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66 「みんな兄貴に捨てられるのが怖くて、その前に逃げるのよ」
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「やっぱり鈍感だぁね」
彼は息を呑み、私に詰め寄った。
「何であいつが、お前の所に居るんだ!」
「拾ったのよ」
「拾った?」
「そう。道で拾ったの。可哀そうに、泣くことも忘れてた」
私は肩をすくめた。
兄貴はどういうことだ、と言いたそうに首をふら、と動かす。
どうも想像ができないらしい。
眉間にしわが寄っていた。
「朝っぱらからあんた達みたいな人がふらふらしてるなんて変じゃない。感謝しなさいよ? 会社に行く途中で出会っちゃったから、わざわざ有給休暇とったんだからね」
「ああ…… なる程」
「何か、明け方くらいから、歩いてたみたいよ。何かすごく疲れてたもん。で、とりあえずお腹の空いた猫にはごはんをあげて」
「ってことは、朝の前にはもうウチを出てたったことか?」
「じゃないの? そんな感じだったわよ」
彼はそんな筈はない、とつぶやく。
自分がそんな言葉を口にしていることに気付いていないようだった。
まあそうだろう。
前日が最良の日だった訳だ。
どうしてその翌日にこういうことが起こったのか、そして何故そうなったのか、彼には想像できないはずだ。
だから彼は私にこう訊ねた。
「何でだ? 俺にはさっぱり判らん」
それでもちゃんと聞こうとするあたり、立派なものだが。
「詳しいことは知らないわよ。でもあの子が言ってたのはね、自分はもう限界だ、ってことよ」
「そんな筈はない」
またふら、と首を横に振る。
「そういうのは、他人が決めることじゃないでしょ?」
私は言った。
「そういうところが兄貴は嫌よ。兄貴がどう思おうと、本人はそう思ってたの。それでもう駄目だと思ったようよ」
「どうして」
「メジャーの話、来たんでしょ?」
ああ、と俺はうなづく。
「自分はメジャーに行ってまでやれる自信はないって」
「え?」
「だって兄貴は、『声』に惚れるじゃない。昔から、いつでも」
「だからそれが?」
だからどうした、と言う顔でこっちを見る。ああ全く。
「それが男だろうが女だろうが構わなくてさ。おかげであたしまで影響受けちゃったじゃない…… まあそんなことどうだっていいわ。限界を決めつけるってのは兄貴のモットーには反するだろうけどさ、メジャーへ行けば、兄貴はまた視野が広がるじゃない。音楽だけできる状況になれば」
「ああ」
彼はうなづく。
知っている。
それは彼の望んでいることだ。
「だけどめぐみちゃんは、それが辛かったみたいよ。兄貴はあの子がどうであろうと、きっと音楽に関しては、どんどん前ばっかり向いて手を広げてく。無論それが悪いなんて言わないわよ。いい傾向だとあたしも思うわよ」
そうでなくては、私は救われない。
「どーせならBIGになってよ」
だけど陳腐な台詞だ。
「言うなあ」
「言うわよ。あたしは。だけど、あの子はそうじゃない。そうなった時、兄貴の求めるヴォーカルにはどーしても届かないだろう、届けないって」
彼は黙った。何か思うところがあったらしい。
「あたしの胸の中で泣いてたもん。ここ最近で、やっと泣けたのよ、あの子」
「泣いたのか?」
「泣いたわよ。届かないだろうから、きっといつか兄貴は自分を見捨てるから、その前にって」
「そんなこと……」
「しないって言い切れる? 兄貴が」
彼は反論しなかった。
できないだろう、と思った。
予想がつく。
彼にとって一番大切なのは、結局は自分の音楽だ。
自分を殺さないための、自分を生かすための、生きてくために必要不可欠な音楽でしかない。
それをより良いものにするためのヴォーカルなら彼はこよなく愛するだろう。
だけど。
私は言い放った。
「兄貴はいつもそうよ。兄貴が捨てられたって思っているけどさ、みんな同じよ。みんな兄貴に捨てられるのが怖くて、その前に逃げるのよ」
さすがにその時、兄貴も次に言うべき言葉を上手く見つけられないようだった。
でもそうだ。
ハコザキ君ものよりさんも、その前の歴代の女性ヴォーカルもきっとそうだ。
皆同じ理由で彼の元を去っていく。
自分は自分なのだ。
自分はイコール声ではない、と。
兄貴は以前、声が全てを表していると考えられないか、と私に問いかけたことがある。
だけどそれは答えが出ないものだ。
だって価値観が違いすぎる。
彼にとってはそうだろう。
それは兄貴にとっては正しい。
音楽が何より全てである彼だから、それは言えるのだ。
だけど例えば私にとってはそうではない。
私はのよりさんが好きだった。
その声じゃない。
彼女がそこに居ることが、抱きしめてくれる腕が、食事を楽しんでくれる笑顔が、柔らかい胸が、そんなものの全てが、その時その時愛しかった。
本人にそれをちゃんと言葉にすれば良かったのだろうか?
でもその時にそう気付いていた訳ではないし、私自身「誰でも良かった」のも確かだ。
それでも、私が好きだったのは彼女の声ではない。彼女の存在全てだったのだ。
めぐみ君にしてもそうだ。
彼の声も好きだが、疲れて倒れ込んで眠ってしまった私を起こさないようにそっと毛布を掛けてくれる手だったり、自分のことで手一杯だったとしても、それを真面目に一生懸命考えて悩んで、とりあえず動くしかない、とバイトにいそしんでいる彼が好きなのだ。
そんなことが、彼には全て声に集約されていると思うのだろうか?
それは違う。
違うと思う。
同じ様に、自分自身を全て声で表しているような誰か、でない限り、兄貴にとっては同じだ。
同じことを彼は繰り返す。
繰り返すしかない。
だけどそんなひと、そう簡単に居る訳ない!
苛立ちに似たものが、黙り込んだ彼を眺める私の中にふつふつと湧いてくる。
「心配せずとも、あの子はしばらくあたしが引き受けるからね。落ち着いたら新メンバーのライヴ観に行かせるから」
*
新しいメンバー。
オズさん情報では、兄貴は本当にすぐに次の候補を見つけたらしい。
それがどんなヴォーカリストなのか判らないが、「そういうひと」なのだろうか。
そうでない限り、同じことを繰り返すというのに。
彼は息を呑み、私に詰め寄った。
「何であいつが、お前の所に居るんだ!」
「拾ったのよ」
「拾った?」
「そう。道で拾ったの。可哀そうに、泣くことも忘れてた」
私は肩をすくめた。
兄貴はどういうことだ、と言いたそうに首をふら、と動かす。
どうも想像ができないらしい。
眉間にしわが寄っていた。
「朝っぱらからあんた達みたいな人がふらふらしてるなんて変じゃない。感謝しなさいよ? 会社に行く途中で出会っちゃったから、わざわざ有給休暇とったんだからね」
「ああ…… なる程」
「何か、明け方くらいから、歩いてたみたいよ。何かすごく疲れてたもん。で、とりあえずお腹の空いた猫にはごはんをあげて」
「ってことは、朝の前にはもうウチを出てたったことか?」
「じゃないの? そんな感じだったわよ」
彼はそんな筈はない、とつぶやく。
自分がそんな言葉を口にしていることに気付いていないようだった。
まあそうだろう。
前日が最良の日だった訳だ。
どうしてその翌日にこういうことが起こったのか、そして何故そうなったのか、彼には想像できないはずだ。
だから彼は私にこう訊ねた。
「何でだ? 俺にはさっぱり判らん」
それでもちゃんと聞こうとするあたり、立派なものだが。
「詳しいことは知らないわよ。でもあの子が言ってたのはね、自分はもう限界だ、ってことよ」
「そんな筈はない」
またふら、と首を横に振る。
「そういうのは、他人が決めることじゃないでしょ?」
私は言った。
「そういうところが兄貴は嫌よ。兄貴がどう思おうと、本人はそう思ってたの。それでもう駄目だと思ったようよ」
「どうして」
「メジャーの話、来たんでしょ?」
ああ、と俺はうなづく。
「自分はメジャーに行ってまでやれる自信はないって」
「え?」
「だって兄貴は、『声』に惚れるじゃない。昔から、いつでも」
「だからそれが?」
だからどうした、と言う顔でこっちを見る。ああ全く。
「それが男だろうが女だろうが構わなくてさ。おかげであたしまで影響受けちゃったじゃない…… まあそんなことどうだっていいわ。限界を決めつけるってのは兄貴のモットーには反するだろうけどさ、メジャーへ行けば、兄貴はまた視野が広がるじゃない。音楽だけできる状況になれば」
「ああ」
彼はうなづく。
知っている。
それは彼の望んでいることだ。
「だけどめぐみちゃんは、それが辛かったみたいよ。兄貴はあの子がどうであろうと、きっと音楽に関しては、どんどん前ばっかり向いて手を広げてく。無論それが悪いなんて言わないわよ。いい傾向だとあたしも思うわよ」
そうでなくては、私は救われない。
「どーせならBIGになってよ」
だけど陳腐な台詞だ。
「言うなあ」
「言うわよ。あたしは。だけど、あの子はそうじゃない。そうなった時、兄貴の求めるヴォーカルにはどーしても届かないだろう、届けないって」
彼は黙った。何か思うところがあったらしい。
「あたしの胸の中で泣いてたもん。ここ最近で、やっと泣けたのよ、あの子」
「泣いたのか?」
「泣いたわよ。届かないだろうから、きっといつか兄貴は自分を見捨てるから、その前にって」
「そんなこと……」
「しないって言い切れる? 兄貴が」
彼は反論しなかった。
できないだろう、と思った。
予想がつく。
彼にとって一番大切なのは、結局は自分の音楽だ。
自分を殺さないための、自分を生かすための、生きてくために必要不可欠な音楽でしかない。
それをより良いものにするためのヴォーカルなら彼はこよなく愛するだろう。
だけど。
私は言い放った。
「兄貴はいつもそうよ。兄貴が捨てられたって思っているけどさ、みんな同じよ。みんな兄貴に捨てられるのが怖くて、その前に逃げるのよ」
さすがにその時、兄貴も次に言うべき言葉を上手く見つけられないようだった。
でもそうだ。
ハコザキ君ものよりさんも、その前の歴代の女性ヴォーカルもきっとそうだ。
皆同じ理由で彼の元を去っていく。
自分は自分なのだ。
自分はイコール声ではない、と。
兄貴は以前、声が全てを表していると考えられないか、と私に問いかけたことがある。
だけどそれは答えが出ないものだ。
だって価値観が違いすぎる。
彼にとってはそうだろう。
それは兄貴にとっては正しい。
音楽が何より全てである彼だから、それは言えるのだ。
だけど例えば私にとってはそうではない。
私はのよりさんが好きだった。
その声じゃない。
彼女がそこに居ることが、抱きしめてくれる腕が、食事を楽しんでくれる笑顔が、柔らかい胸が、そんなものの全てが、その時その時愛しかった。
本人にそれをちゃんと言葉にすれば良かったのだろうか?
でもその時にそう気付いていた訳ではないし、私自身「誰でも良かった」のも確かだ。
それでも、私が好きだったのは彼女の声ではない。彼女の存在全てだったのだ。
めぐみ君にしてもそうだ。
彼の声も好きだが、疲れて倒れ込んで眠ってしまった私を起こさないようにそっと毛布を掛けてくれる手だったり、自分のことで手一杯だったとしても、それを真面目に一生懸命考えて悩んで、とりあえず動くしかない、とバイトにいそしんでいる彼が好きなのだ。
そんなことが、彼には全て声に集約されていると思うのだろうか?
それは違う。
違うと思う。
同じ様に、自分自身を全て声で表しているような誰か、でない限り、兄貴にとっては同じだ。
同じことを彼は繰り返す。
繰り返すしかない。
だけどそんなひと、そう簡単に居る訳ない!
苛立ちに似たものが、黙り込んだ彼を眺める私の中にふつふつと湧いてくる。
「心配せずとも、あの子はしばらくあたしが引き受けるからね。落ち着いたら新メンバーのライヴ観に行かせるから」
*
新しいメンバー。
オズさん情報では、兄貴は本当にすぐに次の候補を見つけたらしい。
それがどんなヴォーカリストなのか判らないが、「そういうひと」なのだろうか。
そうでない限り、同じことを繰り返すというのに。
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