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第23話 マドリョンカは乳母子に甘える。
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自室に戻るとマドリョンカは乳母子のメイリョンを呼んだ。
「お帰りなさいお嬢様」
「あんたがついてきてくれないからいつも私一人じゃない」
「そう仰有るのなら、出かける前に服を散らかす癖をいい加減直してください。他の召使いに触らせないんですから仕方ないでしょう」
「あんた以上に上手く服を整理するのが居ないからでしょう!」
「はいはいありがとうございます。で、何か御用で?」
はあっ! と大きく肩で息をつくと、マドリョンカは寝台に一気に寝そべった。脱いでからにして欲しい、とメイリョンは思うが、一朝一夕で変わるものでもない。
「マヌェはセレ姉様に羽根の様な肩掛けを編み飾りであげたいんですって」
枕に顔を突っ伏せたままマドリョンカはうめく様に言う。寝台の端に腰掛けると、メイリョンは主人の豊かな髪を一房取る。
「良いことじゃないですか。普段あの方はシャンポン様にしか懐かないから、セレ様もお喜びになるでしょう」
「……だから何でマヌェにその思いつきをされちゃったのか! 私は悔しいの!」
「そっちですか」
やれやれ、とばかりに今度は髪を撫ぜる。
「私だってセレ姉様には何か自分で作ったものを差し上げたいのよ! ちょうど今だったら、桜様の襟飾りが素敵だったから、それに近いものを、とは思いはしたわよ、でも羽根の様に、なんて考えもつかなかった!」
「仕方ないですよ。マヌェ様ですもの」
乳母子仲間のソゾの言ったことをメイリョンは思い出す。
マヌェは突拍子の無いことをしたり言ったりする様に見えても、必ずそこには何かしらの理由が存在しているのだ、と。
*
少女のまま、と言えばそれまでかもしれない。だが全く自分の周囲の世界のことが判っていない訳ではないのだ。ただ言動の理由が自分達のそれとはややずれているだけで。
「だから緑の公主様とお会いする機会があった時も、それぞれ勝手に何か自分の話したいこと話しているだけなのだけど、何処か通じ合うところがあるみたいで」
「でも『判らないひと』と言ったってうちのお嬢様は言ってたわ」
「そこで一つ言葉を足す訳よメイリョン。『周りからは』と足せば全部通じるわ」
ソゾは忍耐強い女だった。マヌェの乳母が母親なのである。一緒に育ったとは言え、自分は置いてきぼりどころか、母親と一緒に、気がつくと何処かへ行ってしまうマヌェをどれだけ追いかけたことだろう。
それは場所的なことだけではない。心がすぐに何処かに飛んでしまうのをできるだけ長い時間「こちら側」に留めようとすることも往々にしてあった。
その相手に疲れ果てたのか、母親が体調を壊して郷里に戻った時、マヌェは何の感情も表さない様に見えた。ただソゾは知っていた。
「母が特別愛されていたとかいなかったとか、とは違うわ。でもいつもとまるで違う、っていう状態はあの方にはとても負担だったみたい」
「私には無理!」
顔の前でひらひら、と手を振るメイリョンにソゾはうっすらと笑う。
「そりゃ、貴女はマドリョンカ様に合った乳母の娘ですもの。あなたの母上はともかく色々綺麗なものとか礼儀とか上昇志向とか、そういうものを教えるには有能だったし」
「皮肉?」
「まさか! だってマドリョンカ様はどうしたって良縁を得なくちゃならない方でしょ。だったらそういう教えが必要よ。マヌェ様はそういうものは必要は無いもの。逆にあったら毒になるわ」
「……やっぱり皮肉に聞こえるけど……」
「やれやれ私の友達はすっかりひねくれてしまったのね」
よしよし、と少しだけ下の同僚の頭をソゾは撫でてやる。
*
―――そんな時のことを思い出しながらだが、メイリョンがその様に頭を撫でるのをマドリョンカは案外好む。特に自己嫌悪にかられている時に。
この間そうしたのは、確か宮中から戻ってきてからだった。礼装も気にせずやはり寝台に飛び込んだのでメイリョンは慌てた。何と言っても礼装なのだ。すぐに代わりが出てくるというものではない。戻ってきたらさくさく脱がせてきちんと服を休ませなくては…… と思っていた矢先だったのだ。
だがマドリョンカはその時の理由に関してはがんとして口をつぐんだ。言ってもどうしようもないことなのよ、と。さすがにアリカと同僚のサボンが入れ替わっていた、なんてことはメイリョンには想像もできない。そして彼女が宮中について行くことは無い。
ただそれでも近い想像はできた。少なくとも異母妹が自分より遙か上の位になってしまったのだ。悔しいのだろう、と。
そしてしばらく声を抑えて泣いていたマドリョンカは目を腫らしながらもメイリョンに言った。
「絶対に、宮中でこのひとあり、って言わせてみせる!」
ひどく曖昧な決意だったが、それでも真剣なことはよく判った。だったら自分はお嬢様のその望みができるだけ叶う様に支えるだけだ。メイリョンはその時そう思った。乳母子というのはそういうものだと。
「マヌェ様と同じ土俵で争うのが目的ですか?」
「ううん」
まだ顔を伏せたままだった。声からして、泣いてはいないらしい。
「セレ姉様に喜んで欲しいだけよ。今回は純粋に!」
「セレナルシュ様は本当にお嬢様を可愛がってくれましたからねえ」
「そうよ。シャンポンがマヌェにばかり構う分、余計に私のこと、気に掛けてくれたのがセレ姉様なのよ! 父上のお胤ではないとか色々酷いことも言われてるのに、私のこと思いやってくれて……」
半分は本心だろう。だが半分は処世術も入っている、とメイリョンはセレについては思っている。セレの乳母子から「本当に」将軍の胤ではないことは聞いているのだ。そして本人もそれを理解しているから、その辺りは注意して欲しいと。
だがマドリョンカはまだその辺りの見通しは甘い様である。だったら自分が支えなくてはならないだろう。
「羽根は羽根でも、頭に飾る方の羽根をお作りになったらどうです? あの方の髪の色に合う、それでいて豪奢に見える……」
やや悪い囁きかもしれないが、と当人も思いつつ。
「お帰りなさいお嬢様」
「あんたがついてきてくれないからいつも私一人じゃない」
「そう仰有るのなら、出かける前に服を散らかす癖をいい加減直してください。他の召使いに触らせないんですから仕方ないでしょう」
「あんた以上に上手く服を整理するのが居ないからでしょう!」
「はいはいありがとうございます。で、何か御用で?」
はあっ! と大きく肩で息をつくと、マドリョンカは寝台に一気に寝そべった。脱いでからにして欲しい、とメイリョンは思うが、一朝一夕で変わるものでもない。
「マヌェはセレ姉様に羽根の様な肩掛けを編み飾りであげたいんですって」
枕に顔を突っ伏せたままマドリョンカはうめく様に言う。寝台の端に腰掛けると、メイリョンは主人の豊かな髪を一房取る。
「良いことじゃないですか。普段あの方はシャンポン様にしか懐かないから、セレ様もお喜びになるでしょう」
「……だから何でマヌェにその思いつきをされちゃったのか! 私は悔しいの!」
「そっちですか」
やれやれ、とばかりに今度は髪を撫ぜる。
「私だってセレ姉様には何か自分で作ったものを差し上げたいのよ! ちょうど今だったら、桜様の襟飾りが素敵だったから、それに近いものを、とは思いはしたわよ、でも羽根の様に、なんて考えもつかなかった!」
「仕方ないですよ。マヌェ様ですもの」
乳母子仲間のソゾの言ったことをメイリョンは思い出す。
マヌェは突拍子の無いことをしたり言ったりする様に見えても、必ずそこには何かしらの理由が存在しているのだ、と。
*
少女のまま、と言えばそれまでかもしれない。だが全く自分の周囲の世界のことが判っていない訳ではないのだ。ただ言動の理由が自分達のそれとはややずれているだけで。
「だから緑の公主様とお会いする機会があった時も、それぞれ勝手に何か自分の話したいこと話しているだけなのだけど、何処か通じ合うところがあるみたいで」
「でも『判らないひと』と言ったってうちのお嬢様は言ってたわ」
「そこで一つ言葉を足す訳よメイリョン。『周りからは』と足せば全部通じるわ」
ソゾは忍耐強い女だった。マヌェの乳母が母親なのである。一緒に育ったとは言え、自分は置いてきぼりどころか、母親と一緒に、気がつくと何処かへ行ってしまうマヌェをどれだけ追いかけたことだろう。
それは場所的なことだけではない。心がすぐに何処かに飛んでしまうのをできるだけ長い時間「こちら側」に留めようとすることも往々にしてあった。
その相手に疲れ果てたのか、母親が体調を壊して郷里に戻った時、マヌェは何の感情も表さない様に見えた。ただソゾは知っていた。
「母が特別愛されていたとかいなかったとか、とは違うわ。でもいつもとまるで違う、っていう状態はあの方にはとても負担だったみたい」
「私には無理!」
顔の前でひらひら、と手を振るメイリョンにソゾはうっすらと笑う。
「そりゃ、貴女はマドリョンカ様に合った乳母の娘ですもの。あなたの母上はともかく色々綺麗なものとか礼儀とか上昇志向とか、そういうものを教えるには有能だったし」
「皮肉?」
「まさか! だってマドリョンカ様はどうしたって良縁を得なくちゃならない方でしょ。だったらそういう教えが必要よ。マヌェ様はそういうものは必要は無いもの。逆にあったら毒になるわ」
「……やっぱり皮肉に聞こえるけど……」
「やれやれ私の友達はすっかりひねくれてしまったのね」
よしよし、と少しだけ下の同僚の頭をソゾは撫でてやる。
*
―――そんな時のことを思い出しながらだが、メイリョンがその様に頭を撫でるのをマドリョンカは案外好む。特に自己嫌悪にかられている時に。
この間そうしたのは、確か宮中から戻ってきてからだった。礼装も気にせずやはり寝台に飛び込んだのでメイリョンは慌てた。何と言っても礼装なのだ。すぐに代わりが出てくるというものではない。戻ってきたらさくさく脱がせてきちんと服を休ませなくては…… と思っていた矢先だったのだ。
だがマドリョンカはその時の理由に関してはがんとして口をつぐんだ。言ってもどうしようもないことなのよ、と。さすがにアリカと同僚のサボンが入れ替わっていた、なんてことはメイリョンには想像もできない。そして彼女が宮中について行くことは無い。
ただそれでも近い想像はできた。少なくとも異母妹が自分より遙か上の位になってしまったのだ。悔しいのだろう、と。
そしてしばらく声を抑えて泣いていたマドリョンカは目を腫らしながらもメイリョンに言った。
「絶対に、宮中でこのひとあり、って言わせてみせる!」
ひどく曖昧な決意だったが、それでも真剣なことはよく判った。だったら自分はお嬢様のその望みができるだけ叶う様に支えるだけだ。メイリョンはその時そう思った。乳母子というのはそういうものだと。
「マヌェ様と同じ土俵で争うのが目的ですか?」
「ううん」
まだ顔を伏せたままだった。声からして、泣いてはいないらしい。
「セレ姉様に喜んで欲しいだけよ。今回は純粋に!」
「セレナルシュ様は本当にお嬢様を可愛がってくれましたからねえ」
「そうよ。シャンポンがマヌェにばかり構う分、余計に私のこと、気に掛けてくれたのがセレ姉様なのよ! 父上のお胤ではないとか色々酷いことも言われてるのに、私のこと思いやってくれて……」
半分は本心だろう。だが半分は処世術も入っている、とメイリョンはセレについては思っている。セレの乳母子から「本当に」将軍の胤ではないことは聞いているのだ。そして本人もそれを理解しているから、その辺りは注意して欲しいと。
だがマドリョンカはまだその辺りの見通しは甘い様である。だったら自分が支えなくてはならないだろう。
「羽根は羽根でも、頭に飾る方の羽根をお作りになったらどうです? あの方の髪の色に合う、それでいて豪奢に見える……」
やや悪い囁きかもしれないが、と当人も思いつつ。
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