彼が恋した華の名は:2

亜衣藍

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 その声にハッとすると、聖が、前髪をかき上げながら睨んで来たところだった。

「――――大丈夫なんだろうな!?」

「……すまん、何のことだ?」

「お前、今の話をきいてなかったのか?」

 聖は呆れたように溜め息をつくと、おもむろに口を開いた。

「正弘の大親分だよ。心臓の調子が悪いって話を耳にしたから、何度か屋敷を訪ねたが……あの人はいっつも笑って強がりばっかり言って……」

 それは、引退した先代の天黄組組長の名前だった。

 近藤碇が天黄正弘の後を継ぎ、組の頭に収まって一年。

 目に見えて、先代は衰えている。

 だが、聖の前でだけは、正弘は生来の剛健な姿のままでいたいらしい。

(昔、こいつが親分の愛人だったとか何とか、まことしやかに噂されていたが)

 果たして真相はどうだったのか?

(まぁ、そんな事は、もうどうでもいいがな)

 どっちにしろ、碇はこの先もこのままずっと、聖に付き合って行くつもりである事に変わりはないのだから。

 碇は素知らぬ風を装いながら、優しいウソを口にした。

「親分は、無理しない限りは百まで大丈夫だと、医者も太鼓判を押しているようだぜ」

「本当か?」

「ああ。それより、お前……それを聞きたくて、オレのシマまでわざわざ飲みに来ていたのか?」

 そう話を振ったところ、聖は微妙な顔をした。

「……ここだと、オレのことを知っている連中が多いせいで、逆に声を掛けて来ねぇからな」

 それはそうだろう。御堂聖はこの界隈では有名人だ。

 もぐり・・・でもなければ、口説こうなんて無謀なマネはしない。

「オレだって、一人でゆっくりと飲みたい時があるんだ。それには、ここが一番だと最近になって気づいてよ」

 だが、一人でゆっくり飲みたいからといっても、マンションで本当に独りきりで飲むのは孤独だし退屈だ。

 だからこんな場所まで来て、どうでもいい世間話を、バーテンダーや居合わせた酔客すいきゃく相手に交わしているわけだが。

 しかし、やっぱりどうしても寂しくて、ついつい聖は毎回飲み過ぎてしまう。

 だが、ここには聖を口説こうとするヤツはいないので、他所のバーのような下手な騒ぎやトラブルは起きないではいるのだが。

 それでもやはり、ここ連日のように酔い潰れては、毎度タクシーを呼ぶ状態になっている聖を店側では持て余していたのか、とうとう碇に連絡が行ったらしい。

 聖は内心で、そろそろここも潮時だなと思った。

 かしらになって、組織の引き締めに忙しいであろう碇が、タイミングよく聖が来ている時に、偶然・・店を訪れた筈がない。

(まったく、これじゃあ……今どきの若い連中をバカには出来ねぇな)

 我ながら思う。

 これは俗にいう“かまってちゃん”みたいなモンじゃないかと。

「……悪かったな。オレはもう、ここには来ねぇよ」

 そう言い残し、聖はマスターにチェックを頼もうとしたが。

「まてよ」

「?」

「ここはオレの店だ。カネはいらねぇよ」

 碇はそう断言すると、「まぁもう一杯だけ付き合えよ」と、逆に引き留めてきた。

「悩みがあるなら、ここで吐き出して行け。何やら、ここ数日が特に荒れているらしいじゃないか? 理由があるんだろう?」

 野郎に言い寄られて難儀するのは昔からだ。

 イロコイで悩むのもいつもの事だ。

 大親分と慕っている天黄正弘が心配なのも、本当の事だろう。

 だから、諸々全てを忘れたくて酒をあおるが、しかし独りは寂しいというのも……結局毎度の事だ。

――――それ以外は?

 すると、聖は、嘆息しながら白状した。

「――実は、ユウが四日前に、休暇を切り上げてヨーロッパから帰って来たんだ」

 それはとても嬉しい事だ。帰国祝いに特別のディナーを用意して美食を楽しんだが。
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