上 下
140 / 170
3年後、アルク再び(俯瞰視点三人称)

77 テルミンは疲れていた

しおりを挟む
「居ません。何処にも……」
「よし今度は、こちらへ廻れ」
「は」

 二人一組の警備兵は、一礼するとすぐに所定の位置へと駈けだして行く。
 テルミンは次々に集まってくる警備兵の報告を聞き、図面をモニター室の大きなデスクに広げながら、別の箇所を指示していた。
 普段の警備の人数はそう多くは無い。
 だが一声かければ、その数は数倍に膨れ上がる。
 その人員をもって、この複雑怪奇に絡み合った様式の詰め合わせの様な官邸を、これでもかとばかりに彼は捜索させていた。
 しかし結果ははかばかしくない。
 たった一匹のねずみをいぶり出すだけなのに、何故こんならはかどらないのか。
 テルミンは苛立ちかけていた。
 元より睡眠が足りないことが、彼の神経をささくれ立てていた。
 そしてその時、彼の神経をより逆撫でするものが飛び込んできた。

『こんばんわこんばんわも一つおまけにこんばんわ。親愛なる総統閣下お元気であられましょうか。衛星光が綺麗ですね今夜は。同じ光を浴びてらっしゃるのでしょうか?』

 笑い混じりの奇妙に響く声が彼の耳に飛び込んで、頭の中をかき回す。
 切ってしまえ、と叫びだしたい衝動が、あった。

「どういたしましたか?」

 心配そうにまだ若い警備兵の一人が彼をのぞき込む。
 ああいけない、とテルミンは思う。
 疲れや苛立ちを、彼らの前で見せる訳にはいかないのだ。
 大丈夫だ、と手を振って彼は笑顔を作る。

「しばらく私室に居る。見つけたらすぐに連絡しろ」
「はい。ですが宣伝相閣下、一応お持ち下さい」

 兵士の一人は、彼に麻酔銃を差し出した。
 生け捕りにしろ、とヘラが命じたことから、テルミンは彼らにそれを持たせて捜索させていたのだ。

「判った。まず私が使うことはないだろうが」
「しかし」

 にっこりと笑い、テルミンはそれを受け取った。
 渡した兵士も、それにつられてにっこりと返した。
 だが部屋に入った途端、疲れが体中に押し寄せてくる。
 それは寝不足や日々の疲れの蓄積からだけではなかった。
 体中を襲う、無気力に近いものだった。
 あの帝都からの派遣員が帝都に戻ってからというもの、彼は慢性の寝不足に悩まされていた。
 全く眠りが無い訳ではないが、浅く、起きた時にひどい倦怠感を伴うものだった。
 休んだ、という感触がひどく少ないものだった。
 そして夢をよく見る。
 それはひどく曖昧なもので、何をどうというものが、具体的に現れる訳ではない。
 いや、現れる時もあることはある。
 例えば彼の敬愛なる総統閣下。
 彼の親友。
 彼の女友達。
 その中で、テルミンは上手くものごとを回している――そんなイメージ。
 ただ「上手くやっている」という感覚だけがそこにはある。
 だがそれはいつでも何処か薄ら寒いのだ。
 誰かが、居ない。
 それが誰であるのか彼は知っていた。
 呼ぼうとすると、目が覚める。
 手を伸ばす。
 だがその手は何にも触れることもなく、ただ夜の闇をかき回すだけだった。
 寝具をかき寄せ、自分自身を抱きしめてみても何も変わる訳ではない。
 そしてただ、じっと朝が来るのを待つのだ。
 しかしどうやらこの夜は、そんな風に待つことはしなくてもよそさうだった。
 だが倦怠感は続いている。
 何とかしなくては、と彼は私室の隅の簡易キッチンへ立ち、専属のハウスキーパーが毎日用意しているコーヒーポットを火にかけた。
 半分も呑まないうちに取り替えられるそれが、無性に今は欲しかった。
 こぽこぽ、と音をさせて沸騰を始めたそれを火から下ろす。
 彼は胃に良くないな、とミルクを少し入れてかき回す。
 部屋中に、コーヒーの香りが広がった。
 両手でカップを持つ。
 口をつける。
 暖かい。
 ふう、と彼はため息をついた。

 その時だった。

 気を抜いたから、耳が敏感になったのだろうか。
 銃声を聞いた様な気がした。
 立ち上がる。
 それは何処からだろう。
 耳を澄ませる。
 だが部下からの連絡は無い。
 再び、銃声が細く糸を引いて、彼の耳に飛び込んだ。
 まさか。
 テルミンはコーヒーを飲み干すと、かたんと音をさせてカップを置き、部屋の奥へと足を動かした。
 クローゼットの奥を開く。
 ここ数日足を踏み入れなかった、湿った空気が漂う通路が開く。
 音のしたと思われる方向へと彼は足を進める。
 確かにこの方向だった。
 がしゃん、と何かが落ちる音がする。
 彼は肩を震わせる。

 ――窓ガラスが、落ちた?

 足を速める。
 灯りを消す。
 もうこの辺りなら、自分の足は慣れているはずだ。
 視界が開ける。
 きらきらと、床が衛星光にきらめいている。

 ――何故だ。

 ガラスの破片が、散らばっている。
 それだけではなかった。
 彼は自分の目を疑った。
 誰かが、誰かに抱きついている。
 べったりと床に尻をついたまま。
 逆光でよく見えない。
 だが、その小柄で華奢で特徴のある体つき。
 すんなりとした腕が、まっすぐ伸びて。
 あれは。

「何で、俺が泣いてたかって?」

 ヘラは腕をだらりと垂らしたままの相手に抱きつきながら言う。
 何かを、この誰かはヘラに言ったのだろうか、とテルミンは奇妙に乾いた感覚で考える。
 変だ、と思う。

 ――何で俺はこんなに平静に言葉をつないでるんだ。

「悔しかったんだよ。何でお前にずっと、こうしなかったかって。自分のふがいなさに、俺はひどく、悔しかったんだ」

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈 
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

【完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

美少女に転生して料理して生きてくことになりました。

ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。 飲めないお酒を飲んでぶったおれた。 気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。 その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

処理中です...