彼が恋した華の名は:2

亜衣藍

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「どういう事ですか?」

「――こいつは、同じ劇団員と近々籍を入れる。だから今のうちに『既婚者』と書き換えるんだ。こういった事は、後々知られる方がダメージがデカい」

「既婚者? そ、そうだったんですか――確かに社長の仰る通りですね」

 結婚するなら、最初から公表しておいた方がいいのは本当の事だ。

 特に女性ファンの心理というモノは厄介で、対象が「独身」の場合はずっとそのイメージに凝り固まったファンの場合が多い。

 そうなると、後にその対象が「結婚」ないし「内縁の妻」等が出現した場合、裏切られたと言い出してヒステリックに騒ぎ、攻撃するパターンが多いのだ。

 しかし逆に、最初から「既婚者」という事を公表しておくと『一家の大黒柱として頑張っている』と好意的に受け止めて、女は応援する側に回る。

 スポンサーは独身のイケメン・・・・・・・を希望する場合が多いのだが、それにしたって売り込み方はある。

 世相を反映して妻を大切にするイクメン・・・・・・・・・・・だとでもアピールすれば、むしろ多くの女性ファンを獲得できると、頭の中でソロバンを弾くだろう。

 何にせよ、籍を入れるならば秘密にするよりも公表した方が、今の時代は受け入れられやすい。昭和と違いSNSも発達した現代では、箝口令をしいて秘密にしようとしても、どこからか必ず洩れるのだから。

「それにしても、社長はどうして――――加賀誉の既婚の事をご存知なんですか? 経歴を見ても、舞台を何度か経験しただけの駆け出しなのに……」

 訝しむ様子の真壁に、聖は濃い色の入ったメガネを外すことなく平然と答える。

「ウチの役者が最終オーディションに残っているようだから、ちょっと興味が出てな。その時に、偶然知ったんだよ」

「偶然?」

「……役者仲間と、飲みのついでに結婚の報告していたようだった。だから、それなら早めに経歴を書き換えた方がいいと思ってな」

(――――そうだ、誉は結婚して正式に籍を入れるだろう。ヤツなら、それを選択するはずだ)

 出会ってまだそれ程日が経っていないのに、聖は誉の為人ひととなりを知ってしまった。あいつは優しくて、情のあるヤツだと……。

 そしてそれは、聖との別れを意味するという事も。

「……っ」

 不覚にも、鼻の奥がツンとした。

 聖は真壁から顔を逸らし、そっとメガネをずらすとハンカチで目元を押えた。

 その一連の動作に目ざとく気付いた真壁は、ギョッとしたように声を上げる。

「ど、どうされました!?」

「――何でもない」

 そう言い、聖は来た時と同様に、唐突に部屋を退出した。

 そのあとを、慌てた様子で真壁が追ってくる。

「待ってください!」

「本当に……何でもないんだ。加賀誉の経歴の差し替えを、即急に頼んだからな。各方面にも手配を頼む。最終オーディションも近いから……」

 エレベーターの前で追い付き、真壁は聖の肩に手を置く。

「聖さん! いったい――っ!?」

 だが、真壁は聖の様子に気付き、凍り付いたように動きを止めた。

 聖は……肩を震わせて、何かに精一杯耐えていたから。

 激しく動揺し、真壁は痛みに耐えるような顔になる。

「……何があったんですか、聖さん……」

 しかし、聖は小さく頭を振っただけだった。

「すまない、あとを頼む。悪いが、今日はこのまま帰らせてくれ」

「それならせめて、マンションまで送らせてください――さ、手を」

 これ以上詳しく聞き出す事は、今の聖には辛いようだ。

 即座にそれを理解した真壁は、やはり聖との付き合いが長いだけはある。



 無遠慮に根掘り葉掘り聞くような事はせずに、ただ、最大限の愛情をもって、真壁は丁寧にその手へ触れた。



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