23 / 56
3章-10
しおりを挟む
仕事を始めて六日目の朝。
シャラを待っていたのは、イナ公女直々の厳しい教育だった。
「ちょっと、シャラ! そこ編み目が多いわよ! その段は三つ減らすって言ったじゃない! どうして十五も編んでるの!」
「す、すみません!」
どうしてかストーブに火を入れず、冷え切った部屋の中で、屋内にも関わらずコートとマフラーを身につけるよう指示を受けたシャラは、昨日まで持っていた硝子ペンの代わりにかぎ針を持たされて、レース編みの特訓を受けていた。
またどうしていきなりレース編みなのか。
公女いわく、「友だちが結婚するから、お祝いにベールを作ってあげるのよ。間に合いそうにないからあなたもやって」とのこと。
昨日も一昨日もその前も日がな一日私室にこもっていると思ったら、こんなことをやっていたらしい。
ちなみに、手紙の代筆は第一陣の返信が終わったところでひと段落と言うことで、第二陣の取りまとめが終わるまでシャラはお役御免。「帰っていいよ」とガッタは言ったが、帰る前に公女に有無を言わさず連れ込まれたのだ。この嫌がらせのように冷えた部屋に。
「大事なベールなのよ、失敗できないの!」
シャラに怒りの棘を向けながら、きりのいいところまで編んでしまいたいのだろう、忙しくかぎ針を動かす公女。
元々レース編みを趣味としているという彼女の流れるような手つきに、シャラは釘づけになる。
公女は小さなモチーフを、すでに二十を超える数編んでいた。
いずれも、幸運を呼ぶトコノハという木のつると、愛の象徴と呼ばれる花・シロサトを組み合わせた大変に細かな模様なのだが、その編みあがりはゆがみもなければよじれもない、素晴らしい出来である。
すでにつないでベールの一部になっているものが部屋の隅に立てられているが、うっとりするほどきれいで、これをかぶれる公女の友人はきっと幸福になるに違いないと、シャラは一目で確信した。
そしてその、きっと美しく仕上がるに違いないベールのふち飾りを作るのがシャラに課せられた使命だった。
こちらは公女とは違い、糸を帯状に編んでいくだけの単純な作業で、基本的な編み方さえ教われば誰でもできる。細かな模様のモチーフを作るよりははるかに簡単なのだが……。
シャラはため息をつきながら、レースの編み目の数をなぞってみた。
確かに、公女の指摘通り編み目が二つほど余計だ。
「……どうしましょう……直せますか?」
内心びくびくしながら編み目を見せると、公女はそっけなく「大丈夫よ」と言った。
「ちょっと貸して」
「はい……」
情けない気分で公女にレースを託す。
シャラも、毛糸を使った編み物ならいくらか経験があるが、いかんせん材料の値が張るのでこんなにも細くきれいな糸を使ったことはない。先ほどから失敗ばかりだ。
(手がかじかむから、余計ダメ……)
公女のよく動く指先を眺めながら、シャラは自らの手に息を吹きかけた。
「それにしてもあなた……ホントに引き算できないのね」
公女が手直しをしながらしみじみと呟くのに、シャラは頬が熱くなるのを感じた。
ソーレイから聞いているのだろう。
子どもだって当たり前にできることが、シャラにはできない。
できた気でいても間違えている、ということ。
「恥ずかしいです……わたし、もう大人なのに……」
「別にいいのよ。どうせソーレイのせいなんでしょ?」
「いえ、あの」
「いいのいいの。人のせいにできることはしておかなきゃ」
けろり、とそんなことを言って、公女は少し、糸を引っ張った。
「ねえ、昔のソーレイってどんなだったの?」
再び手元に目を落とし、公女は針を動かしながらそんなことを聞いてきた。
初めて顔を合わせてからずっと、公女は大波を起こさんばかりにイライラしている印象だったが、今は湖の水面のように落ちついている。
シャラも、特別気負わずに答えた。
「ソーレイ君は、輝いてましたよ。いつもクラスの真ん中にいて、自然と人が集まってくるんです。足が速くて、運動は何でもできて。お勉強は苦手だったみたいですけど……いつも目立ってました。きらきらしてたんです」
遠い昔を思い出して、シャラは小さく笑った。
本当に、ソーレイは昔から目立っていた。
男の子たちが遊び始めると必ずその真ん中で人一倍はしゃいでいたし、やんちゃをしすぎて先生に叱られる時も必ず真ん中で誰より厳しく怒られていた。
けれど、みんな彼が好きだったのだ。
男の子も女の子も、彼に厳しかった先生たちでさえも。
「なに、もしかしてあの人実はモテてた?」
「はい、とっても。一時期ソーレイ君が髪の長い女の子が好きだっていう噂が流れて、その頃からみんな髪を伸ばし始めたんですよ」
「……シャラも?」
一瞬鋭い視線に刺しぬかれて、「え」と、シャラは肩を飛びあがらせた。
これこれ、と指し示すように、自分の髪の毛をつまんで見せる公女。
シャラは耳元に巻きつけられた髪に触れ、あわてて首を振った。
「違いますよ! わたしは小さい頃からずっと長かったです!」
「ふうん。でも切ってないじゃない」
「それは……そうなんですけど……」
ずばりと言われると、口ごもってしまった。
確かに、ソーレイの好みを聞いて以降、髪を切ろうと思い立つことが一度もなかったことは事実だ。
けれど、それはシャラの好みの問題だ。
シャラは伸ばしている方が好きなのだ。
(うん、そう……そうだよね。わたし、髪は長い方が好き)
自分の意思を改めて確認していると、シャラは、公女がじいっと自分を見つめていることに気がついた。
「――ねえ。あなた、どうしてソーレイをふったの?」
シャラを待っていたのは、イナ公女直々の厳しい教育だった。
「ちょっと、シャラ! そこ編み目が多いわよ! その段は三つ減らすって言ったじゃない! どうして十五も編んでるの!」
「す、すみません!」
どうしてかストーブに火を入れず、冷え切った部屋の中で、屋内にも関わらずコートとマフラーを身につけるよう指示を受けたシャラは、昨日まで持っていた硝子ペンの代わりにかぎ針を持たされて、レース編みの特訓を受けていた。
またどうしていきなりレース編みなのか。
公女いわく、「友だちが結婚するから、お祝いにベールを作ってあげるのよ。間に合いそうにないからあなたもやって」とのこと。
昨日も一昨日もその前も日がな一日私室にこもっていると思ったら、こんなことをやっていたらしい。
ちなみに、手紙の代筆は第一陣の返信が終わったところでひと段落と言うことで、第二陣の取りまとめが終わるまでシャラはお役御免。「帰っていいよ」とガッタは言ったが、帰る前に公女に有無を言わさず連れ込まれたのだ。この嫌がらせのように冷えた部屋に。
「大事なベールなのよ、失敗できないの!」
シャラに怒りの棘を向けながら、きりのいいところまで編んでしまいたいのだろう、忙しくかぎ針を動かす公女。
元々レース編みを趣味としているという彼女の流れるような手つきに、シャラは釘づけになる。
公女は小さなモチーフを、すでに二十を超える数編んでいた。
いずれも、幸運を呼ぶトコノハという木のつると、愛の象徴と呼ばれる花・シロサトを組み合わせた大変に細かな模様なのだが、その編みあがりはゆがみもなければよじれもない、素晴らしい出来である。
すでにつないでベールの一部になっているものが部屋の隅に立てられているが、うっとりするほどきれいで、これをかぶれる公女の友人はきっと幸福になるに違いないと、シャラは一目で確信した。
そしてその、きっと美しく仕上がるに違いないベールのふち飾りを作るのがシャラに課せられた使命だった。
こちらは公女とは違い、糸を帯状に編んでいくだけの単純な作業で、基本的な編み方さえ教われば誰でもできる。細かな模様のモチーフを作るよりははるかに簡単なのだが……。
シャラはため息をつきながら、レースの編み目の数をなぞってみた。
確かに、公女の指摘通り編み目が二つほど余計だ。
「……どうしましょう……直せますか?」
内心びくびくしながら編み目を見せると、公女はそっけなく「大丈夫よ」と言った。
「ちょっと貸して」
「はい……」
情けない気分で公女にレースを託す。
シャラも、毛糸を使った編み物ならいくらか経験があるが、いかんせん材料の値が張るのでこんなにも細くきれいな糸を使ったことはない。先ほどから失敗ばかりだ。
(手がかじかむから、余計ダメ……)
公女のよく動く指先を眺めながら、シャラは自らの手に息を吹きかけた。
「それにしてもあなた……ホントに引き算できないのね」
公女が手直しをしながらしみじみと呟くのに、シャラは頬が熱くなるのを感じた。
ソーレイから聞いているのだろう。
子どもだって当たり前にできることが、シャラにはできない。
できた気でいても間違えている、ということ。
「恥ずかしいです……わたし、もう大人なのに……」
「別にいいのよ。どうせソーレイのせいなんでしょ?」
「いえ、あの」
「いいのいいの。人のせいにできることはしておかなきゃ」
けろり、とそんなことを言って、公女は少し、糸を引っ張った。
「ねえ、昔のソーレイってどんなだったの?」
再び手元に目を落とし、公女は針を動かしながらそんなことを聞いてきた。
初めて顔を合わせてからずっと、公女は大波を起こさんばかりにイライラしている印象だったが、今は湖の水面のように落ちついている。
シャラも、特別気負わずに答えた。
「ソーレイ君は、輝いてましたよ。いつもクラスの真ん中にいて、自然と人が集まってくるんです。足が速くて、運動は何でもできて。お勉強は苦手だったみたいですけど……いつも目立ってました。きらきらしてたんです」
遠い昔を思い出して、シャラは小さく笑った。
本当に、ソーレイは昔から目立っていた。
男の子たちが遊び始めると必ずその真ん中で人一倍はしゃいでいたし、やんちゃをしすぎて先生に叱られる時も必ず真ん中で誰より厳しく怒られていた。
けれど、みんな彼が好きだったのだ。
男の子も女の子も、彼に厳しかった先生たちでさえも。
「なに、もしかしてあの人実はモテてた?」
「はい、とっても。一時期ソーレイ君が髪の長い女の子が好きだっていう噂が流れて、その頃からみんな髪を伸ばし始めたんですよ」
「……シャラも?」
一瞬鋭い視線に刺しぬかれて、「え」と、シャラは肩を飛びあがらせた。
これこれ、と指し示すように、自分の髪の毛をつまんで見せる公女。
シャラは耳元に巻きつけられた髪に触れ、あわてて首を振った。
「違いますよ! わたしは小さい頃からずっと長かったです!」
「ふうん。でも切ってないじゃない」
「それは……そうなんですけど……」
ずばりと言われると、口ごもってしまった。
確かに、ソーレイの好みを聞いて以降、髪を切ろうと思い立つことが一度もなかったことは事実だ。
けれど、それはシャラの好みの問題だ。
シャラは伸ばしている方が好きなのだ。
(うん、そう……そうだよね。わたし、髪は長い方が好き)
自分の意思を改めて確認していると、シャラは、公女がじいっと自分を見つめていることに気がついた。
「――ねえ。あなた、どうしてソーレイをふったの?」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる