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3年後、アルク再び(俯瞰視点三人称)
77 テルミンは疲れていた
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「居ません。何処にも……」
「よし今度は、こちらへ廻れ」
「は」
二人一組の警備兵は、一礼するとすぐに所定の位置へと駈けだして行く。
テルミンは次々に集まってくる警備兵の報告を聞き、図面をモニター室の大きなデスクに広げながら、別の箇所を指示していた。
普段の警備の人数はそう多くは無い。
だが一声かければ、その数は数倍に膨れ上がる。
その人員をもって、この複雑怪奇に絡み合った様式の詰め合わせの様な官邸を、これでもかとばかりに彼は捜索させていた。
しかし結果ははかばかしくない。
たった一匹のねずみをいぶり出すだけなのに、何故こんならはかどらないのか。
テルミンは苛立ちかけていた。
元より睡眠が足りないことが、彼の神経をささくれ立てていた。
そしてその時、彼の神経をより逆撫でするものが飛び込んできた。
『こんばんわこんばんわも一つおまけにこんばんわ。親愛なる総統閣下お元気であられましょうか。衛星光が綺麗ですね今夜は。同じ光を浴びてらっしゃるのでしょうか?』
笑い混じりの奇妙に響く声が彼の耳に飛び込んで、頭の中をかき回す。
切ってしまえ、と叫びだしたい衝動が、あった。
「どういたしましたか?」
心配そうにまだ若い警備兵の一人が彼をのぞき込む。
ああいけない、とテルミンは思う。
疲れや苛立ちを、彼らの前で見せる訳にはいかないのだ。
大丈夫だ、と手を振って彼は笑顔を作る。
「しばらく私室に居る。見つけたらすぐに連絡しろ」
「はい。ですが宣伝相閣下、一応お持ち下さい」
兵士の一人は、彼に麻酔銃を差し出した。
生け捕りにしろ、とヘラが命じたことから、テルミンは彼らにそれを持たせて捜索させていたのだ。
「判った。まず私が使うことはないだろうが」
「しかし」
にっこりと笑い、テルミンはそれを受け取った。
渡した兵士も、それにつられてにっこりと返した。
だが部屋に入った途端、疲れが体中に押し寄せてくる。
それは寝不足や日々の疲れの蓄積からだけではなかった。
体中を襲う、無気力に近いものだった。
あの帝都からの派遣員が帝都に戻ってからというもの、彼は慢性の寝不足に悩まされていた。
全く眠りが無い訳ではないが、浅く、起きた時にひどい倦怠感を伴うものだった。
休んだ、という感触がひどく少ないものだった。
そして夢をよく見る。
それはひどく曖昧なもので、何をどうというものが、具体的に現れる訳ではない。
いや、現れる時もあることはある。
例えば彼の敬愛なる総統閣下。
彼の親友。
彼の女友達。
その中で、テルミンは上手くものごとを回している――そんなイメージ。
ただ「上手くやっている」という感覚だけがそこにはある。
だがそれはいつでも何処か薄ら寒いのだ。
誰かが、居ない。
それが誰であるのか彼は知っていた。
呼ぼうとすると、目が覚める。
手を伸ばす。
だがその手は何にも触れることもなく、ただ夜の闇をかき回すだけだった。
寝具をかき寄せ、自分自身を抱きしめてみても何も変わる訳ではない。
そしてただ、じっと朝が来るのを待つのだ。
しかしどうやらこの夜は、そんな風に待つことはしなくてもよそさうだった。
だが倦怠感は続いている。
何とかしなくては、と彼は私室の隅の簡易キッチンへ立ち、専属のハウスキーパーが毎日用意しているコーヒーポットを火にかけた。
半分も呑まないうちに取り替えられるそれが、無性に今は欲しかった。
こぽこぽ、と音をさせて沸騰を始めたそれを火から下ろす。
彼は胃に良くないな、とミルクを少し入れてかき回す。
部屋中に、コーヒーの香りが広がった。
両手でカップを持つ。
口をつける。
暖かい。
ふう、と彼はため息をついた。
その時だった。
気を抜いたから、耳が敏感になったのだろうか。
銃声を聞いた様な気がした。
立ち上がる。
それは何処からだろう。
耳を澄ませる。
だが部下からの連絡は無い。
再び、銃声が細く糸を引いて、彼の耳に飛び込んだ。
まさか。
テルミンはコーヒーを飲み干すと、かたんと音をさせてカップを置き、部屋の奥へと足を動かした。
クローゼットの奥を開く。
ここ数日足を踏み入れなかった、湿った空気が漂う通路が開く。
音のしたと思われる方向へと彼は足を進める。
確かにこの方向だった。
がしゃん、と何かが落ちる音がする。
彼は肩を震わせる。
――窓ガラスが、落ちた?
足を速める。
灯りを消す。
もうこの辺りなら、自分の足は慣れているはずだ。
視界が開ける。
きらきらと、床が衛星光にきらめいている。
――何故だ。
ガラスの破片が、散らばっている。
それだけではなかった。
彼は自分の目を疑った。
誰かが、誰かに抱きついている。
べったりと床に尻をついたまま。
逆光でよく見えない。
だが、その小柄で華奢で特徴のある体つき。
すんなりとした腕が、まっすぐ伸びて。
あれは。
「何で、俺が泣いてたかって?」
ヘラは腕をだらりと垂らしたままの相手に抱きつきながら言う。
何かを、この誰かはヘラに言ったのだろうか、とテルミンは奇妙に乾いた感覚で考える。
変だ、と思う。
――何で俺はこんなに平静に言葉をつないでるんだ。
「悔しかったんだよ。何でお前にずっと、こうしなかったかって。自分のふがいなさに、俺はひどく、悔しかったんだ」
「よし今度は、こちらへ廻れ」
「は」
二人一組の警備兵は、一礼するとすぐに所定の位置へと駈けだして行く。
テルミンは次々に集まってくる警備兵の報告を聞き、図面をモニター室の大きなデスクに広げながら、別の箇所を指示していた。
普段の警備の人数はそう多くは無い。
だが一声かければ、その数は数倍に膨れ上がる。
その人員をもって、この複雑怪奇に絡み合った様式の詰め合わせの様な官邸を、これでもかとばかりに彼は捜索させていた。
しかし結果ははかばかしくない。
たった一匹のねずみをいぶり出すだけなのに、何故こんならはかどらないのか。
テルミンは苛立ちかけていた。
元より睡眠が足りないことが、彼の神経をささくれ立てていた。
そしてその時、彼の神経をより逆撫でするものが飛び込んできた。
『こんばんわこんばんわも一つおまけにこんばんわ。親愛なる総統閣下お元気であられましょうか。衛星光が綺麗ですね今夜は。同じ光を浴びてらっしゃるのでしょうか?』
笑い混じりの奇妙に響く声が彼の耳に飛び込んで、頭の中をかき回す。
切ってしまえ、と叫びだしたい衝動が、あった。
「どういたしましたか?」
心配そうにまだ若い警備兵の一人が彼をのぞき込む。
ああいけない、とテルミンは思う。
疲れや苛立ちを、彼らの前で見せる訳にはいかないのだ。
大丈夫だ、と手を振って彼は笑顔を作る。
「しばらく私室に居る。見つけたらすぐに連絡しろ」
「はい。ですが宣伝相閣下、一応お持ち下さい」
兵士の一人は、彼に麻酔銃を差し出した。
生け捕りにしろ、とヘラが命じたことから、テルミンは彼らにそれを持たせて捜索させていたのだ。
「判った。まず私が使うことはないだろうが」
「しかし」
にっこりと笑い、テルミンはそれを受け取った。
渡した兵士も、それにつられてにっこりと返した。
だが部屋に入った途端、疲れが体中に押し寄せてくる。
それは寝不足や日々の疲れの蓄積からだけではなかった。
体中を襲う、無気力に近いものだった。
あの帝都からの派遣員が帝都に戻ってからというもの、彼は慢性の寝不足に悩まされていた。
全く眠りが無い訳ではないが、浅く、起きた時にひどい倦怠感を伴うものだった。
休んだ、という感触がひどく少ないものだった。
そして夢をよく見る。
それはひどく曖昧なもので、何をどうというものが、具体的に現れる訳ではない。
いや、現れる時もあることはある。
例えば彼の敬愛なる総統閣下。
彼の親友。
彼の女友達。
その中で、テルミンは上手くものごとを回している――そんなイメージ。
ただ「上手くやっている」という感覚だけがそこにはある。
だがそれはいつでも何処か薄ら寒いのだ。
誰かが、居ない。
それが誰であるのか彼は知っていた。
呼ぼうとすると、目が覚める。
手を伸ばす。
だがその手は何にも触れることもなく、ただ夜の闇をかき回すだけだった。
寝具をかき寄せ、自分自身を抱きしめてみても何も変わる訳ではない。
そしてただ、じっと朝が来るのを待つのだ。
しかしどうやらこの夜は、そんな風に待つことはしなくてもよそさうだった。
だが倦怠感は続いている。
何とかしなくては、と彼は私室の隅の簡易キッチンへ立ち、専属のハウスキーパーが毎日用意しているコーヒーポットを火にかけた。
半分も呑まないうちに取り替えられるそれが、無性に今は欲しかった。
こぽこぽ、と音をさせて沸騰を始めたそれを火から下ろす。
彼は胃に良くないな、とミルクを少し入れてかき回す。
部屋中に、コーヒーの香りが広がった。
両手でカップを持つ。
口をつける。
暖かい。
ふう、と彼はため息をついた。
その時だった。
気を抜いたから、耳が敏感になったのだろうか。
銃声を聞いた様な気がした。
立ち上がる。
それは何処からだろう。
耳を澄ませる。
だが部下からの連絡は無い。
再び、銃声が細く糸を引いて、彼の耳に飛び込んだ。
まさか。
テルミンはコーヒーを飲み干すと、かたんと音をさせてカップを置き、部屋の奥へと足を動かした。
クローゼットの奥を開く。
ここ数日足を踏み入れなかった、湿った空気が漂う通路が開く。
音のしたと思われる方向へと彼は足を進める。
確かにこの方向だった。
がしゃん、と何かが落ちる音がする。
彼は肩を震わせる。
――窓ガラスが、落ちた?
足を速める。
灯りを消す。
もうこの辺りなら、自分の足は慣れているはずだ。
視界が開ける。
きらきらと、床が衛星光にきらめいている。
――何故だ。
ガラスの破片が、散らばっている。
それだけではなかった。
彼は自分の目を疑った。
誰かが、誰かに抱きついている。
べったりと床に尻をついたまま。
逆光でよく見えない。
だが、その小柄で華奢で特徴のある体つき。
すんなりとした腕が、まっすぐ伸びて。
あれは。
「何で、俺が泣いてたかって?」
ヘラは腕をだらりと垂らしたままの相手に抱きつきながら言う。
何かを、この誰かはヘラに言ったのだろうか、とテルミンは奇妙に乾いた感覚で考える。
変だ、と思う。
――何で俺はこんなに平静に言葉をつないでるんだ。
「悔しかったんだよ。何でお前にずっと、こうしなかったかって。自分のふがいなさに、俺はひどく、悔しかったんだ」
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