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14 標的を殺したい僕、運命を守りたい俺

結末

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(side夏向)
記憶が混濁する。これは、昔の記憶だ。
泣きながら、僕は仕事の為に練習した。生きるために自分の、Ωとしての習性を歪ませた。

「じゃあ、夏向。目の前にある人形をナイフで刺してみて」

兄様は笑ってフェロモンを出す。それは、兄様だけの、特別なフェロモンだ。
促進剤を飲んだ僕はすっかり発情している。
身体が熱い。まともに意識を保てない。『仕事』なんて、『練習』なんて放り出して今すぐ自慰をしたい、なんなら兄様アルファに穿いて貰いたい。近くにαがいるのに、お願い、お願い、お願い。気が狂いそうなの、お願い。

「夏向さま」

追風が僕を呼ぶ。怖い。分かってるよ、従わないと……僕の生きる方法はこれしか無いから。

「夏向、分かってるよね?」

兄様が僕を呼ぶ。氷みたいに冷めた目で。今思えは、α用の抑制剤でも飲んでいたんだろう。だから、僕のフェロモンにあてられラットになったりはしない。ただ冷静に、僕の練習に付き合ってくれている。

何日も、そして何度も。発情して兄様のフェロモンを浴びる。僕の心の奥底に兄様のフェロモンが到達した時、僕は発情期中に『標的を殺す』という技術を覚えた。
兄様のフェロモンは、特別な能力を持っている。彼のフェロモンは人の深層心理に影響して、自分ですら気が付かないうちに兄様の思い通りに動いてしまうというものだ。
僕はあまりにも発情期に兄様のフェロモンを浴びすぎて『洗脳』みたいになってしまっていた。
発情期に本能に抗い、仕事をこなす。
それが出来るようになったのは兄様のフェロモンのおかげだ。

やった、やっとできた。褒めて欲しい。頭を撫でて欲しい。精一杯の愛が欲しい。認めて欲しい。
僕の思いを察してか、ぐちゃぐちゃになった人形を見て兄様は微笑んだ。

「夏向、よく出来たね」

頭をよしよしと、兄様は撫でてくれる。
温もりが嬉しい。もっともっと。僕のこと、家族だって認めてくれる。
愛してくれる。

だから次も。これからも。今も。今も。今も。

仕事を成功させなくちゃ。

標的を、殺さなくちゃ。
次の標的は……。

『七世光希。五羽都学園高等部の生徒会長をしているαです』

ナナセミツキ。それが今回の僕の、標的。



彼が今、目の前にいる。
殺さなくちゃ。手には蓮叶から取り返した僕の拳銃。ベレッタ・ナノ。

彼は真っ直ぐに、一直線に僕に向かってくる。障害物も無く、狙いやすい。
発情期中なのに、頭は何故かどんどん冷めてくる。動物みたいなΩの本能よりも、仕事を達成したいという『理性』が上回った。なんだ、今回の仕事は簡単じゃん。
僕は真っ直ぐ銃を構えて、標的を捉えた。

その瞬間。彼の視線と僕の視線が、お互いに運命の糸のように絡み合った。
目がそらせない。

「みつ、き」

何故、僕は泣いているのだろうか。

体育館に響く銃声音。ああ急所を外してしまったな。僕が放った弾は、標的の腕をかすった。
標的の近くには誰も寄り付かないおかげで、誰かが巻き添えをくらうことも無かったけれど。
もう一度、撃たなきゃ。次は当てる。

「夏向、心配しないで」

標的が僕を呼ぶ。夏向、なんて馴れ馴れしい。
それは、家族とか親しい人しか呼んじゃ駄目だ。駄目なんだよ、光希。
なんで、あんたがそんな苦しそうな顔をするんだ。『心配しないで』なんて言う前に、自分の心配をした方がいい。
そうだ、僕が殺すんだから。逃げろ、逃げた方がいいんだ。

いつの間にか光希は壇上に上がっていた。視線が絡み合ったまま、光希と僕の距離はわずか十センチ程になる。
撃たないと。もう一度。次の弾を用意しないと。でも、その瞳から逸らせない。
僕はその理由が分からない。でも、愛して欲しい。愛して、光希。

「あんたが、欲しい。愛して、死なないで!!」

もう僕自身、混乱して自分が何を叫んでいるのかも分からない。でも、殺さなきゃいけないはずの目の前の標的が、とても大切な人のように思えた。

結局は、兄様の洗脳を受けようと、僕は光希を殺せるはずなんて無いのだ。そんなこと、とっくに理解していた。光希のこと、好きになった時から、ずっと。

険しい顔をした光希の顔が、近すぎて見えなくなる。
気がついたら、唇に優しい温もりが触れた。
光希が僕にキスをして、光希の舌が僕の口内に侵入してくる。まるでコミュニケーションをするように、フェロモンは混ざり合う。今までよりも強く、濃厚に。
もっとわけが分からなくなるくらい。
僕は光希の舌を本能から求め、むしゃぶりついた。
世界は僕とあんただけになる。
僕はそれ以外の認識が出来ない。
ここは全校生徒が集まる体育館だとか、兄様に褒めてもらいたいとか、そんなことは頭から抜け落ちた。
もっともっとと、運命を求める。触れて欲しい。抱いて欲しい。食べて欲しい。
あんたのモノにして欲しい。
考えられるのはそれだけだ。

ふと、喉元に何か小さい錠剤みたいなものが通った。
光希は、するするとキスを解く。物足りない、もっと絡めていたいのに……なんて思ったのは束の間だった。
段々と意識がハッキリしてくる。
ああこれ、無くしていた僕の抑制剤だ。
なんだ、光希が持ってたのか。

「生徒……会長」
「もう安心だ。夏向、怖かったよね」
「ごめ……」

光希が膝立ちになり、立てない僕を抱きかかえる。光希が僕の背中と膝に手を入れて抱きしめた。
殺そうとして、ごめん。迷惑かけて、ごめん。
ちゃんと、きちんと、謝りたい。嫌われてしまうかもしれないから。
でも、僕はもう……疲れちゃった。まだ身体が熱っぽい僕は、何度も目を閉じて船を漕いでしまう。
僕の様子を察して、光希は僕の額にキスを送る。

「眠たいのかな?」
「うん……」
「じゃあ、おやすみ。後始末は俺たちがするから」
「でも、迷惑……かけちゃったし」
「大丈夫。俺に任せて」
「はは。やっぱり、僕はあんたを殺せなかったんだ」
「それでいいんだ。俺は嬉しいよ」

うん。そっか。この結末で良かったんだ。
優しく光希は僕の手をぎゅっと握る。もう離さないというように。
その温もりに安心して僕は意識を手放した。
かけがえのない、僕だけの運命が、僕を包み込んだ時に感じたのは……寂しかった心を満たす、溢れんばかりの幸福感だった。
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