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第49話 「何かこんな感じに、シアワセになりたいな」
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「確かにそうなんだよね。母親も、時々言ってた。あんたはまりえさんそっくりだ、って。まりえさんってのがおばさんの名前なんだけど、ウチの母親とは、仲がいい悪いじゃなく、合わなかったみたいなの。だから今だったらこうも思えるよ。母親は、自分の娘なのに、自分と性が合わない妹のほうに似てるってのはしゃくに障るよね。確かにそれはそうかもしれないよ。今だったら、判る。でも」
彼女は目を伏せた。
「そんなこと、子供に何の関係がある? 産んだのはアナタで、そのあたしがたまたま遺伝の関係でそういう気性だったとしても、そんなこと、あたしに何の関係がある?」
……期待されていた息子。自分達の子供だから、いつかはマトモな生活になるだろうと期待する両親。放っておいてくれ、と兄貴は無言で抗議した。それでも未だに両親には判らない。
「おばさんのとこに、飛び出したのは15歳の時。転校手続きをしてくれたし、保護者もちゃんとしてくれた。そりゃあ色んなこと、自分でしなくちゃならなかったけど…… それが良かったんだね。成績なんか無茶苦茶悪かったけど、あ、美術と国語は良かったよ」
あはは、と彼女は笑う。
「進学したくなければしなくていい、って言ったし、したいのだったら、できる範囲のことはしてあげる、って言ってくれた。だからあたしは高校じゃなくてね、美術系の専門学校行ったんだけど」
「あ、それで」
うん、と彼女はうなづく。ポストカードに描いてた絵は、全く下地が無かった訳ではないのだ。
「ただ、その学校行ってる時に、おばさんが結婚することになったの」
「結婚? ……ってそれは結構」
「遅いって言うか。でもずっと付き合ってたひとらしいよ。実際よくそのひとのとこに泊まりに行ってたりしたし。何かさあ、その二人は見てても気持ち良かったな。その相手のひとは、おばさんとは違って、ごくフツーの会社のひとなんだけど」
「え? おばさんって何してるの?」
「雑誌の編集だって言ってた。ただ何の雑誌かは結局教えてくれなかったけど」
「へえ」
「そういうことしたくて、田舎から一人出てきて、ずっとやってきたひとなんだよね。でまあ、時々同僚らしい男のひとも来たりするんだけど、ぜーんぜん色気もへったくれもないの。だけどその相手のひとには違ったんだよね。何か可愛いの」
「か、わいい?」
「で、そのひともおばさんをすごく甘やかすんだよね。あ、すげえいいなあ、ってあたし思ったなあ。その相手のひとが普段会社でどういうひとなのか、とかあたしまるで知らないんだけどさあ、二人とも三十代後半、とかまるで思えないほどにらぶらぶなのよねえ。こーんな感じに髪の毛とかわしゃわしゃしたりさあ」
そう言って彼女は、私の髪をくしゃくしゃにした。心地よい、柔らかな手の動き。
「だからその時思ったなあ。何か、こんな感じに、誰でもいいから、シアワセになりたいなーって」
「こんな風?」
「普段がどんなにきつくても、そのひとと居る時には、のんびり気持ちよく、ふわふわとやってくの」
のんびり気持ちよく、ふわふわ。それは私も好きな時間だ。
「それがあれば、他の時間がどれだけきつくても、何とかなるじゃない。あたしはさあ、ミサキさん、別に何が欲しいこれが欲しい何になりたいなんて思ったことないよ。ただこうゆう時間がいつもあって、それが一生続けばいいな、ってそれだけなんだもの。それが悪い、なんて、誰にも言わせたくないよ。だってそれが必要なんだもの」
生きてく上で。それが省略されている、と私は思った。
確かにそうなのだ。そんなもの、と思うひとは思えばいい。だけど私達は知ってる。私達は何処かでその人達が何の苦労もせずに得てきたものを与えられなかったか、無くしたか―――
いずれにせよ、その「無いもの」をいつも何処かで欲しがってるのだ。
「ねえ、あたしはミサキさんと居る時間が、好きだよ。あなたと居る時間が、今までで一番楽しい」
「誰よりも?」
「誰よりも」
そういえば、と私も思い出す。それでも彼女はずっと、私の近くに居たのだ。のよりさんが消えた時も、私が何処かおかしくなっていた間も、ずっと。
「いちばん夢が見られるもん。小さい店を出して、好きな雑貨を集めて、好きな音楽を流して、美味しい食事とお茶とお菓子があってさあ」
「椅子やテーブルは中古の家具屋に行って?」
「拾ったっていいよ」
彼女は笑った。
「窓が大きいところでさ。緑をたくさん置いてね。あちこちに置くスタンドのかさはあたしが作ってもいいな。それで、近くに住むアーティストの作品なんかも飾っちゃってさ。あたしのカードもあちこちに飾るんだ」
「壁にはペンキを塗らなくちゃならないね。それとも打ちっ放しのコンクリート?」
その調子、とばかりに彼女は黙って笑った。
「花を切らさないようにしようね。ありきたりかもしれないけれど、あたしかすみ草好きだな。ガーベラとかはグラスやびんに一本挿しにしてね」
「鉢植えのグリーンもいいけど、吊り下げるのもいよね」
「でもきっと手入れが悪くてずるずる床まで落ちてしまうよ」
あはは、と私達は笑った。
ああそうか、と気持ちが暖かくなってくるのが分かる。夢を二人で見られるのはこんなに心地よい。
そしてその見ている夢は、次第に具体味を帯びてきている。
「あまり大きくなくていいのだから、普通のビルの一室でいいのよ。ただ歩く通りに面しているほうがいいのよね。そうでなきゃ、ちゃんと常連がやってこれるような店にしなくちゃ」
「でもそういうとこって入りにくくない?」
「隠れ家みたいな店って、最近結構できてきてるのよ。でも最初のひとが入りにくいのは確かに良くないよね。二階くらいで、ちょっと見上げたら、カフェがあることに気付くくらいのものがいいよね」
「窓から旗でも吊す?」
彼女は目を伏せた。
「そんなこと、子供に何の関係がある? 産んだのはアナタで、そのあたしがたまたま遺伝の関係でそういう気性だったとしても、そんなこと、あたしに何の関係がある?」
……期待されていた息子。自分達の子供だから、いつかはマトモな生活になるだろうと期待する両親。放っておいてくれ、と兄貴は無言で抗議した。それでも未だに両親には判らない。
「おばさんのとこに、飛び出したのは15歳の時。転校手続きをしてくれたし、保護者もちゃんとしてくれた。そりゃあ色んなこと、自分でしなくちゃならなかったけど…… それが良かったんだね。成績なんか無茶苦茶悪かったけど、あ、美術と国語は良かったよ」
あはは、と彼女は笑う。
「進学したくなければしなくていい、って言ったし、したいのだったら、できる範囲のことはしてあげる、って言ってくれた。だからあたしは高校じゃなくてね、美術系の専門学校行ったんだけど」
「あ、それで」
うん、と彼女はうなづく。ポストカードに描いてた絵は、全く下地が無かった訳ではないのだ。
「ただ、その学校行ってる時に、おばさんが結婚することになったの」
「結婚? ……ってそれは結構」
「遅いって言うか。でもずっと付き合ってたひとらしいよ。実際よくそのひとのとこに泊まりに行ってたりしたし。何かさあ、その二人は見てても気持ち良かったな。その相手のひとは、おばさんとは違って、ごくフツーの会社のひとなんだけど」
「え? おばさんって何してるの?」
「雑誌の編集だって言ってた。ただ何の雑誌かは結局教えてくれなかったけど」
「へえ」
「そういうことしたくて、田舎から一人出てきて、ずっとやってきたひとなんだよね。でまあ、時々同僚らしい男のひとも来たりするんだけど、ぜーんぜん色気もへったくれもないの。だけどその相手のひとには違ったんだよね。何か可愛いの」
「か、わいい?」
「で、そのひともおばさんをすごく甘やかすんだよね。あ、すげえいいなあ、ってあたし思ったなあ。その相手のひとが普段会社でどういうひとなのか、とかあたしまるで知らないんだけどさあ、二人とも三十代後半、とかまるで思えないほどにらぶらぶなのよねえ。こーんな感じに髪の毛とかわしゃわしゃしたりさあ」
そう言って彼女は、私の髪をくしゃくしゃにした。心地よい、柔らかな手の動き。
「だからその時思ったなあ。何か、こんな感じに、誰でもいいから、シアワセになりたいなーって」
「こんな風?」
「普段がどんなにきつくても、そのひとと居る時には、のんびり気持ちよく、ふわふわとやってくの」
のんびり気持ちよく、ふわふわ。それは私も好きな時間だ。
「それがあれば、他の時間がどれだけきつくても、何とかなるじゃない。あたしはさあ、ミサキさん、別に何が欲しいこれが欲しい何になりたいなんて思ったことないよ。ただこうゆう時間がいつもあって、それが一生続けばいいな、ってそれだけなんだもの。それが悪い、なんて、誰にも言わせたくないよ。だってそれが必要なんだもの」
生きてく上で。それが省略されている、と私は思った。
確かにそうなのだ。そんなもの、と思うひとは思えばいい。だけど私達は知ってる。私達は何処かでその人達が何の苦労もせずに得てきたものを与えられなかったか、無くしたか―――
いずれにせよ、その「無いもの」をいつも何処かで欲しがってるのだ。
「ねえ、あたしはミサキさんと居る時間が、好きだよ。あなたと居る時間が、今までで一番楽しい」
「誰よりも?」
「誰よりも」
そういえば、と私も思い出す。それでも彼女はずっと、私の近くに居たのだ。のよりさんが消えた時も、私が何処かおかしくなっていた間も、ずっと。
「いちばん夢が見られるもん。小さい店を出して、好きな雑貨を集めて、好きな音楽を流して、美味しい食事とお茶とお菓子があってさあ」
「椅子やテーブルは中古の家具屋に行って?」
「拾ったっていいよ」
彼女は笑った。
「窓が大きいところでさ。緑をたくさん置いてね。あちこちに置くスタンドのかさはあたしが作ってもいいな。それで、近くに住むアーティストの作品なんかも飾っちゃってさ。あたしのカードもあちこちに飾るんだ」
「壁にはペンキを塗らなくちゃならないね。それとも打ちっ放しのコンクリート?」
その調子、とばかりに彼女は黙って笑った。
「花を切らさないようにしようね。ありきたりかもしれないけれど、あたしかすみ草好きだな。ガーベラとかはグラスやびんに一本挿しにしてね」
「鉢植えのグリーンもいいけど、吊り下げるのもいよね」
「でもきっと手入れが悪くてずるずる床まで落ちてしまうよ」
あはは、と私達は笑った。
ああそうか、と気持ちが暖かくなってくるのが分かる。夢を二人で見られるのはこんなに心地よい。
そしてその見ている夢は、次第に具体味を帯びてきている。
「あまり大きくなくていいのだから、普通のビルの一室でいいのよ。ただ歩く通りに面しているほうがいいのよね。そうでなきゃ、ちゃんと常連がやってこれるような店にしなくちゃ」
「でもそういうとこって入りにくくない?」
「隠れ家みたいな店って、最近結構できてきてるのよ。でも最初のひとが入りにくいのは確かに良くないよね。二階くらいで、ちょっと見上げたら、カフェがあることに気付くくらいのものがいいよね」
「窓から旗でも吊す?」
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