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しおりを挟む折衝の末、奏は、大使館から解放される事となった。
その奏が次に身を移した場所は、なんと九条邸である。
元々、九条邸は研究所にも近く、立地は最高だったからだ。
それに何より、九条邸には、七海のプライベートな研究室も完備されている。
それを理由に、七海も九条邸へ住まい続ける事が可能となった。
つまり幸いなことに、七海は住居をA.K機関の施設へ移さなくても構わない事となったのだ。
A.Kの代表を務めている円子を、三人がかりで説き伏せる事に成功した結果だったが……実はこの一件の裏で、随分とヤンも頑張ってくれたらしい。
まさかヤンが、そこまで協力するとは思っていなかった奏と七海は驚いたが、九条だけは納得したようだ。
元々、ヤンがあんな凶行に及んだのは九条にも原因がある。
故に九条は、七海を陥れた元凶がヤンであるにも関わらず、彼の事を憎みきれないでいた。日本で別れた後も、彼は密かにヤンと連絡を取り合っていたのだ。
七海しか目に入らない自分を愛してしまった、ヤンが、どうしても不憫に感じてしまって――――。
だが、
『私は、A.K機関のマルコと懇意にしています。今までの、せめてものお詫びを込めて、必ずや私が彼を説得致しましょう』
最後に会った時、ヤンは九条へハッキリと宣言した。
それまで、すがるような眼で、いつも物陰から自分を見ていたヤンが……初めて自分の強い意志を込めて、そう約束したのだ。
その様子を見て、ようやく九条はホッとした。
ああ、ヤンもようやく全ての呪縛から解き放たれたのだなと。
「――――どうした? 何を思い出し笑いしているんだ? 」
「いや……」
九条は、七海の訝し気な視線に苦笑いを返しながら小さく呟く。
「ただの友人になったらなったで、少し寂しいような気もするものなんだと思ってね」
「――ヤンの事か? 」
七海の、少し棘のある言葉に、九条は再び苦笑する。
「……でも、私のこの気持ちは、決して浮気じゃないよ」
「ふん、どうだか」
七海にガウンを着せかけてやりながら、九条は熱っぽい眼差しを注ぐ。
「私は、昔から――それこそ学生だった頃から、ずっと君に恋をしていた」
彼等が学生だった頃は、まだオメガは、蝶よ花よと持て囃されていたギリギリの時代だった。
オメガの男体には、美形が多い。
その中でも、とびきり美しく秀でていた七海は、アルファからもベータからも、また彼と属性を同じくするオメガからも慕われ、常に羨望の的だった。
華麗に、優雅に、艶やかに咲き誇る大輪の薔薇のような七海。
皆が、そんな七海に夢中になった。
しかし当の本人は、数ある求愛を気紛れな蝶のようにひらりひらりと躱して、多くの男達の心を煩悶させた。
やがて七海は、学生でありながらオメガを死の病から救うワクチンを完成させ、天才の名を欲しいままにしたが――その代償は、取り返しのつかないものだった。
七海は、自分の身体を実験に繰り返し使った為に、自身の腎臓や肝臓を酷く痛めてしまっていたのだ。
その上、七海の作ったワクチンによって、恐ろしい病から解放され自由になった筈の同胞たちは、カーストの最下層へと再び堕とされてしまった。
――――なんという皮肉だろう。
それは、七海が決して望んでいなかった最悪の結果だった。
ワクチンが普及するのと同時に、オメガ男体はただの恥知らずの淫乱だと罵倒されるようになってしまった。
そうなっても尚、彼に求婚する者は多かったが…………。
しかし七海はそれら全てに背を向けて、ただ孤独に研究へますます没頭して行った。
やがて、婚期を逃したオメガなど必要ないと、七海は無情にも実家からも追い出されたのだが――――彼は変わらず、新薬の開発に取り組んだ。
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