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第11話 皇帝の欠片

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 イムファシリャ公主は紙に○と点で記号を並べだした。
 筆をさらさらと動かす手の勢いは淀みない。
 彼女の描く図自体はアリカが縫製方に見せたそれと近いものがあったが、書き方は異なっていた。
 それに加えて、一つの法則までも付け加えられていた。

「円形を作る際の六カ所の増やし目については、ご自分で検証なされたのですか?」
「丸くしようとするなら輪の中に編み入れなくてはならないけどその場合一段につき六カ所ふやさなくちゃどんどん蛇になってくばかりだもの」
「そうですね。確かに目を増やさずに編んでいけば、筒状のものがぐるぐるとできるだけです」
「そうよね」

 そう言いつつも更に公主は書き続ける。これは、とアリカは眉を軽く上げた。
 数字だけではない。「数式」を彼女はその上に書いていた。

「シーリャ様は、数字の学問の方を多くなさいましたか?」
「教えてくれるひとがいなかったから自分でかんがえてたわ。アリカさまは?」
「私はそこまでは。でもおそらく、シーリャ様が数字でまとめたいことは分かると思います」
「うれしい!」

 そう言うと、公主は筆を放り出してアリカに飛びついた。

「よかったあなたがいいひとで。また面白い問題があったらくださいな」

 そう言うと、来た時同様にひらひらふわふわと唐突に外に飛び出していった。
 周囲は唖然としつつも、公主に何かあってはいけない、と送り出す。
 外には追いかけてきた公主館の女官達がやっとのことで追いついてきていた。



「嵐の様でございましたね……」

 他の仕事をしていた女官長も話を聞きつけて、慌ててアリカの元にやってきた。
 サボンもまた、テーブルの上の紙を片付けたいとも思うのだが、なかなか書き付けられた紙の墨が乾かないので、手を出すこともできない。
 いやそれだけではない。アリカがその図と数字の羅列をじっと見ているのだ。

「女官長どの、あの方はいつもああなのですか?」
「は、はい……」

 女官長達皆の見解としては、緑の公主は本当の少女の頃から「ああ」だったという。
 そのため、ずっと降嫁させることもできないし、そもそも少女のままの心で居るしかないので致し方ない、と。
 サボンは実家の異母姉の一人のことをふと思い出す。タイプは違う様だが、確かに何処か似通った雰囲気があった。

「……」
「何かお考えが?」
「いえ、でももの凄い頭の方ですね」
「え?」
「もの凄い?」

 アリカは口にはしないが、その紙に書き付けられている「数式」は、「ここ」では存在しないものだった。
 彼女に詰め込まれた「記憶」と近いものがある。
 そもそも、描かれているのが「数式」であること自体、この帝国で使っている記号と異なるのだから、「ああ」だと思われても仕方がないだろう。
 この帝国において、複雑な計算を必要とされることはまず無い。
 数式で表現しなくてはならない、ということも無い。
 何処かの地方には、数学者の様な者も居るかもしれない。だが少なくとも帝都においては存在していないのだ。
 アリカは思う。イムファシリャ公主は言うなれば、全てを数値に置き換えることができる類の人間なのだと。
 だが知らない外国語の文字がただの模様にしか取られず、読まれることができない様に、彼女の「それ」も訳の分からない行動の一環して周囲には認知されている。
 そんな事情が伺い知れる。ただ、その部分以外は少女のまま、というのもまた確かな様である。
 これもまた、皇帝自身に聞いてみるべき案件だろう、と彼女は思った。

「それは乾いても取っておいてくれませんかサボン」
「あ、はい」
「何か気付かれたことでも? 女君」
「いえ、あの方はとても記号の様な『問題』好きということが分かりましたので、きっと綺麗な飾りだの何よりも、そういうものを喜ぶのだろうな、と」

 さっぱり分からない、という様に女官長とサボンは顔を見合わせた。

「そう言えば女君、お茶会の方は我々の通常の手順通りで宜しゅうございますか?」
「ええ、それはお任せします。私がした方がいい作法などありましたら、教えて下さいな、レレンネイ女官長」

 それはもう、と彼女は大きくうなづいた。無論サボンにも、と付け加えるのも忘れずに。



「あれは俺の欠片《かけら》が入ってしまった様なものだ」

 風の心地よい季節だから、と露台に椅子を置かせ、並んで茶を飲みながら星を見るという風情で話を始めた。

 その晩彼がやってきたのは、アリカがあえて女官長に頼んで花を送ったことによる。
 一応現在の正式な夫ということなはずなのだが、彼はアリカが子を宿したと分かった後はそうそう頻繁には来ない。
 アリカもまた、彼については本人や周囲からの話で色々察しては居たので、行動についてどうこう言うことも無い。何より彼は皇帝なのだから。
 異母妹であるヤンサシャフェイ太公主の元に堰を切った様に足繁く通っていると分かっていても、だ。
 だから聞きたいことがある時だけ、それをある程度貯めてから合図のように花を送ることにしている。

「欠片とは?」
「俺もまあ、その辺りを上手く理解しているという訳ではないのだが」

 近くにサボンが待機しているのは知っている。
 だが彼女にはこの話の意味は判らないだろう。アリカはそう考えてあえて聞かせるままにしている。

「皇帝が皇帝である理由、というのが俺達代々の身体の中にある。それが俺達や、皇后となった者をそういう生き物にしてしまう訳だ」

 はい、とアリカは横でうなづく。それは実感している。

「男子を宿す様な身体の場合、きっかりそう変化できる。が、女子を宿した場合、そうでもない。緑の、と呼ばれているシーリャの母親は、産みつつ亡くなった類だ」
「そうだったのですか」
「皆はその産まれる時の後遺症の様にシーリャのことを言っているのだろうが、むしろあれにも入り込んでしまった、母親が亡くなってしまったという方が正しい」
「だから、欠片ですか。シーリャ様にも……」
「これが桜の、ルーシュの場合、母親にも本人にも何も掛からず、たたの女子として生まれ、母親も無事だったりする。元々合わない、と『それ』が判断しているのではないか、と俺も思った」
「では『それ』が入り込む基準というのは何なのでしょう」
「それこそ、そなたの父親がそなたを送り込んだ理由だろうな。大量の知識を受け止める器と強い身体。それが無いと命を落とす。……俺は判っていても、それを上手く説明はできないし、説明したところで納得できる者はいなかったからな」
「でしょうね」

 ふっ、と皇帝は笑った。

「で、何やら地道なことをやっているらしいと聞くが」
「私自身、所詮は浅薄なものですので。そのうち太公主様にお目通り願っても宜しいでしょうか」
「構わん。……最近気弱になっているから、誰かが訪れてやった方がいい」
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