上 下
2 / 26

1.重力の無い声が、絡み付く。

しおりを挟む
 目を開けた時、やはりそこは闇だった。
 彼はふと不安になり、ゆっくりと身体を起こした。そして不機嫌そうな表情で、解いたままの長い黒い髪をかき上げる。
 ブラインドのすき間からぼんやりと漏れる遠くの街の灯りが、ここが夢の中でないことを彼に知らせる。彼は安堵し、視線を下方に落とした。
 そこには光が届かない。だが確かな質量を持ったものが、そこには在る。それは感じられる。触れるか触れないかばかりに近づいた、自分よりはやや低い体温の身体。規則正しく繰り返される呼吸。呼応して動く背。
 それでもふと不安になって、彼は相手の頬に触れてみたいような衝動にかられる。
 だがその指は、その上で止まり、やがて彼の眼下にと戻された。彼はしばらくその手のひらをじっと見つめる。闇に慣れてきた目に、次第に手は実感を取り戻すかのように見えた。
 触れてみたい。今この場にこの相手が居ることを、確かめてみたい気持ちはある。
 それは彼に不意に襲いかかる不安でもあった。こんな夜、この隣に居る相手が、ふと消えてしまったら。
 だが、この眠りを覚ますことは、ひどく悪いことのようにも思える。その戸惑いが、彼の手を止めさせる。
 だが。

「……何」

 低い声が、彼の耳に届く。ついていた腕に、指が絡むのを感じる。

「起こしちまったか」
「……横でもぞもぞされてりゃ、目ぐらい覚める」

 乾いた、だけど絡み付く声。彼はその声に促されるようにして、再び身体を夜具の中に滑り込ませる。相手の身体に触れる。

「……ああ確かに、居る」
「何言ってるんだか」

 重力の無い声が、絡み付く。彼は相手の身体にそのまま、腕を絡み付かせる。

「眠いんだから、うっとぉしいじゃないか、朱明……」
 重力の無い声が、絡み付く。

   *

「だいたいなあ? 何でお前、お出かけにそそんなに時間かかる訳?」

 運転席から、実に不機嫌そうな声が飛ぶ。

「別にいつも代わり映えしない格好なのになぁ。黒ばっか黒ばっか黒ばっか」

 無言。

「それに別にキレエなおねーさんに会いに行く訳じゃないんだよ? なーんだってお前、そんなに時間ばっかりとるの」

 さらに無言。

「聞いてるのかよ朱明?」

 だがしかし、さらに無言。
 マニュアル運転でよそ見するのは事故の元。それは判ってはいるので、彼はハンドルをオートに切り替えた。放っておいても、中央管制塔が死なない限り、この都市では車はちゃんと命じておきさえすれば、目的地に着く。
 そして彼は視線と身体を助手席の男の方へ向ける。案の定、相棒は、また夢の続きに入ろうとしてた。
 形の良い眉が片方、ぴくぴくと動く。
 無言のまま、彼は無造作に車内に落ちていたスリッパを拾った。
 そして次の瞬間、それがひらりと空を切った。
 ぴしゃん、と見事な音がして、薄っぺらいスリッパは、朱明と呼んだ相棒の、ひろいおでこに命中していた。

「でっ!」

 声が上がる。さすがに相手も飛び上がるようにして跳ね起きる。長い、鬱陶しい程の黒い髪を揺らし、朱明はシートから勢いよく上体を起こす。そして自分の額に貼り付いたままのものに気付くと、目の前の相棒の瞳に負けず劣らずの不機嫌そうな表情を返す。

「……あのなー…… ハルお前ねー…… いくら何でもそれ投げつけることは無いでしょ」

 朱明はスリッパをぴらぴらと振る。
 だがハルと呼ばれた相棒も負けてはいない。彫りの深い大きな目を半ば呆れたように閉じながらも、残った片方のスリッパもぴらぴらと振ってみせる。

「ふん。寝汚いお前が悪い。俺ら今から何しに行くか、お前知ってるんか?」
「宙港へ藍地君をお迎えでしょ」
「それだけか?」
「それだけか、って何かあったっけなー……」

 朱明は濃い眉を寄せ、顎を抱えて考え込む。と、スリッパの片割れが、また空を切った。
 さすがに今度は朱明も片手で受け止めたが、溜め息をつかずにはいられなかった。相手は明らかに怒っている。だがその理由がどうも彼には思いつかないのだ。
 昔馴染みの友人を迎えに行く。他に何かあったか?

「あった」

 そんな朱明の疑問を読んだようにハルは繰り返す。
 ああこりゃやばいな、と朱明もさすがに思う。こういう時の相棒には、謝ったほうが早そうだった。

「……忘れた。ごめん」
「……久しぶりさんだからお花でも買って出迎えてやろうって言ったのは誰だ?」

 ああ、と朱明はぽんと手を叩いた。

「俺だ」
「そ。お前。俺が別に藍ちゃんは花もらったとこでうれしかないだろって言っても、主張したのはお前。忘れるのは老化の始まり」

 さすがにそう言われると、朱明も苦笑せざるを得ない。確かに自分の言いそうなことなのだ。
 尤も彼は、老化老化と言われる程歳をとってる訳ではない。ただ、この目の前に居る相棒は、未だに出会った頃の二十歳程度の姿なのだが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

反帝国組織MM③マ・シェリ~ショウウインドウの中で動けない人形ではいたくなかった。

江戸川ばた散歩
SF
「マスクド・パーティ」の時間的に次の話。 反帝国組織「MM」の幹部メンバーになってしまったG君に与えられた仕事。 連絡員キムと共に惑星コッぺリアで別の組織「赤い靴」と接触するが――― と言いつつ、ポイントはそこではなくキム君の正体と「エネルギー補給」である話。

反帝国組織MM⑥いつかあの空に還る日に~最後のレプリカントが戦いの末に眠るまで

江戸川ばた散歩
SF
レプリカント反乱軍の首領・ハルに拾われた元セクサロイドのキム。 「変わった」レプリカだと評される彼は反乱の最中、天使種の軍人Gを拉致するが…… ちなみにこのハルさんは「flower」のHALさん。

反帝国組織MM② カラーミー、ブラッドレッド

江戸川ばた散歩
SF
帝都政府統治下の人類世界。 軍警で恐れられている猛者、コルネル中佐。 ある日彼は、不穏な動きを見せる惑星クリムゾンレーキの軍部を調査するために派遣される。 だが彼の狙いは別のところにあった。 その惑星は彼にかつて何をしたのか。

反帝国組織MM⑤オ・ルヴォワ~次に会うのは誰にも判らない時と場所で

江戸川ばた散歩
SF
「最高の軍人」天使種の軍人「G」は最も上の世代「M」の指令を受けて自軍から脱走、討伐するはずのレプリカントの軍勢に参加する。だがそれは先輩で友人でそれ以上の気持ちを持つ「鷹」との別れをも意味していた。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

未来史シリーズ-③flower~閉ざされた都市で、人形は扉を開ける鍵を探す

江戸川ばた散歩
SF
十年前、周囲の空間から切り離された「都市」。 外とつながることが出来るのは満月の夜、ぐるりと囲む川にかかる橋だけ。 そこで暮らす脱法運び屋のアキは奇妙な雰囲気を持つ青年? ハルと出会う。 アキは気付かなかったが、この出会いが「都市」開放のスタートスイッチだった。 そもそもなぜ「都市」は閉ざされたのか。 「都市」を掌握する一つの集団の持つ秘密とは。

反帝国組織MM⑦どうしようもなく果てない青い空に、幾度でも墜ちていく。

江戸川ばた散歩
SF
「オ・ルヴォワ」の最後で何処かに「墜ちた」G君。 自分の能力、それを利用されたこと、レプリカのことなど考えること満載な彼の前に現れた貧しい姉と弟。 関わってしまったタニエル大佐。 さて彼はこの子達を守ることができるか。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

処理中です...