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2章-6

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 その日のうちに、シャラは一通目の返事を書き上げた。

 シャラのやる気は――あった。
 確実にあっただろう。

 その証拠に彼女は硝子ペンの先をインクにひたす瞬間、充血しそうなほど目を凝らしていたし、そのペン先を紙に下ろした瞬間に彼女は息を止め、一文字一文字丁寧に記していた。

 それだけ神経を使って書いた文字は、当然、薄く黄色い色を付けた便箋の上に実にバランスよく並んでいる。

 思わずため息がもれるほど美しい字。
 国の公文書を残す書記官たちでさえ、こう整然とした文字は書けないだろう。

 シャラを推したソーレイの目にも狂いはなかった。
 ガッタもその部分だけは認めるに違いない。
 ――けれど。

「――シャラ、キミ文才はないんだね」

 ガッタが真顔で呟いた瞬間、部屋の空気が凍りついた。

「素晴らしくひどいよ、これ」

 周辺に漂う気まずさにも構わず、ガッタは続けてそう毒を吐く。

 彼の視線が、容赦なくシャラへと差し向けられた。

 横から手紙をのぞいていたソーレイも、恐る恐る、新米代筆係に視線を注ぐ。

 シャラ・クトバは、ソファにちんまり腰かけたまま蒼白になっていた。

「あ、いや、でも、字はきれいだぞ。ものすごく! レタリングの手本みたいだ」
「見た目もそりゃ大事だけど、中身が肝心だよ、中身が」

 慌ててフォローするソーレイに、ガッタはぴしゃりと言い切った。

「文章が幼稚すぎるよ。書き出しからして『お返事ありがとう』って。これじゃまるでお子さまの交換日記だ。公女の手紙としてはとても出せないな。字も間違えてるし、ああ、ここなんか、褒め言葉のつもりだろうけど完全にけなし言葉になって……」

 再び文面を見つめ、ガッタはひどい、ひどいと繰り返した。

 ガッタの言い分は――多少言葉は過ぎるが――世間一般の基準に照らせば「もっとも」なものだった。

 ひとまずシャラの思うように……と書かせた手紙は、彼の訴えたとおり内容に少々難があったのだ。

 まず、公家の娘の手紙にしては文体がくだけすぎている。

 そして致命的な誤字があり、そもそも文章として成り立っていないところもある。

 総評すると完全に「ダメ」だ。

 なまじ字がきれいなだけに、読んでいると「味付けは最高なのに砂が残ってた貝料理」みたいながっかり感があるのだ。

 ガッタはふう、と嘆息して、シャラにトドメの一撃を放った。

「全然ダメだね。ボツ」

「――ごめんなさい……」
 さながら斬首を言い渡された罪人のようにシャラは首を折った。
 彼女の肩にはすでに力がなく、まなじりにはうっすら涙が浮かんでいる。

「し、しょーがないだろ。初仕事がうまくいかないのは当たり前だ! 俺も騎士なりたての頃は馬を暴走させてえらいことになったし!」
「ああ……あれはひどかったよね。馬小屋のドアが破壊される騒ぎになって、確かキミ、フンまみれになったんじゃなかったっけ?」
「まみれてない! 踏んだだけだ!」

 自虐を挟みつつ、どうにかシャラを笑わせようとしたソーレイ。
 しかしシャラは笑うどころかいっそう暗くなるばかりだ。

 ソーレイは「責任取れ」という気持ちを存分にこめてガッタを睨みつけた。

 彼は暴れ馬をなだめるような仕草をしながら二度、三度と頷くと、それまでとは一転してやさしい声音でシャラに語りかけた。

「シャラ。恋文を書くように書けばいいんだよ。相手に不快に思われないように、でも精一杯気持ちをこめて。書いたことあるだろ、そういうあまずっぱい手紙」
「恋文……って、そんなの書いたことありません!」

 驚いたように顔を跳ね上げたシャラは、頬を染めながらぶんぶんと首を振りまわした。

「手紙を書くくらいなら会いに行って自分の口で言います!」
「へえ、度胸あるんだね」
「いえ……あの……便箋を買うくらいならパンをひとつ買いたいですから……」

 悲しすぎる生活水準。その場になんとも形容しがたい空気が流れた。

「シャラ……失礼を承知で聞くけど、キミんちってどれだけ貧乏なの?」
「……ひとつのパンを、朝・昼・晩と分けて食べるくらいには………」
 ますます妙な空気が流れた。

 空腹に耐えながら、ひとつのパンを三度の食事に分けて食べる、幼い子どもとその姉、両親。
 この極寒の中薄っぺらい服を着て、傾きかけの家の中で震えている……。

 彼女の実家を見てしまったソーレイには想像もたやすい光景だった。
 しゅんとするシャラに、つられるようにソーレイもなんだか落ち込んでしまう。

 彼女のそんな生活さえ自分のせいのような気がして。

「……やっぱりダメだったかな」

 ガッタが肩で息をついた。

 早くもクビか。罪滅ぼしはたった数時間で終わりなのか。

 おそれおののくソーレイを、しかし親友の事務官は裏切らなかった。

「やっぱり本文は僕が作ろう。シャラには清書してもらうだけにして」
「清書だけ?」

 目をぱちくりとさせるソーレイに、ガッタは深く頷いた。

「イナ公女も、一応公家の娘だからね。この先政略的に結婚する可能性も多分にあるし、公家同士の利権争いに巻き込まれないとも限らない。駆け引きなんかも必要になるかもしれないだろ? そうなったら一般人の彼女にはとても手に負えない。今のうちから僕らの文体で書かせた方があとあと違和感もなく済むと思う」
「それもそうだな。ていうか早く気づけよ、そういうこと」
「そういう言い方されると心外だね。僕だって最初からそう思ってはいたけど、キミが優秀だって言って推すから試してみただけだよ」
「あ、あの、わたし、全然優秀とかじゃなくて……」

 火花を散らす男二人の前でシャラが早口に言った。

「謙遜しなくていいよ。ああもちろん、謙虚な子は好きだけど」

 にこりとするガッタに、たちまちシャラは頬を赤らめる。
 先ほどまで同じ口から毒を吐かれて小さくなっていたのに、彼が笑うだけでこの反応である。

 実におもしろくない。
 ソーレイは、ガッタのふわりと波打つ髪を思い切りよく引っ張った。

「い、痛いな。何するんだよ」
「方向が定まったんだ、さっさと下書きしてこい」

 ソーレイは大きく手を振り外を示した。

 この公女の執務室と同じ並びに下級事務官の執務室があるのだ。
 ガッタは何も反論しないながらも不機嫌いっぱいに戸口へ向かう。

 しかし不機嫌なのはソーレイも同じことだったので、睨まれた分睨み返した。

「まったく頭にくるね」

 そう捨て台詞を残し荒く戸を閉めて行ったガッタ。
 傍らのシャラがハラハラしていたけれど、別に大したことではなかった。

 いがみ合っても次に顔を合わせたら何でもないように口を開く。
 ガッタとはそんな風にここ四年、付き合ってきたのだ。
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