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18.「答えによっては、俺はあんたを見捨てるよ」

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 悲鳴は、彼らがやってきた方向から聞こえた。朱明は頭をぶるん、と一度振ると、はずみを付けて立ち上がり、部屋の出口へと向かった。
 女の声だ、と彼は思った。しかもそれは聞き覚えがある。
 扉をくぐると、ざわざわと木々がざわめいている。風は無い。彼らは、突然の侵入者に、騒いでいるのだ。
 朱明は眉を強く寄せた。深いシワがその間に刻ませる。唇を噛むと、さわさわと揺れる楓や、大きく体をよじる芭蕉の葉の間をすり抜ける様にして、彼は次々にと扉をくぐり抜ける。
 背後から相棒の気配を感じる。振り向きもせず、彼は相棒に問いかける。

「誰の声だと思う?!」
「ユエだ」

 相棒の答えはひどく簡単だった。
 ハルが言うのなら、そうなのだろう、と朱明は思った。相棒の耳は良い。一度聞いた声なら、ハルは正しく判断する。

「あの連中が、やってきやがったのか?」
「いや、彼女一人だけだと思う。他の声はしない。だけど危険だ」
「危険?」

 その時初めて朱明は相棒の方を向いた。ハルは黙ってうなづいた。

「危険って……」
「どっちにしても」

 どういう意味だ、と聞こうとした時、急に相棒の足が止まった。
 いきなりのスピードダウンに、彼は危うく転びそうになる。何だってんだ、と朱明は言いかけて、目を見張った。熱帯の緑の中で、女が、浮かんでいる。いや違う、浮かばされている。
 細い幹の樹に絡んだ蔦があちこちから手を伸ばし、女の身体のいたる所を掴み、持ち上げているのだ。
 女…… あの時店に居たユエという名の女は、顔と、胸の一部と、片足だけを残して、濃い緑の蔦にぐるぐるに巻き付かれていた。
 その悲鳴は、見上げる二人の身長の三倍ほどの高さに持ち上げられたことによるのか、巻き付かれた身体が痛むのか、それとも植物が動くことへの恐怖によるのか?
 いずれにせよ、尋常な事態ではなかった。

「どうする?」

 思わず朱明は相棒に問いかけていた。つぶやく自分の言葉が、自分のものではないようだった。情けないことに、どうしたらいいのか、全く見当もつかなかった。

「どうするって…… 助ける…… のかなあ?」

 だがハルの声もそこで止まった。巻き付かれたユエの手には、小型のレーザーナイフが握られている。おそらくは、自分達の後をつけてきたのだろう。
 すると、相棒はすっと、一歩前に進んだ。そして声を張り上げる。滅多にハルはそういうことはしないというのに。

「助けてやってもいいけど、おばさん」
「……」

 耳に届いたのだろうか。ユエの頭がぴくりと動いた。

「あんたは、何しに来たの? 答えによっては、俺はあんたを見捨てるよ」
「……く……」

 喉の奥でつぶれたような声が、朱明の耳に届く。いくらあの時あまり好印象は持てなかったにせよ、朱明は女のそういう声は好きではない。
 次第に巻き付く蔓の力は強くなっているようだった。このままでは窒息なり、身体中の骨が砕けるだろう。目の前で女がそういう事態になるのはいくら何でも、嫌だった。

「言ってやろうか? あんたは植物採集に来たんだよな? あそこにはないサンプルを探しに。しかも旦那の目を盗んで」

 女はくわっ、と目を大きく開いた。

「助けてほしい?」

 ハルは問いかける。時々朱明は、この相棒のこういうところにぞくりとするのだ。実に楽しそうに、問いかける、その声。ユエは思い切り大きく首を縦に振った。

「どうしようかな……」

 ハルはちら、と彼女に絡んでいる蔓の本体に目をやる。朱明は一瞬、その本体がハルの方を見たような気がした。

「下手なこと考えるなよ、おぱさん」

 するする、とそう彼が言うと、蔓はゆっくりと降下しながら解けていく。ようやく身体を解放されたユエは、まだ半ば青ざめ、肩で息をしながらも、きっとそこに立つ二人をにらんだ。

「……何なのよここは…… 何なのよこの化け物花は!」
「あのねえおばさん、そういうこと、言うと」

 ハルは軽く指を上げる。ざわざわ、という音とともに、また蔓が動き出した。ユエはひっ、と喉で声を上げる。

「このままあんたが大人しく立ち去ってくれたら、あんたの身は無事だと思うけどね」
「兄の遺産を残さず見たいと思って何が悪いのよ!」

 兄? と、朱明は思わず問い返していた。

「あんたダールヨン氏の……」
「妹だわよ! せっかくあんないいポストに居たのにいきなりそれを全部捨てて逃げた馬鹿な兄のね!」

 げ、と朱明とハルは顔を見合わせた。親戚、ならともかく、血のつながったきょうだいだとすると、やや分が悪い。

「……だけど、あの時シファはあんたらにそこにあった花や、データは全部渡したはずだ。これ以上、何が欲しいっていうんだ? 普通に花を商う分なら、あれで充分だろうに!」

 は、とユエはようやく立ち上がりながら、口の端で笑った。

「あれだけのものがあるならば、もっと多くのものを開発している、と予測するのが商人というものでしょう! 兄は、一族では、変わり者だったわ」
「変わり者、ねえ」

 ハルは首を大きく回す。

「ロマンティストだとは考えないの? おばさん」
「おばさんおばさんってうるさい子! いい加減に、この先に案内なさい!」

 彼女は胸元から小型の拳銃を取り出した。すると蔓がさわさわと動きだす。

「あんた達近づいたらこいつらを撃つわよ!」
「無駄だと思うけどな…… 別に俺達は彼らの主人じゃないんだし……」

 ハルはつぶやく。ちら、と朱明が横を見ると、そこには銃口にも蔓にも無関心な目があった。
 相棒は、重力の無い口調で、言葉を今にも飛びかかりそうな勢いの蔓達に向けた。

「でもいいや。止まって。どうせおばさんにはあれを持っていける訳がないんだから」

 確かにそうだ、と朱明も思った。
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