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第47話 捨てなくちゃいけない程のプライド

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「う」

 彼は床に散らばった自分のブラウスとスカートを拾い上げる。靴は――― その余裕は無い。そのまま扉へと突進した。

「このガキ!」

 ガキと呼ばれる年齢じゃあないよ、と彼はまだ、薬でだるい身体を思い切り叱咤し、廊下を走った。
 背後から追ってこられる前に、探さなくてはならない。エレベーター。あった。
 早く来い、と彼は思う。
 少なくとも、何か一枚羽織る位の時間は取れる。自分の様に、素っ裸でも外に出てこられる奴じゃあないのだ。

 ああでも気配が近づく。
 それとも。
 いっそ、非常階段? 
 DBは周囲に目を走らす。駄目だ。非常階段は自分が逃げて来た方向にある。

 早く――― 早く。
 来た!

 ちん、と音がして扉が開く。左側から男が追ってくる。「閉」のボタンを押す。早く! 男はぐい、と扉に手を掛ける。
 彼はボタンを押し続ける。相手の顔が激しくゆがむ。

 いい加減閉まりやがれ!
 あきらめろ!

 白く色が変わった指を、彼はボタンを押していない方の手で、思いきり外へと押し出した。うわ、と声がした。
 その隙を付くように扉は閉まった。割合速い。急いでくれ、と彼は思う。非常階段から追ってこられたら。
 自分達が居たのは、どうやら五階らしい。
 とりあえずブラウスに袖を通す。P子さんの見立てのそれが、あまりボタンも多くないシンプルなタイプであることに彼は感謝した。
 スカートをはこうとした時、一度止まる。

「あ」

 二階だった。扉が開く。もう追ってきたのか? と血が引く。

「ああああ?」

 目を丸くして、女性が一人、乗り込もうとしてきた。
 はっ、として彼はそこで女性を押し込むようにして自分は外に出た。人は居ない。慌ててその場で服を身につける。
 一度行ったエレベーターが戻るまでには、時間がかかる。どうする、ととりあえず服をつけ終わった彼は思う。靴もないから、ロビーから出るのはひどく怪しまれるだろう。

 ……一階のトイレは。裏口は。

 駄目だ。軽く目をつぶり、可能性を一つ一つつぶす。

 ……どうする?

 彼は唇を噛んだ。
 そして考える。そもそもこんなことになってしまうのは、それが自分にとっての弱点だからだ。
 だがそれは、今でも弱点なのだろうか?
 実家は、あれから自分を探しているのだろうか? 本当に。
 逃げ回っていたから、そのことすらも判らない。「兄」は今でも自分を手元に置きたいだろうか。
 今なら、「兄」が自分を置きたがった気持ちは判る。
 共感はしないが、理解はできる。
 おそらくあの男は。あの家で生まれ育ち、優秀に育って、人を見下す方法を身につけている「兄」は、誰も信用していなかったのだろう。「父親」から引き継いだとしても、自分のものではない。だからこそ、血のつながりというものにすがろうとしていた。

 そんなもの、大したものではないのに。

 DBは思う。

 だってあんたが言ったんだよ。お前は捨てられたんだ、って。
 血のつながった――― 自分を産んだ母親と、その母親から丸ごと、この世界に置き去りにされたんだ、と。
 血のつながりなんて、そんなものなんだ、と。
 あんたが教えてくれたんじゃないか。

 彼は思う。そう、今の自分にとって、それは弱点ではないのだ。
 だったら。
 ぐっ、と彼は両手を握りしめる。何だって、できるよな。
 自分の外見は、一つの武器だ。
 彼は目をつぶると、一度着たブラウスの襟のあたりをびり、と破いた。スカートのボタンを幾つか、飛ばした。
 ごめんP子さん。だけど。

「助けて!」

 ロビーに飛び込むと、彼は思いきり大声をあげた。
 時間が良く判らないのでやや不安があったが、それでもフロントには誰かしら居るはずだ。
 案の定、男の姿もあった。浴衣姿で、立ち上がる。だが男だけではない。夜の街から帰ってきた客というものも、幾人か、そこには居たのだ。
 男は慌てて近寄ろうとする。彼はそれを見て、再び思い切り声を張り上げた。

「近寄らないでーっ!!」

 どうしたどうした、とフロントが身を乗り出してくる。

「お客様、どうしました?」

 彼はここぞとばかりに、カウンターへと身を投げる。

「お願い! ……あそこのひとが、僕を」

 化粧ははげかけている。服は引き裂かれている。ついでに靴もない。そして彼の指は、ガウン姿の男を指していた。
 何だ何だ、と客もホテルの従業員も、彼と男を見比べた。

「な…… 何を言うんだ、君」
「お願い、電話貸して下さい! ……いえ、あの、お願いです。うちに、連絡を……あーっやめて、来ないでーっ!!」

 少しでも男が近寄ろうとするごとに、彼は金切り声をあげた。
 客はじろじろと不躾な視線で男を見る。ホテルに来る客のプライヴェイトな関係に関して、別段誰も気にすることはないはずだが、この男はそういうことには慣れていないはずだ。

「冗談はよ、よしなさい」
「だから来ないでええええ!!」

 声だけ聞けば、それはほとんどヒステリイだった。
 少しでも距離を開けようと、彼はのけぞるようにフロントカウンターに背をつけるし、手は大きく伸ばして、自分自身をガードしようとする。
 従業員の視線は、上に置かれた彼の手に走る。嫌悪の色が、その目に走る。

「……お願い、電話は……」
「はい、すぐに……」

 小声で、警察を呼ぼうか、と囁かれたが、彼は首を振った。

「……それより……」

 彼は息も絶え絶えに頼み込む。判った、と従業員はそばの受話器を取ると、彼の言う通りの番号を押した。コール音が聞こえることを確認すると、従業員は彼にそれを渡す。
 ちら、と視線を飛ばすと、埴科が居心地悪そうにその場をゆっくりと立ち去って行くのが見えた。

 悪いけど、僕には捨てなくちゃいけない程のプライドなんて無いんだよ。

 彼はそう思いながら、数回のコール音を聞いた。
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