこん、と音を立てて開いた中には、綺麗に丸く揃った卵色の菓子が並んでいた。彼女はそれをざらざらと無造作に皿へ広げる。ふっと甘い香りが漂った。カエンは何気なくそれを一つつまむ。

「やだ、カエン、つまみ食いしないで」
「いいではないですか。ワタシはこれが好きなんですよ」
「そうじゃなくてね、一応これは歓迎の意味を込めて」
「歓迎」

 思わずアーランの口がその言葉を反復していた。
 歓迎、ね。
 だって「三人目」よ。私が来なかったらあんた達に決まったんでしょ?その「三人目」を歓迎なんてできるっていうの?
 無論アーランは顔には出さなかった。そういうことは得意なつもりだった。さあ顔に満面の笑みをたたえよう。

「歓迎して下さるんですか? わあ嬉しい」
「わあ、そう言ってくれるとこっちも嬉しいわ」

 無邪気にカラシェンカは笑う。そして「自己紹介」を始めた。

「あたしはカラシェンカだけど、カラシュと呼んでね。ここの学長さまがうちの本家の侯爵家の奥方さま、ということで紹介していただいたの。専攻は究理学。……で」

「自己紹介くらいは、自分でしますよ」

 カエンラグジュは、自分を指すカラシュの言葉を手でさえぎる。

「ワタシはマイヤ・カエンラグジュ・トゥルメイです。カエンと呼んで下さい。第一中等で究理学を学んでましたが、本命は医学」
「医者になるつもりなんですか?」
「はい」

 あっさりと彼女はうなづく。なるほど、だったらあの本の中身もうなづける。

「だがさすがに、今のこの国にはワタシが医学を学べるところも無いし、資格を得ることもできませんから」

 それで「連合」へ。

 確かに現在女子のための医学専門の学校はなかった。
 「帝国」の現在の義務教育は、小学校の初等科・高等科の合わせて六年である。
 尤もその六年すらも、全ての子供に、という訳にはいかない。
 義務教育の上には中等学校・高等学校と続く。
 中等学校もまた六年制で、初等科・高等科が存在する。
 そしてその上に三年制の高等学校もしくは高等専門学校があり、さらにその上に特に期限の決められていない大学校がある。そこは教育というよりは、むしろ研究機関だったが。
 実際はもう少し複雑かつ細分化されているが、大きく言えばこんなものだった。
 ところがその学校も、女子には制限があった。
 つい二十年も前までは、中等学校すら女子には無かった。
 現在はあることはあるが、第一から第八といったナンバーのつけられたものが学都にあるだけである。大陸の半分を占める「帝国」の版図全国でたった八校。
 そして高等専門に至っては、実験的に現在一校が存在するに過ぎない。
 しかもその中で講義されるものは決して専門の学問ではない。細分化されて採算がされるほど人数がいないのだ。
 男子は無論、細分化がなされている。カエンラグジュの入れれば入りたいだろう、医学高等専門学校も存在する。
 学校が無ければ資格を取ることもできない。
 看護のための人材育成学校はある。それは小学校高等科を卒業した子供が四年間で資格を取る所だ。手当てはできても診断は学べない。医師の補助に過ぎないのだ。

「アーラン、あなたは?」

 カラシュが訊ねる。
 判らないはずではないのに、とアーランは内心つぶやく。
 帝国本土、何処へ行けども、国が建てた施設の制服は同じ形同じ色をしている。
 あえてそれを聞くのだろうか? 無邪気なのか、実は底意地が悪いのか、いまいち把握できない。だがとにかく心にゆっくりと氷を張る。

「……コズルカ・アーラン・オゼルンです。萩野衣市から来ました。見たとおりの、施設出身です。オゼルンという父姓は、そこでつけられました。本当の父姓はありません」
「まあ」

 一応自己紹介、の時にはそのこと外さない。そしてカラシュが驚くのを見て、アーランは「またか」という気分になる。
 父姓。
 正式には三つ表記される帝国臣民の名前のうち、いちばん後に書かれるものであり、父方の家の名前のことだ。
 ちなみに先頭につけられるのは母姓で、これは母方の家の名。真ん中が呼び名である。
 父姓がない、ということは、つまり母親が周囲に認められない子供を産んだということである。
 施設に入った父姓のない子は、備え付けの「名簿」によって順番に父姓を与えられる。
 たいていは戸籍台帳上で、身よりなく亡くなり、家を消滅させた男の姓である。

「専攻は――― まだ決まっていません。だけどせっかくこのような名誉ある大役の候補に選んでくだすった方がいるからには、その方のためにも、早く自分の目標を定めたいと思います」
「百点満点の答だな」

 ぼそっ、とカエンが言った。
 はい? とアーランは問い返した。カエンは本から目を離すこともなく、頭のてっぺんをかりかりとひっかく。

「何ですか?」
「いや…… 別にいいけど」

 何よ、はっきり言いなさいよ。何となくアーランはそう言いたくなる。
 そう言えば、と彼女はついでに思い出す。
 カエンのトゥルメイ侯爵家というのは、学長のコンデルハン侯爵家と並ぶ名家だ。

 何だってそんないいところのお嬢さんがわざわざ「連合」まで長い道のり越えて、親元離れて勉強しになんて行くんだろう? そんなことしなくても将来は保障されてるというのに。

 何となく、心をざらざらとしたもので擦られている感触。

 結婚までの時間つぶしで留学したいんだったら、絶対負けられないわ。絶対。

 何やら妙に闘争心が煮えたぎっている自分にアーランは気付く。
 だが顔には出すまい。とりあえずカエンの態度は気にしていないフリをする。

「あ…… カラシュ、しばらくここで勉強するのでしょう? 一ヶ月? 何がその時に必要なのかあたし判らないんですけど…」
「ああそうね、えーと、期間自体が短いから、ここの講義は何処を聞いてもいいんですって。だからその聞きたい講義の教科書はその都度貸してくれるってことなの」
「ああ、そうなんですか」
「服も要求すればここの制服を貸してくれるということだ」

 カエンは口をはさむ。

「もしもその服が気になるのだったらそうすればいい。ミシュガ夫人に言えばいい。わざわざ周囲に気をつかわす必要はない」
「……不愉快ですか?」

 さすがに眉を寄せ、アーランも問い返す。その声にカエンはやっと顔を上げる。

「別に不愉快ではないが、君の方が気にしているのではないか?」

 さりげない言い方だった。さりげなさ過ぎてアーランは反撃のタイミングを掴みかねた。

「カエン、お茶のお代わりは?」

 カラシュはぐい、とカエンの前にティーポットを突き出す。

「ああ、ありがとう」
「カエンもそう意地悪言うものではないわ」
「別に、意地悪を言ったつもりはありませんがね」
「あなた口の聞きかたがきついから。でもアーラン、確かにその服は目立つかもね。ここの制服を頼んでおきましょう。カエンはその第一中等の制服があるからいいけれど。私もそういう制服は持っていないから、私服で目立つの嫌だったし」
「ありがとう」

 偽善者め。アーランは内心つぶやいた。
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