76 / 88
第53話 夢を夢でしておくのは楽しいけれど、現実にしてしまったほうがもっと楽しい。
しおりを挟む
一方私の方だが。
兄貴達には今までとまるで変わらない私、という奴を見せつけるがごとく動き回っていたりするのだが、水面下ではまた別の動きをしつつあった。
その一つが、引っ越しである。
*
「家賃もっと安くしようよ」
とサラダが提案した。
そこで私達は、更新時期でもあったことであるし、と2DKくらいの広さのアパートに引っ越すことにしたのだ。つまりは同居することにしたのだ。
だいたい今までだって、結構同居していたみたいなものだ。隣同士だし、よく一緒に食事していた。
無論同居はそれだけではない。つまりは台所とトイレと風呂が一緒なのだ。朝起きて夜寝る時に相手がこの部屋に居るのだ。そこで一応、プライバシイを考えて、二部屋プラス共同部分、という感じの部屋を探したのだ。
家賃は格安だ。何ったって、築三十年以上経っている物件である。一部屋の作りや、「ユニットバス」な部屋の広さが尋常ではない。
ユニットバスというと、だいたいあのホテルにある、トイレと風呂がくっついているものを想像するだろうが、この場合は違う。単に水回りが一つの部屋に入ってしまった、という感じで、台所と同じくらいの大きさあるのではないか、と思える。
さすがに床のタイルは古い。壁のタイルも、昔通った学校のそれを思わせるが、大家さんがなかなか太っ腹なひとで、「綺麗にするなら改装してもいいよ」と言ってくれた。お言葉に甘えて、いずれはこの風呂場/トイレの壁をクリーム色に一面塗り替えてやろう、とサラダと画策している。
どん、と置かれた浴槽のそばには大きなすのこを置いた。トイレとの間にはカーテンを吊った。
キッチンも、今までよりずっと広い。さすがに古いだけあって、給湯器もついていないのだが、まあそれは後で何とかしよう。
私が持ってきたタイルつきのワゴンは元々の役割である調理台兼、に戻り、二人して行った中古家具屋で買ったテーブルと椅子を置いた。椅子は揃いではない。だけど一緒に置くと、サラダが塗り直した色合いのせいだろうか、結構まとまって見える。ペンキ塗りの腕も、慣れたものだ。
引っ越した日には、さすがにその日から料理を作ろう、という気力が起きなかったので、「CUTPLATE」まで食べに出かけた。生活費を切りつめようというのに、最初から外食というのも何だが、そもそも切りつめようという目的が、カフェを本当に作ってしまおう、ということからなのだから、そう無駄でもあるまい。
夢を夢でしておくのは楽しいけれど、現実にしてしまったほうがもっと楽しい。そうサラダは言った。だから一緒にやろう。お金貯めて、場所借りて、内装を思い通りにして。
そんな訳で、まずは先立つものだったのだ。
しかし私は一介のOLに過ぎないし、彼女はフリーターだ。この都会で一人暮らしをしている以上、それだけてお金がかかって、貯金どころではない。
ところが二人暮らしになると、まず家賃ががくん、と下がる。その上に古い物件なら尚更だ。
私達は、それまで一人で出していた家賃で、二人で充分広々と暮らせることになったのだ。古さは、改造次第で何とかなる。それこそ未来に作るカフェの内装の予行演習だと思えばいい。とにかくそれで、月に二人で5~6万は浮く訳だ。
そして公共料金。電話の権利の解約はしないが、それでも話相手が常に居る、ということは、必要以上の会話の相手を外に求めなくていい訳で。ガスや電気代水道代も、どう考えても、一人の時点より割安になる。
そして食費。これもそうだ。一人分作るよりは、二人分作るほうが楽なのだ。まとめ買いも可能だし、ごはんだって、たくさん一度に炊いたほうが美味しい。
兄貴がちょくちょく誰かと同居していた気持ちも分からなくはない。
彼は人の居る気配、という奴には鈍感だったり、もしくはそれを心地よいと思う人種だ。
私も彼ほどではないが、それが大丈夫なタイプで本当に良かったと思う。いや、正直言えば、誰かと一緒に居たいのだ。私という人間は。
「一月に家賃分で六万。その他で銘々持ち出しで何とか、四万で、まとめて十万貯めようよ」
通帳はミサキさんの名義にしておいてね、とサラダは言った。
「何でよ。共同出資するんだから、そういう名義を作ればいいじゃないの」
「だって作るあかつきには、あたしミサキさんがオーナーになって欲しいもん。あたしはそうゆうタイプじゃないもん」
「タイプってねー」
「ともかく、ミサキさんが持ってるほうが安心なんだってば」
そう言われたので、私はとりあえず、郵便貯金に新しく口座を開いた。不況だ何だで、何処の銀行にしたものか、とつい考えた結果だ。
「で、あたしがボーナス期に二、三十万はいけるね」
「そんなに出せるの?」
サラダは目を丸くした。
「普通の企業ってのは、案外出るもんよ」
「だからOLさん達って、海外旅行とかぽんぽん行くんだあ」
へえ、と彼女は肩をすくめた。
「そう。だからさ、月給そのものはフリーターもそう変わらないんだけど、正社員の特権ってのはそこにある訳よね。福利厚生とボーナス…… そーいえばサラダ、ちゃんとあんた、健康保険料、払ってる?」
「払ってるよぉ!」
なら良かった、と私は笑った。
「病気にはかからないようにしてるけどね」
「そういうもの?」
「そういうもの。かからないって思ってれば、かからないってば」
確かに彼女が風邪一つ引いたところ見たことが無いが。
「っとじゃあ、年間に、単純に十二ヶ月だから、120万、とボーナスにいくらかプラスして」
「でもボーナスのほうにあまり期待したくないよ。不公平じゃない」
「あたしは出せる立場なんだからいいよ」
「ううん、それはそれ。だからまあ…… 年間、150万は貯められる、かな。上手く行けば」
「上手く行かせなくちゃ意味がないでしょうが」
多少嫌みまじりに言ってやったが、彼女は真剣に紙の上で計算をしている。確かにあまり計算は得意そうではない。何処の小学生が計算してるんだ、って大きさで筆算をしていたりする。私はそんな姿につい見入ってしまう。
「えーと、じゃあとんとんと上手くいったとしたら、二年で会社作るための資金はたまるね」
「そうだね。だけどそれだけじゃあ足りないから」
「うーん」
目標は、三~四年だろう、と私達は予測をつけた。その間にやることは山ほどある。それも仕事の合間だから、目も回る忙しさだろう、と予想された。
「あたしカフェのバイト、どっかで仕入れてみるからね」
「じゃああたしはもう少し、ちゃんと料理のほうを何とかしなくちゃね」
必要な知識。体験。そして資格。そう言ったものを、私達はチェックし始めていた。
不思議なもので、そういうものができると、普段の仕事でどれだけ面倒だろうが厄介だろうが、とりあえずそれを横に置いておくことができる。
ああそうか、と私はようやくその時思った。
兄貴のように強烈なものではない。だけどそれは確かに、兄貴の音楽とよく似たものだった。大切な、ものだ。
それがあれば、足元がふらつくことが無い。そんな、たった一つの大切なものなのだ、と私は最近判り始めていた。
兄貴達には今までとまるで変わらない私、という奴を見せつけるがごとく動き回っていたりするのだが、水面下ではまた別の動きをしつつあった。
その一つが、引っ越しである。
*
「家賃もっと安くしようよ」
とサラダが提案した。
そこで私達は、更新時期でもあったことであるし、と2DKくらいの広さのアパートに引っ越すことにしたのだ。つまりは同居することにしたのだ。
だいたい今までだって、結構同居していたみたいなものだ。隣同士だし、よく一緒に食事していた。
無論同居はそれだけではない。つまりは台所とトイレと風呂が一緒なのだ。朝起きて夜寝る時に相手がこの部屋に居るのだ。そこで一応、プライバシイを考えて、二部屋プラス共同部分、という感じの部屋を探したのだ。
家賃は格安だ。何ったって、築三十年以上経っている物件である。一部屋の作りや、「ユニットバス」な部屋の広さが尋常ではない。
ユニットバスというと、だいたいあのホテルにある、トイレと風呂がくっついているものを想像するだろうが、この場合は違う。単に水回りが一つの部屋に入ってしまった、という感じで、台所と同じくらいの大きさあるのではないか、と思える。
さすがに床のタイルは古い。壁のタイルも、昔通った学校のそれを思わせるが、大家さんがなかなか太っ腹なひとで、「綺麗にするなら改装してもいいよ」と言ってくれた。お言葉に甘えて、いずれはこの風呂場/トイレの壁をクリーム色に一面塗り替えてやろう、とサラダと画策している。
どん、と置かれた浴槽のそばには大きなすのこを置いた。トイレとの間にはカーテンを吊った。
キッチンも、今までよりずっと広い。さすがに古いだけあって、給湯器もついていないのだが、まあそれは後で何とかしよう。
私が持ってきたタイルつきのワゴンは元々の役割である調理台兼、に戻り、二人して行った中古家具屋で買ったテーブルと椅子を置いた。椅子は揃いではない。だけど一緒に置くと、サラダが塗り直した色合いのせいだろうか、結構まとまって見える。ペンキ塗りの腕も、慣れたものだ。
引っ越した日には、さすがにその日から料理を作ろう、という気力が起きなかったので、「CUTPLATE」まで食べに出かけた。生活費を切りつめようというのに、最初から外食というのも何だが、そもそも切りつめようという目的が、カフェを本当に作ってしまおう、ということからなのだから、そう無駄でもあるまい。
夢を夢でしておくのは楽しいけれど、現実にしてしまったほうがもっと楽しい。そうサラダは言った。だから一緒にやろう。お金貯めて、場所借りて、内装を思い通りにして。
そんな訳で、まずは先立つものだったのだ。
しかし私は一介のOLに過ぎないし、彼女はフリーターだ。この都会で一人暮らしをしている以上、それだけてお金がかかって、貯金どころではない。
ところが二人暮らしになると、まず家賃ががくん、と下がる。その上に古い物件なら尚更だ。
私達は、それまで一人で出していた家賃で、二人で充分広々と暮らせることになったのだ。古さは、改造次第で何とかなる。それこそ未来に作るカフェの内装の予行演習だと思えばいい。とにかくそれで、月に二人で5~6万は浮く訳だ。
そして公共料金。電話の権利の解約はしないが、それでも話相手が常に居る、ということは、必要以上の会話の相手を外に求めなくていい訳で。ガスや電気代水道代も、どう考えても、一人の時点より割安になる。
そして食費。これもそうだ。一人分作るよりは、二人分作るほうが楽なのだ。まとめ買いも可能だし、ごはんだって、たくさん一度に炊いたほうが美味しい。
兄貴がちょくちょく誰かと同居していた気持ちも分からなくはない。
彼は人の居る気配、という奴には鈍感だったり、もしくはそれを心地よいと思う人種だ。
私も彼ほどではないが、それが大丈夫なタイプで本当に良かったと思う。いや、正直言えば、誰かと一緒に居たいのだ。私という人間は。
「一月に家賃分で六万。その他で銘々持ち出しで何とか、四万で、まとめて十万貯めようよ」
通帳はミサキさんの名義にしておいてね、とサラダは言った。
「何でよ。共同出資するんだから、そういう名義を作ればいいじゃないの」
「だって作るあかつきには、あたしミサキさんがオーナーになって欲しいもん。あたしはそうゆうタイプじゃないもん」
「タイプってねー」
「ともかく、ミサキさんが持ってるほうが安心なんだってば」
そう言われたので、私はとりあえず、郵便貯金に新しく口座を開いた。不況だ何だで、何処の銀行にしたものか、とつい考えた結果だ。
「で、あたしがボーナス期に二、三十万はいけるね」
「そんなに出せるの?」
サラダは目を丸くした。
「普通の企業ってのは、案外出るもんよ」
「だからOLさん達って、海外旅行とかぽんぽん行くんだあ」
へえ、と彼女は肩をすくめた。
「そう。だからさ、月給そのものはフリーターもそう変わらないんだけど、正社員の特権ってのはそこにある訳よね。福利厚生とボーナス…… そーいえばサラダ、ちゃんとあんた、健康保険料、払ってる?」
「払ってるよぉ!」
なら良かった、と私は笑った。
「病気にはかからないようにしてるけどね」
「そういうもの?」
「そういうもの。かからないって思ってれば、かからないってば」
確かに彼女が風邪一つ引いたところ見たことが無いが。
「っとじゃあ、年間に、単純に十二ヶ月だから、120万、とボーナスにいくらかプラスして」
「でもボーナスのほうにあまり期待したくないよ。不公平じゃない」
「あたしは出せる立場なんだからいいよ」
「ううん、それはそれ。だからまあ…… 年間、150万は貯められる、かな。上手く行けば」
「上手く行かせなくちゃ意味がないでしょうが」
多少嫌みまじりに言ってやったが、彼女は真剣に紙の上で計算をしている。確かにあまり計算は得意そうではない。何処の小学生が計算してるんだ、って大きさで筆算をしていたりする。私はそんな姿につい見入ってしまう。
「えーと、じゃあとんとんと上手くいったとしたら、二年で会社作るための資金はたまるね」
「そうだね。だけどそれだけじゃあ足りないから」
「うーん」
目標は、三~四年だろう、と私達は予測をつけた。その間にやることは山ほどある。それも仕事の合間だから、目も回る忙しさだろう、と予想された。
「あたしカフェのバイト、どっかで仕入れてみるからね」
「じゃああたしはもう少し、ちゃんと料理のほうを何とかしなくちゃね」
必要な知識。体験。そして資格。そう言ったものを、私達はチェックし始めていた。
不思議なもので、そういうものができると、普段の仕事でどれだけ面倒だろうが厄介だろうが、とりあえずそれを横に置いておくことができる。
ああそうか、と私はようやくその時思った。
兄貴のように強烈なものではない。だけどそれは確かに、兄貴の音楽とよく似たものだった。大切な、ものだ。
それがあれば、足元がふらつくことが無い。そんな、たった一つの大切なものなのだ、と私は最近判り始めていた。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる