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終章-2

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「――シャラ、キミの胸で傷ついた僕を癒してくれないかい」
「……なに寝ぼけたこと言ってんだよ、このアホ事務官」
 あまったるい顔立ちの事務官とその親友である若騎士は、今日も厨房でもらったお菓子を片手に実に仲良く喧嘩する。
「だいたい立ち直りが早すぎるんだよ。もうちょっとエージャのこと引きずってろ。ついでにシャラにちょっかい出すな」
「なんだよ、自分はとっくにふられたくせに」
 涼しい顔をして息の根を止めにかかる友に、ソーレイはぐっと声を詰まらせた。
 黙っちゃいられないが、何を言ったって言い負かされると分かっているのだ。
 ソーレイは悔し紛れに大口開けてビスケットにかみついた。
「それよりソーレイ、そのでっかい箱はなに?」
 目ざとい友の指摘に、ソーレイは露骨にぎくりとした。
 彼が傍に置いていた箱の中には、公女にもらって抱えてきたはいいものの、出すに出せない、いやそれ以前に出してもいいのか、ためらわれる品が入っているのだ。
 何とかして中をのぞこうとするガッタを手で払って、渋った揚句にソーレイはそれを箱ごとシャラの前に差し出した。
「シャラ、これやるよ」
「わたしに? なに? ――え? ええっ?」
 シャラは箱を開けるなり目を白黒させた。
 彼女も手伝っていた総レース編みのベールは、太陽の下でさらに白さを増して見える。
「どうして? これ、公女さまがお友だちにあげるんじゃなかったの?」
「うん。俺にくれた」
「え? ええっ? だって……」
 まるで意味が分からないといった風に、シャラはガッタを仰ぎ見た。
「そういうことらしいよ」
 たれ目の事務官は意味ありげに笑って、横からレースのベールを取り上げる。
 そしてシャラの手を引き無理やり立たせると、太陽の光できらきら輝く彼女の金髪に、そうっとそのベールをのせてやった。
「うん――似合うね。このままお嫁に行けちゃうよ」
 ガッタが満足げに目を細めた。
 今朝ほど公女が「廃品回収して」と、シャラに白いドレスを押し付けていたのはきっと彼女のイタズラだろう。
 恐縮したように、ただでさえ小さな身体をさらに小さくするシャラを前に、ソーレイは忙しく口を開閉させた。
 何と言っていいのか分からないのだ。
 かつて彼女にボールをぶつけてしまったことへの贖罪の気持ちと、責任感。
 それらを丸ごと差し引いてなお想いは変わらなかった。
 シャラを全力でしあわせにしたい――。
 けれど、しあわせの形として「結婚」をつきつけていいのか。
 ひと月前にすっぱりとふられた自分が。
「――あ、あの」
 唐突に、シャラが声を上げた。
「えと……あの」
 シャラは、顔だけはソーレイに向けながら、うろうろと視線をさまよわせる。
「どうした?」
 かわいいけど意思の疎通が難しい、小動物を目の前にしている気分でソーレイは首をかしげた。
「撤回、してもいい?」
 シャラは言った。
 へ……と、ソーレイが間抜けな声を出すと、シャラは今度はしっかりと彼の目を見つめて繰り返す。
「あのときごめんなさい、って言ったの――撤回してもいい?」
 ぽろ……と、食べかけていたお菓子のかけらが崩れ落ちた。
 ソーレイはゆっくり、二度、三度とまばたきをする。
 シャラが「冗談でしたー」なんて、意地の悪いことをしやしないかと不安になったからだ。
 ソーレイは、一応、用心して隣にいる友に問いかける。
「聞いたかガッタ」
「……遺憾ながら聞こえたね」
 なぜかよそを向いてガッタは言う。
 そこでようやくソーレイは飛び上った。
「よっしゃ、俺結婚するぞ! ガッタ、おまえ明日から準備に走り回れ! 教会押さえて招待状作ってシャラのドレス用意して……」
「なんで僕がするのさ」
「だって親友だろ!」
 微妙な笑みを浮かべて黙る親友に構わず、ソーレイは「ひゃっほい」と阿呆のようにはしゃいだ。
 こんなに晴れ晴れとした気分は久しぶりだ。
「あ、ソーレイ君、待って。えと、あの、そんな、すぐじゃなくて。できれば友だちから始めてもらえると……その、心の準備もできるというか……」
 シャラのおずおずとした申し出に、ソーレイは歓喜の絶頂で硬直した。
「友だちって」
 ――先が長すぎる。
 すっかり火の付いたソーレイには、それは途方もない道のりに思えた。
 しかし、ここで押しすぎると五秒でふられたかつて再現になりかねない。
 思案した挙句に彼は精一杯我慢し、呟いた。
「……そーだよな、そんな急がなくていいよな」
「うん! そう! 急がなくていいの」
 力強く返事をされて、たちまちソーレイの心にひゅおう、と冬の精霊の吐息がかかる。
 先日のような即時的なものではないが、ここまでかわされると軽くふられている様なものだ。
 しかし男ソーレイ、今度こそは絶対にシャラを放したくない。
「――じゃあ恋人」
 意を決して、ソーレイは最大限の妥協案を提示した。
「え?」
 不意打ちに、シャラが緑の瞳をまん丸にする。
 すかさずソーレイは追撃をかけた。
「恋人。これ以上は譲れない」
「え、えええ?」
 シャラが道に迷った小動物のように困りきった顔をした。
(やばい、押しすぎ?)
 強く言い放った割に弱気になりながら、ソーレイはそれでも負けじとシャラを見つめた。
 心臓がバクバクと大げさな音を立てていた。
 しかしそんなそぶりはできる限り見せないようにして、ひたすらにシャラの緑色の瞳を見つめ続ける。
 シャラは、まごまごしていた。
 高速でまばたきをしていたし、せっかちな金魚みたいに忙しく口を開け閉めしていた。
 そうして散々まごついて、
「うん……」
 彼女は、頷いた。
 うつむきながらも――確かに、頷いた。
 ――ほっとしすぎて、たちまちソーレイの腰が砕けた。
 気抜けして友の顔を見ると、彼は穏やかに微笑んで、
「おめでとう、ソーレイ」
 善人の顔で祝福する。
 ――そのときまでは。
「でもソーレイ、結婚するのは僕がしあわせになってからだよ」
「え」
「僕が不幸な気分なのにキミがしあわせ気分じゃ道理に合わない。キミは三番で、僕が一番、それがしあわせの順番だよ。抜け駆けしようとしたら邪魔するからね」
「を、え、おまえ、友だちだろ! 素直に喜べ!」
「友情ってお互いの立場を守ってこそ成立するものだろう? 僕は間抜けなキミの面倒を見ていてこそキミの親友になりえるわけで」
 このやろう――。
 飄々と腹の立つことを言ってのける友に、ソーレイは心の中で思い切り毒づいた。
 おもむろに、シャラの手を掴んで歩きだす。
「ソーレイ君?」
「ダメだシャラ、こんな奴まともに相手にしてられない」
「早速デートかい? 僭越ながら僕も同行するよ」
「来なくていい! ていうか来るな!」
 憤慨するソーレイと、彼に軽く舌を出して見せるガッタ。
 シャラは二人に挟まれ連行されながら、ついにこらえきれず吹き出した。
「――すごくしあわせ」
 つぶやく彼女の声は、二人の耳には届かない。
 代わりに、早起きしすぎた春告げ鳥が、きゅう、と鳴いて彼らの前を飛んでいった。
 冬も終わりが近づこうとしている、ある午後のことだった。
                                   おわり 
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