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34 「思わなくちゃ、やって行けないわよ。妹としては」
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夏から、冬。
確かに早い。
そう考えて、慌てて私はその考えをうち消した。
噂話じゃないの。
やがて流れていた80年代のポップ・ロックが消えて、会場が暗転した。
のよりさんが入ってから変わったオープニングのSEは、何故かエルガーの「威風堂々」だった。
誰の趣味なんだ、と最初に聞いた時には私は脱力したものだ。
その威風堂々なブラバンの音の中、だらだらとメンバーが出て来る。
女の子達の声は、ケンショーかオズさんあたりに集中していた。
そして時々彼女を呼ぶ声もする。
ただし、前のハコザキ君の時の様に多くはない。
彼女もさぞやりにくいだろう。
そもそもこういうヴォーカル交代に、どういうメリットがあるというのだろう?
確かに兄貴にしてみれば、自分が惚れた声なのだから、自分の曲を歌って欲しい、というのも判るのだが……
だけど、バンド全体を持っていく戦略としてはまずいのじゃないか?
客層を見てみればいい。
大半が女の子だ。
男子も居なくはないけれど、女の子には確実に負ける。
負けるのは数だけではない。
熱意。
彼女達が兄貴やオズさん、前のハコザキ君に向ける声は、かなり「恋愛に似たもの」だ。
それが女の子ヴォーカルになると、やや違ってくる。
無論紅一点ヴォーカルのバンドだって、女の子ファンが居ない訳ではない。
ただ、RINGERは何だかんだ言って、そういうスタンスではない。
のよりさんに変わったとしても、やっている音楽は大して変わってはいない。
そのあたりの兄貴の意図がよく分からない。
確かに「自分の曲を生かしてくれる」声なのかもしれないけれど、その時のヴォーカリストの気持ちは何処へ行ってしまうのだろう?
のよりさんの歌は、ハコザキ君よりも叫びに近いものがある。
彼以上に訓練も何もしていない、カラオケ程度以外に経験の無い彼女がこうやってステージに立っていること自体無茶だ。
ただ、それだけに、歌には奇妙な程の悲痛さがあるのも確かだ。
あまり動かないのだが、それが彼女にはよく合っていた。
もともと飾り気の無いひとだから、少しメイクしただけでもずいぶん印象が変わる。
……何と言うか、聞いているのがだんだん辛くなってくるような。
*
「美咲ちゃん来てたなら来てたって言えば良かったのに」
オズさんは汗を拭きながら、通路に引っ張り込んだ私にそう言う。
「別に、兄貴に会いに来た訳でもないし。暇だったの」
「そう? まあそれもいいか」
「兄貴にはあたしが居たって言ったの?」
「や、俺がたまたま見つけただけ…… じゃなく、ここのナナさんが、美咲ちゃんが居るって言ってくれて」
「ナナさん?」
そう言えば、カウンターの女性は、意味ありげな視線で私を見ていた。
ナナさんと言うのか。
前に紹介されたような気もするが、忘れていたのだろうか?
駄目だ。
記憶力の低下。
テンションが落ちている。
「……ああ」
曖昧にあいづちを打つ。
「のよりさんは?」
「え?」
「ううん、何か声もしないから」
「ああ、一足早く帰ったよ」
「へえ」
それはそれは。
「兄貴も?」
「や、ケンショーはまだ残っているけど…… 彼女の家も遠いし」
「兄貴と一緒じゃあないの?」
「美咲ちゃん」
オズさんは眉を寄せた。
「何か、フロアの客の子達が噂してたわよ。どうなの? あの二人」
オズさんは黙った。沈黙は雄弁、とはよく言ったものだ。
「別にそれでどうって訳じゃないわよ。兄貴のことだし。今更」
「今更、ねえ」
彼はくしゃ、と少し伸びかけた髪をかきまわした。
「そういう風に、思えてしまうんだ? 妹としても」
「思わなくちゃ、やって行けないわよ。妹としては」
そういうものかな、と彼はぼやいた。
「実際、どうなの?」
「良くないね」
オズさんは短く答えた。
このひとはこういう困った顔がよく似合う。
紗里さんが「恋人」と見なされているから彼にはあまり悪い虫もつかないらしいが、それが無ければきっととりまきになりたがる女の子は増えるだろう。
「何で?」
「何でだと、思う?」
「兄貴がまた、別の声を見つけたとか?」
「や、今度は違うんだ」
今度は、とオズさんは言う。
つまりそれは、「いつも」はそうな訳だ。
「じゃあ何?」
私は彼にぐい、と迫る。
この人は押しに弱い。
「それが、俺にもよく判らないんだ」
「判らない?」
「のよりちゃんの方が、何か苛立ってるんだよ」
「のよりさんの方が?」
それはあの子達が噂していたことと通じる。
ご近所ミスドで、先に切れたのはのよりさんの方だった。
「何で?」
「だからそれが俺には判らないんだってば」
なるほど、と私はうなづく。
確かに「声」と「音」を間にはさんだとしても、兄貴とのよりさんは一応それ以上の付き合いもある。
そういう関係にある二人のことを部外者の私達があれこれ詮索したところで、結局答えは出ないのだろうけど。
確かに早い。
そう考えて、慌てて私はその考えをうち消した。
噂話じゃないの。
やがて流れていた80年代のポップ・ロックが消えて、会場が暗転した。
のよりさんが入ってから変わったオープニングのSEは、何故かエルガーの「威風堂々」だった。
誰の趣味なんだ、と最初に聞いた時には私は脱力したものだ。
その威風堂々なブラバンの音の中、だらだらとメンバーが出て来る。
女の子達の声は、ケンショーかオズさんあたりに集中していた。
そして時々彼女を呼ぶ声もする。
ただし、前のハコザキ君の時の様に多くはない。
彼女もさぞやりにくいだろう。
そもそもこういうヴォーカル交代に、どういうメリットがあるというのだろう?
確かに兄貴にしてみれば、自分が惚れた声なのだから、自分の曲を歌って欲しい、というのも判るのだが……
だけど、バンド全体を持っていく戦略としてはまずいのじゃないか?
客層を見てみればいい。
大半が女の子だ。
男子も居なくはないけれど、女の子には確実に負ける。
負けるのは数だけではない。
熱意。
彼女達が兄貴やオズさん、前のハコザキ君に向ける声は、かなり「恋愛に似たもの」だ。
それが女の子ヴォーカルになると、やや違ってくる。
無論紅一点ヴォーカルのバンドだって、女の子ファンが居ない訳ではない。
ただ、RINGERは何だかんだ言って、そういうスタンスではない。
のよりさんに変わったとしても、やっている音楽は大して変わってはいない。
そのあたりの兄貴の意図がよく分からない。
確かに「自分の曲を生かしてくれる」声なのかもしれないけれど、その時のヴォーカリストの気持ちは何処へ行ってしまうのだろう?
のよりさんの歌は、ハコザキ君よりも叫びに近いものがある。
彼以上に訓練も何もしていない、カラオケ程度以外に経験の無い彼女がこうやってステージに立っていること自体無茶だ。
ただ、それだけに、歌には奇妙な程の悲痛さがあるのも確かだ。
あまり動かないのだが、それが彼女にはよく合っていた。
もともと飾り気の無いひとだから、少しメイクしただけでもずいぶん印象が変わる。
……何と言うか、聞いているのがだんだん辛くなってくるような。
*
「美咲ちゃん来てたなら来てたって言えば良かったのに」
オズさんは汗を拭きながら、通路に引っ張り込んだ私にそう言う。
「別に、兄貴に会いに来た訳でもないし。暇だったの」
「そう? まあそれもいいか」
「兄貴にはあたしが居たって言ったの?」
「や、俺がたまたま見つけただけ…… じゃなく、ここのナナさんが、美咲ちゃんが居るって言ってくれて」
「ナナさん?」
そう言えば、カウンターの女性は、意味ありげな視線で私を見ていた。
ナナさんと言うのか。
前に紹介されたような気もするが、忘れていたのだろうか?
駄目だ。
記憶力の低下。
テンションが落ちている。
「……ああ」
曖昧にあいづちを打つ。
「のよりさんは?」
「え?」
「ううん、何か声もしないから」
「ああ、一足早く帰ったよ」
「へえ」
それはそれは。
「兄貴も?」
「や、ケンショーはまだ残っているけど…… 彼女の家も遠いし」
「兄貴と一緒じゃあないの?」
「美咲ちゃん」
オズさんは眉を寄せた。
「何か、フロアの客の子達が噂してたわよ。どうなの? あの二人」
オズさんは黙った。沈黙は雄弁、とはよく言ったものだ。
「別にそれでどうって訳じゃないわよ。兄貴のことだし。今更」
「今更、ねえ」
彼はくしゃ、と少し伸びかけた髪をかきまわした。
「そういう風に、思えてしまうんだ? 妹としても」
「思わなくちゃ、やって行けないわよ。妹としては」
そういうものかな、と彼はぼやいた。
「実際、どうなの?」
「良くないね」
オズさんは短く答えた。
このひとはこういう困った顔がよく似合う。
紗里さんが「恋人」と見なされているから彼にはあまり悪い虫もつかないらしいが、それが無ければきっととりまきになりたがる女の子は増えるだろう。
「何で?」
「何でだと、思う?」
「兄貴がまた、別の声を見つけたとか?」
「や、今度は違うんだ」
今度は、とオズさんは言う。
つまりそれは、「いつも」はそうな訳だ。
「じゃあ何?」
私は彼にぐい、と迫る。
この人は押しに弱い。
「それが、俺にもよく判らないんだ」
「判らない?」
「のよりちゃんの方が、何か苛立ってるんだよ」
「のよりさんの方が?」
それはあの子達が噂していたことと通じる。
ご近所ミスドで、先に切れたのはのよりさんの方だった。
「何で?」
「だからそれが俺には判らないんだってば」
なるほど、と私はうなづく。
確かに「声」と「音」を間にはさんだとしても、兄貴とのよりさんは一応それ以上の付き合いもある。
そういう関係にある二人のことを部外者の私達があれこれ詮索したところで、結局答えは出ないのだろうけど。
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