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7.三つにつながった鶴
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「……全く、『遠野サマ』にも困ったもんだよなー」
あの声は島村だ、と高村はちら、と横目で見る。今日の眼鏡のフレームは、鼈甲の太枠だった。確か今朝聞いたところによると、「有閑マダム風」だそうだ。
「また何か、あったんですか?」
別の教師が問いかけている。明らかに島村のぼやきは、誰かに聞かせるためのものに違いなかった。独り言にしては、声が大きすぎる。
「んー、まあ別に、一人で休むんならいいですよ、あいつ、成績いいし、理解力あるし。だけどなー」
はああ、とややわざとらしく両手を広げ、島村は大きなため息をついている。
「あれがボイコットすると、うちとか、隣のクラスの女子とか、結構便乗する奴が増えちゃってねー」
便乗? ふと高村は注意を向けてしまう。
「……で、今後のスケジュールの変更についてですが…… 高村先生、聞いてますか?」
「は、はい!」
職員室の端にある応接スペースで、彼は教頭と一対一で向かい合っていた。
「……慣れないことの連続であるのは判りますが、皆、最低二度は通る道です。しゃんとして下さいよ、しゃんと!」
「はい!」
高村は思わず姿勢を正した。
確かにこの教頭の口調には、人を鼓舞する何かがある。正しいことを、正しく守らせようとする人だ、という印象があった。
そう言えば。彼は南雲にもそんな傾向を感じていた。ただ教頭の方が、言葉に重みが感じられる。
「……あの、教頭先生、一つ聞いてもいいですか?」
ふと彼は、昨夜軽く疑問に感じていたことを口にしてみた。
「何ですか?」
「昨日、結局、朝礼は無かったんですよね」
「ええ。あなたも遅刻したことですし」
そう言われると、きり、と高村の心臓も痛む。
「でもオレのせいではない、って聞きましたけど……」
「誰からですか」
「いえ、誰という程でもなく……」
教頭は眼鏡の下の目を軽く細めた。
「この学校には、この学校なりの事情がある、ということです」
なるほど、と短い答えに彼は悟った。
下手にそのことについて頭を突っ込むな、ということか。
だったらこれ以上、ここで聞いても仕方あるまい。この女性は決してそれ以上を口にしないだろう。彼は教頭に軽く頭を下げた。
「判りました。ありがとうございます」
「判ってくれたのなら、良いのです。次に……」
教頭の話は先へ先へと進められて行く。しかし一度立ち上がった疑問はそう簡単に消せるものではないことを、彼は良く知っていた。
*
「ふうん」
夕方。化学準備室の中、南雲は高村の提出した指導案を一瞥すると、一言そう言った。
「ど、どうでしょうか」
高村は思わず弱腰になる。
実習生は、実際の授業実習の前に、必ず指導案を担当に提出し、指導を受けることを義務づけられている。
彼なりに、何とか形にしてみた案だった。時間もそれなりに掛かっている。一応、大学の「教材研究」授業でも実際の授業の指導案の書き方は習ってきたつもりだった。模擬授業も経験している。
なのに、一瞥するなり、この態度だ。
さすがに高村は、どう反応していいのか判らなかった。
南雲はデスクの上に、彼の書いた指導案を軽く投げ出した。
「どうでしょうか、もどうも、ないわね」
「……って」
南雲はにっこりと笑った。だがその目は決して笑っていない。
「まあ、そう固くならないで。一度、やってみなくては判らないでしょう? 生ものだし。授業は」
「は?」
まだ合点がいかない、という表情で高村は彼女を見つめた。
「つまりですね」
何やら紙を丁寧に折り畳んでいる森岡が、そこで初めて口をはさんだ。
「君の指導案はまだまだ全然、詰められていない、ということですよ、高村君」
南雲はち、と舌打ちをし、軽く目を細めた。
「詰められて、いない?」
「内容がスカスカだ、ということです」
「スカスカ……」
「それこそベテラン教師なら、その案で授業も進められるでしょう。彼らは蓄積がありますからね。しかし君の様に、初めてとか、数回限りの実習生の場合、手順や予想される反応等、きっちり詰めておく必要がある、ということですよ」
はあ、と高村は思わずうなづいた。穏やかな口調なのに、言うことに容赦はまるで無かった。
「でもまあ、やってみてそれが判る、というのも確かにありですね、南雲さん」
そうですね、と言いつつ、振られた南雲の目は相変わらず笑っていなかった。
それに気付いたのか気付かないのか、森岡は付け足した。
「ああそうそう、それと高村君、ハッタリも一つの手ですよ」
「ハッタリ?」
いきなり何を言うんだ、と高村は思わず声を張り上げた。
「君が何よりも、彼らに呑まれない、なめられないことの方が大事ですよ。教える内容よりもね」
「……?」
「彼らは後期生です。授業を聞くも聞かないも、自己の裁量に任せられている訳です」
「はあ?」
「ひらたく言えば、彼らに聞く気にさせて、飽きさせなければ、いいんです。……まあ、私が言えた義理ではないですがね」
よし、と森岡は両手をほら、と広げて見せる。
「あ」
思わず高村は目を見張った。その手の間には、三つにつながった鶴ができあがっていた。
あの声は島村だ、と高村はちら、と横目で見る。今日の眼鏡のフレームは、鼈甲の太枠だった。確か今朝聞いたところによると、「有閑マダム風」だそうだ。
「また何か、あったんですか?」
別の教師が問いかけている。明らかに島村のぼやきは、誰かに聞かせるためのものに違いなかった。独り言にしては、声が大きすぎる。
「んー、まあ別に、一人で休むんならいいですよ、あいつ、成績いいし、理解力あるし。だけどなー」
はああ、とややわざとらしく両手を広げ、島村は大きなため息をついている。
「あれがボイコットすると、うちとか、隣のクラスの女子とか、結構便乗する奴が増えちゃってねー」
便乗? ふと高村は注意を向けてしまう。
「……で、今後のスケジュールの変更についてですが…… 高村先生、聞いてますか?」
「は、はい!」
職員室の端にある応接スペースで、彼は教頭と一対一で向かい合っていた。
「……慣れないことの連続であるのは判りますが、皆、最低二度は通る道です。しゃんとして下さいよ、しゃんと!」
「はい!」
高村は思わず姿勢を正した。
確かにこの教頭の口調には、人を鼓舞する何かがある。正しいことを、正しく守らせようとする人だ、という印象があった。
そう言えば。彼は南雲にもそんな傾向を感じていた。ただ教頭の方が、言葉に重みが感じられる。
「……あの、教頭先生、一つ聞いてもいいですか?」
ふと彼は、昨夜軽く疑問に感じていたことを口にしてみた。
「何ですか?」
「昨日、結局、朝礼は無かったんですよね」
「ええ。あなたも遅刻したことですし」
そう言われると、きり、と高村の心臓も痛む。
「でもオレのせいではない、って聞きましたけど……」
「誰からですか」
「いえ、誰という程でもなく……」
教頭は眼鏡の下の目を軽く細めた。
「この学校には、この学校なりの事情がある、ということです」
なるほど、と短い答えに彼は悟った。
下手にそのことについて頭を突っ込むな、ということか。
だったらこれ以上、ここで聞いても仕方あるまい。この女性は決してそれ以上を口にしないだろう。彼は教頭に軽く頭を下げた。
「判りました。ありがとうございます」
「判ってくれたのなら、良いのです。次に……」
教頭の話は先へ先へと進められて行く。しかし一度立ち上がった疑問はそう簡単に消せるものではないことを、彼は良く知っていた。
*
「ふうん」
夕方。化学準備室の中、南雲は高村の提出した指導案を一瞥すると、一言そう言った。
「ど、どうでしょうか」
高村は思わず弱腰になる。
実習生は、実際の授業実習の前に、必ず指導案を担当に提出し、指導を受けることを義務づけられている。
彼なりに、何とか形にしてみた案だった。時間もそれなりに掛かっている。一応、大学の「教材研究」授業でも実際の授業の指導案の書き方は習ってきたつもりだった。模擬授業も経験している。
なのに、一瞥するなり、この態度だ。
さすがに高村は、どう反応していいのか判らなかった。
南雲はデスクの上に、彼の書いた指導案を軽く投げ出した。
「どうでしょうか、もどうも、ないわね」
「……って」
南雲はにっこりと笑った。だがその目は決して笑っていない。
「まあ、そう固くならないで。一度、やってみなくては判らないでしょう? 生ものだし。授業は」
「は?」
まだ合点がいかない、という表情で高村は彼女を見つめた。
「つまりですね」
何やら紙を丁寧に折り畳んでいる森岡が、そこで初めて口をはさんだ。
「君の指導案はまだまだ全然、詰められていない、ということですよ、高村君」
南雲はち、と舌打ちをし、軽く目を細めた。
「詰められて、いない?」
「内容がスカスカだ、ということです」
「スカスカ……」
「それこそベテラン教師なら、その案で授業も進められるでしょう。彼らは蓄積がありますからね。しかし君の様に、初めてとか、数回限りの実習生の場合、手順や予想される反応等、きっちり詰めておく必要がある、ということですよ」
はあ、と高村は思わずうなづいた。穏やかな口調なのに、言うことに容赦はまるで無かった。
「でもまあ、やってみてそれが判る、というのも確かにありですね、南雲さん」
そうですね、と言いつつ、振られた南雲の目は相変わらず笑っていなかった。
それに気付いたのか気付かないのか、森岡は付け足した。
「ああそうそう、それと高村君、ハッタリも一つの手ですよ」
「ハッタリ?」
いきなり何を言うんだ、と高村は思わず声を張り上げた。
「君が何よりも、彼らに呑まれない、なめられないことの方が大事ですよ。教える内容よりもね」
「……?」
「彼らは後期生です。授業を聞くも聞かないも、自己の裁量に任せられている訳です」
「はあ?」
「ひらたく言えば、彼らに聞く気にさせて、飽きさせなければ、いいんです。……まあ、私が言えた義理ではないですがね」
よし、と森岡は両手をほら、と広げて見せる。
「あ」
思わず高村は目を見張った。その手の間には、三つにつながった鶴ができあがっていた。
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