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第14話 皇帝のちょっとした、だけど切実な我が儘②
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ヤンサシャフェイ、でサシャ。まるで今サボンが親しくしだしているセンの名の作りと良く似ている、とアリカはふと思い出した。
「先帝の一番末の公主だとお聞きしましたが」
「そう、そこだ」
皇帝は彼女の前に一本指を立てた。
「俺と彼女の歳はそう変わらない。いや、彼女のほうが一つか二つ上か。ただ彼女が生まれた頃、先帝は帝都には居なかった」
噂はそこにつながる。
「唐突に戻ってきた先帝の胤だ、とサシャの母親は言い張った。無論それを信じる者は居なかった。だが、かと言って違うと断言することもできなかった。何せその頃先帝である俺の親父は、桜の国に居たのだから。
桜の国で何年か暮らし、それなりの武芸者の顔をし、国主の近衛――― いや、どちらかというと親衛隊か。公式なそれというよりは、当時桜の国の軍を統率していた紅梅姫の私的な近侍兵士十人衆の一人だったらしい」
「つまり親衛隊にしても、公的に周囲から歓迎されるものではなかったと?」
「とも言い切れない。帝国で大武芸大会を開いたのもその影響があったくらいに、桜の国では武芸の達人は皆から敬愛されていた。だから代々の軍を率いる王族は、その側近の親衛隊として十人の武芸者を公開の大会の勝利者から選んできたということだ」
「伝聞ですよね」
「当たり前だ。俺はその国が滅ぶ時に孕まされたということだからな」
全く、と自嘲気味に皇帝は笑った。
「だからこれは俺を産んだ女の証言だ。あの女は本当に心からその主君を敬愛していたらしい。だからその主君達を殺し、なおかつその間近で自分を犯して孕ませた男をずっと憎んだ」
「そして証言、と仰有るには、また別の視点もあるんですね?」
「そう。また別の切り口もある」
一つの物事は一人の視点で全てを判断してはならないのだ、とアリカは知っていた。特に現在は自身の「知識」と現実の「常識」がずいぶんと離れている様な状態であるから特に。
「そこでサシャが出てくる訳だ」
「偶然にしてはとても劇的ですが」
「だがあれは本当に偶然だった。帝都に向かう道にはそう選択肢は無い。だからこそその偶然も成り立ったのだろうな。俺は一人で何とか旅をしてこのまま真っ直ぐ進めば帝都だ、という道に出た。そこでちょうど賊に遭っている彼女の馬車に出会った。彼女はやっと帝都に入れる年齢になっても、なかなか入る機会が無かった。何故だと思う?」
「やはり、噂ですか?」
「噂が半分。彼女を押しとどめる副帝都に住む母親の存在が半分。母親は草原の女だったらしい。だがその大武芸大会のやや前に、病で儚くなった。先帝はそれを機に彼女を帝都に呼び寄せようとした。直接保護するつもりだったらしい」
「ちょっと待って下さい」
アリカは手を上げる。
「先帝陛下は太公主様を直接保護――― ということは、皇女ということをお認めには」
「親父からしてみれば、大概の女は一度女子を産んだ場合、それ以降は殆ど手をつけなかったらしい」
「惨いですね」
「そう思うか?」
「一般論としてですが」
「そなたはどう思う? このまま俺に捨て置かれるのは」
どうだろう。アリカは軽く首を傾げる。
そもそもが生きてきたこと自体が奇跡の様なものだった。
将軍の思惑はどうあれ、少なくとも他の拾われ子よりは安楽な暮らしをしてきたと思う。
そしてこの名を引き継いだことも、身体が変わってしまったことも、膨大な知識を植え込まれたことも、―――別に大した問題ではない様に、彼女には思えた。
いやそれは違うでしょう、とサボンの声が何となく聞こえてきそうだった。成る程元の主人だったら、そう考えるかもしれない。
だが元々――― そもそも自分は、自分の部族の中においてさえ軽く扱われてきた命なのだ。今現在食う寝るところに住むところを心配せずに生きていられるだけ、充分恵まれている気がする。
また皇帝を普通の夫と同等考えるのも何か違う気がする。何と言っても皇帝なのだ。自分が皇后だ、と言われたとしてもだ。
一方で寵愛を失った寵姫の様な存在、と自分を考えるのも、やはり何か違う気がする。自分はあくまでこの帝国の中の一つの歯車の一つとして据えられただけにすぎない。そこに人同士の愛が恋がどうの、というのは求められていないし、求めても仕方が無い気がする。
「捨て置かれたとしても、別に構わないと思いますが」
ふん、と皇帝は軽く鼻で笑った。
「そこが皇后の器だったということだな。俺にとっての」
「陛下にとっての?」
「先帝にとって最も相応しい器は、自身を憎み、殺してくれる相手だったらしい。
親父の記憶は時々しか俺には繋がらないが、たまに感じる感情は『誰か俺を殺してくれ』だった。だからこそ、器に相応しい女を捜すために、帝都の制度を自分が居なくとも国が回る様にわざわざ二~三十年もかけて整え、それからおもむろに単身、探しに行った訳だ。自分を殺してくれそうな腕と憎悪を持つ女を。酷いものだ」
「憎悪」
アリカは軽く目を眇める。彼女にとっては判りづらい感情だった。
「あの女は元々は残桜衆と同じ里の出だった。そこでは男も女もそれぞれ行く道は決まっていた。
ところがあの女の姉が、外の男と逃げようとした。姉のほうは散々嬲られ殺され、当人は嬲られそうになるところを半狂乱で里の者を相当数殺して脱けたのだと。
つまりは集中することで、異様な力を持ち――― 納得できない死には徹底的に逆らう気質を持っていた。
誰も信用できない中、やってきた都であの女を拾ったのが先帝だ。無論そこには様々な思惑が行き交っている。
あの女は姉の事件自体が突然のことだと思っていたようだが、さて、姉の相手の男というものは本当に突然現れたのか?」
アリカは首を横に振った。
「そこまでの偶然は無いでしょう」
「ではどう思う?」
「少なくとも、その男は太后さまの姉君と運命的に出会わされたのでしょう。そういう男を用意された。そこに愛情ができる様なお膳立てをすることは先帝陛下が単身出向いていたとしても、何かしらの情報を得るための配下の者は持っていたと思われます」
そうだな、と皇帝は満足そうにうなづいた。
「先帝の一番末の公主だとお聞きしましたが」
「そう、そこだ」
皇帝は彼女の前に一本指を立てた。
「俺と彼女の歳はそう変わらない。いや、彼女のほうが一つか二つ上か。ただ彼女が生まれた頃、先帝は帝都には居なかった」
噂はそこにつながる。
「唐突に戻ってきた先帝の胤だ、とサシャの母親は言い張った。無論それを信じる者は居なかった。だが、かと言って違うと断言することもできなかった。何せその頃先帝である俺の親父は、桜の国に居たのだから。
桜の国で何年か暮らし、それなりの武芸者の顔をし、国主の近衛――― いや、どちらかというと親衛隊か。公式なそれというよりは、当時桜の国の軍を統率していた紅梅姫の私的な近侍兵士十人衆の一人だったらしい」
「つまり親衛隊にしても、公的に周囲から歓迎されるものではなかったと?」
「とも言い切れない。帝国で大武芸大会を開いたのもその影響があったくらいに、桜の国では武芸の達人は皆から敬愛されていた。だから代々の軍を率いる王族は、その側近の親衛隊として十人の武芸者を公開の大会の勝利者から選んできたということだ」
「伝聞ですよね」
「当たり前だ。俺はその国が滅ぶ時に孕まされたということだからな」
全く、と自嘲気味に皇帝は笑った。
「だからこれは俺を産んだ女の証言だ。あの女は本当に心からその主君を敬愛していたらしい。だからその主君達を殺し、なおかつその間近で自分を犯して孕ませた男をずっと憎んだ」
「そして証言、と仰有るには、また別の視点もあるんですね?」
「そう。また別の切り口もある」
一つの物事は一人の視点で全てを判断してはならないのだ、とアリカは知っていた。特に現在は自身の「知識」と現実の「常識」がずいぶんと離れている様な状態であるから特に。
「そこでサシャが出てくる訳だ」
「偶然にしてはとても劇的ですが」
「だがあれは本当に偶然だった。帝都に向かう道にはそう選択肢は無い。だからこそその偶然も成り立ったのだろうな。俺は一人で何とか旅をしてこのまま真っ直ぐ進めば帝都だ、という道に出た。そこでちょうど賊に遭っている彼女の馬車に出会った。彼女はやっと帝都に入れる年齢になっても、なかなか入る機会が無かった。何故だと思う?」
「やはり、噂ですか?」
「噂が半分。彼女を押しとどめる副帝都に住む母親の存在が半分。母親は草原の女だったらしい。だがその大武芸大会のやや前に、病で儚くなった。先帝はそれを機に彼女を帝都に呼び寄せようとした。直接保護するつもりだったらしい」
「ちょっと待って下さい」
アリカは手を上げる。
「先帝陛下は太公主様を直接保護――― ということは、皇女ということをお認めには」
「親父からしてみれば、大概の女は一度女子を産んだ場合、それ以降は殆ど手をつけなかったらしい」
「惨いですね」
「そう思うか?」
「一般論としてですが」
「そなたはどう思う? このまま俺に捨て置かれるのは」
どうだろう。アリカは軽く首を傾げる。
そもそもが生きてきたこと自体が奇跡の様なものだった。
将軍の思惑はどうあれ、少なくとも他の拾われ子よりは安楽な暮らしをしてきたと思う。
そしてこの名を引き継いだことも、身体が変わってしまったことも、膨大な知識を植え込まれたことも、―――別に大した問題ではない様に、彼女には思えた。
いやそれは違うでしょう、とサボンの声が何となく聞こえてきそうだった。成る程元の主人だったら、そう考えるかもしれない。
だが元々――― そもそも自分は、自分の部族の中においてさえ軽く扱われてきた命なのだ。今現在食う寝るところに住むところを心配せずに生きていられるだけ、充分恵まれている気がする。
また皇帝を普通の夫と同等考えるのも何か違う気がする。何と言っても皇帝なのだ。自分が皇后だ、と言われたとしてもだ。
一方で寵愛を失った寵姫の様な存在、と自分を考えるのも、やはり何か違う気がする。自分はあくまでこの帝国の中の一つの歯車の一つとして据えられただけにすぎない。そこに人同士の愛が恋がどうの、というのは求められていないし、求めても仕方が無い気がする。
「捨て置かれたとしても、別に構わないと思いますが」
ふん、と皇帝は軽く鼻で笑った。
「そこが皇后の器だったということだな。俺にとっての」
「陛下にとっての?」
「先帝にとって最も相応しい器は、自身を憎み、殺してくれる相手だったらしい。
親父の記憶は時々しか俺には繋がらないが、たまに感じる感情は『誰か俺を殺してくれ』だった。だからこそ、器に相応しい女を捜すために、帝都の制度を自分が居なくとも国が回る様にわざわざ二~三十年もかけて整え、それからおもむろに単身、探しに行った訳だ。自分を殺してくれそうな腕と憎悪を持つ女を。酷いものだ」
「憎悪」
アリカは軽く目を眇める。彼女にとっては判りづらい感情だった。
「あの女は元々は残桜衆と同じ里の出だった。そこでは男も女もそれぞれ行く道は決まっていた。
ところがあの女の姉が、外の男と逃げようとした。姉のほうは散々嬲られ殺され、当人は嬲られそうになるところを半狂乱で里の者を相当数殺して脱けたのだと。
つまりは集中することで、異様な力を持ち――― 納得できない死には徹底的に逆らう気質を持っていた。
誰も信用できない中、やってきた都であの女を拾ったのが先帝だ。無論そこには様々な思惑が行き交っている。
あの女は姉の事件自体が突然のことだと思っていたようだが、さて、姉の相手の男というものは本当に突然現れたのか?」
アリカは首を横に振った。
「そこまでの偶然は無いでしょう」
「ではどう思う?」
「少なくとも、その男は太后さまの姉君と運命的に出会わされたのでしょう。そういう男を用意された。そこに愛情ができる様なお膳立てをすることは先帝陛下が単身出向いていたとしても、何かしらの情報を得るための配下の者は持っていたと思われます」
そうだな、と皇帝は満足そうにうなづいた。
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