どうせなら日々のごはんは貴女と一緒に

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
上 下
86 / 88

第63話 「こんなお茶で、満足してるんだ」

しおりを挟む
「迎えに来たって」

 床に座ったまま、サラダは私を出迎えた。

「遊びに来てくれたのは、ミサキさん、うれしいよ。だけど、からかっちゃいけないよ」

 彼女は首を横に振る。窓の外には雪が降っていた。

「今のあたしに、何ができる?」



 私はサラダの実家にやってきていた。
 確かに田舎だ。
 思いっきり田舎だ。
 ここに来るまで結構苦労した。
 車でなかったら、どれだけかかったことだろう? 
 道路でちら、と見かけたバス停の時刻表は、三時間に一本くらいしか止まらない。
 横を過ぎていく中学生達は、皆自転車だ。高校生の姿は見あたらない。
 もしかしたら、近い学校が無いので、高校は下宿しているとか、寮に入るとか、そういう地域なのかもしれない。
 山がどん、と目の前に迫っている。自然は好きだが、この大きさは、圧迫感しか感じない。
 サラダはこんなところで育ったのか、と私は空を見上げて目を細めた。
 確かにこの田舎だったら、私や彼女、それにまりえさんの様な人間は、息が詰まる思いだろう。私はまだそれに比べれば良かった。一応名古屋に近かったから、「都市の空気」はある程度味わって育った。息抜きができた。
 だけどこの自然は、それすらもさせてくれないような気がする。大きすぎる。
 確かに自然で癒されるひとも多いだろう。ただ私達はそうではない。それだけだ。



 サラダはあの病院でしばらく入院したあと、実家にそのまま移った。
 完全に歩けなくなるという訳ではないが、神経だか何処かのバランスが崩れてしまったのは確かのようで、つかまり立ちや手すりがあれば歩くことができるが、それはひどくゆっくりしたもので、しかも長続きはしない。
 荷物をまりえさんが取りに来た。残念ね、と彼女は言い残した。本当に残念だと。

「これでまた、振り出しに戻ってしまうのかな」

 ぽつりと彼女は荷物を車に積みながら言った。元々多くは無かった彼女の荷物は、まりえさんがレンタルしたワゴン車に楽々積み込むことができた。乗り切らないものは、私に持っていて欲しい、と彼女は言った。
 荷物が無くなった部屋は、ひどく広くなった。一年と少しを二人で過ごした部屋。手作りのボックスをどかしたあとのカーペットは、そこだけ色が元のままだ。ああ、広すぎる。
 私はまた、引っ越した。ただ、今度の場所は、マンションでも一軒家でもなかった。



「あたしがそういうことで、あんたをからかったこと、あった?」

 無いけど、と彼女はまた首を横に振る。でしょ、とあたしは返す。
 ふとぐるり、と彼女の部屋を見渡す。決して狭くはない。田舎の家だけあって、敷地が元々大きいし、天井も高い。
 そして和室だ。彼女はその和室にべったりと座り込んでいた。時々物を取ろうとする時には、ほとんど這って行くようだった。それでも全く動けない訳ではない、ということに私はほっとした。

「あたしはあんたを迎えに来たのよ。約束したじゃない。一緒にカフェをやろうって」
「何言ってんのよ。あたしがこの身体でできると思ってるの?」
「別に前に言ったような役割分担しなければいいじゃない。あたしが客の間をくるくる回ればいいのよ。あんたはカウンターに居てくれればいい。時々そこからゆっくり出てきて、作ったカードを貼ればいい。ディスプレイやコンセプトやら、できることは幾らだってあるじゃない」
「そんなこと」

 できる訳ないでしょ、と彼女は吐き捨てるように言う。

「ふうん」

 私は出されたお茶を一口飲んで、ソーサーの上に下ろす。

「こんなお茶で、満足してるんだ」

 それは彼女の母親が、私が来てすぐに出したものだった。塗りのお盆の上に、近所のスーパーで買ったのだろうソフトクッキーを盛った皿と、レモンのついた紅茶が出された。
 一口飲んで、ポットの湯でティーバッグをカップに入れたお茶だな、ということが判った。

「何もあんたのご両親を馬鹿にする訳じゃあないけど、ここで、あんたが気持ちよくやっているとは思えないわよ、あたしは」
「だってそれは、仕方ないでしょ」

 サラダは目を伏せた。

「ふうん。それでまた、引きこもってしまうんだ」
「ミサキさん!」

 顔を上げる。その言葉にはさすがに反応が早かった。

「だって、そうじゃない。あんたが昔言ってた、状態みたいなものじゃない。生きにくい、息苦しい、窒息しそうだって言うのに、守られなくては生きてゆけない子供だったから、仕方なく居た、って感じの。それでもそこで生きていかなくちゃいけないから、引きこもるしかなかったっての」
「だってどうすればいいって言うのよ! この足が上手く動かないっていうのに!」

 ぴたぴた、と彼女は自分の膝を叩く。
 長いスカートに隠された足は筋肉も落ちて、きっと最後に見た時よりひどく細くなっていることだろう。
 あの頃きびきびとアルバイトで客の間をすり抜けていった、筋肉が綺麗についた足では無くなっているだろう。
 それだけではない。運動不足のせいで食欲が落ちてるのだろうか。食事が合わないのかもしれない。上半身の肉もずいぶん落ちていた。
 正直、彼女の部屋の扉を開けて、その姿を見た時、思わず目を見張った。
 私のその視線の意味に気づいたのだろうか、彼女は少し目をそらした。だけど驚いたことは、間違っていないと思う。私は確かに驚いたのだ。

 あのぽちゃぽちゃとした丸い肩は何処に行った? どうして首筋にあんなに線が浮く?

 何となく、私はその状況に怒りに近いものを覚えた。それは彼女が事故に遭った、動けなくなった、と聞いた時以上のものだった。

「リハビリはしたわよ! あたしだって前みたいにするする動きたいとどんだけ思ったか判らないわよ! だけど駄目だった。確かに車椅子にはならないで済みそうだけど、それ以上に治る方法が判らない、って言われたもの!」
「そうだねそれが今のあんただね」

 容赦なく、私は言葉を投げつけた。

「だけどあんたが居て欲しい」
「嘘」
「こういう時に嘘なんかついたことある?」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

処理中です...