上 下
201 / 240
42

42-2

しおりを挟む
 そして、バタバタと支度の準備をしながら、声だけをインターホンへ向かって発する。

「おはようございます。思ったよりも早かったですね。どうぞ、僕に構わずリビングでお待ちください」

『――ああ』

 聞き取り難い声だったが、奏はあまり深く考えないで、タオルと着替えを持って顔を洗いにシャワー室へ向かった。

   ◇

 青柳正嘉が所有している幾つものマンションを調べ、奏が入居したらしい場所を特定するのには、そう時間は掛からなかった。

 それは、栄太が用意したマンションから、わずか500m先のマンションだった。業者は、どうしてこんな近場から近場にといぶかしんだらしい。

 栄太は、馬淵コーポレーションという不動産代理業・仲介業を経営している。

 その付き合いで、当然様々な引っ越し関連業者との繋がりがあったのだ。

 てっきり、運命の番である奏を手に入れた正嘉は、都心部にある青柳邸へと問答無用で彼を連れ去ると思っていたのだが……。

(――――あいつ、あんな冷たそうな顔をして……随分と甘いヤツだったんだな)

 国立生化学研究所・オメガ症免疫研究室の研究員として、奏が情熱を懸けて新薬を開発している事も有り、正嘉はそれを考慮したらしい。

 新しい住居は青柳邸ではなく、研究所に近い場所へ落ち着いたようだ。

 奏の事など好きでもないし愛してもいないと言ったクセに、随分とその相手に気を遣ったものではないか。

「奏……」


 そう、奏の新居となったリビングに立つのは正嘉ではなく、栄太であった。


 栄太は、奏が身籠った子が自分の子であると聞き及び、どうしても未練を捨て去ることが出来なくなったのだ。

 それに、間違いなく栄太の血を引く後継者が手に入れば…………半《なか》ば諦めていた、馬淵家の次期当主の座を獲得することが可能になる。

 子供の頃から、義兄弟や義父によって散々に味わされた屈辱を返上できる。

 ベータとして軽んじられたこの自分が、アルファに下剋上を叩き付けることが出来る!

 それは、やはり栄太にとって、抗しがたい欲望であった。

「お待たせしました、しょ――」

 シャワーを浴び、部屋で着替えを済ませてきた奏は、リビングに立つ男の正体を目の当たりにして絶句した。

 もう縁は切れたはずだった栄太に、奏は当惑する。

「栄太、さん……」

「奏! 迎えに来たぞ!! 」

「『迎え』? 何を言っているんですか? 」

「青柳正嘉に、ひどい目に遭ったんだろう? 大丈夫だ。これからは、オレがお前をずっと守っていく」

「何を言っているんですか」

 三日前、奏に別れを告げて去って行ったばかりではないか。

 それが、どうして再び現れた!?

 奏は、くらりと眩暈が襲うのを頭を振って堪え、できるだけ平静な声で言う。

「――どうぞ、お帰り下さい。あなたの大切な会社も、今が一番大変な時期でしょう? それが、どうして……」

 ここでまた正嘉と争ったなら、せっかく締結した土地の売買契約にも影響するだろうに。そう匂わせた所、栄太は苦笑しながら首を振った。

「それとこれとは、違う」

「どう違うと? 」

「お前は、オレにとって必要な人間だと分かったんだ」

「今更そう言われても――」

 栄太に対する感情の正体を知った以上は、もう以前のような関係には戻れない。

 友人には成れるかもしれないが、恋人は無理だ。

 それに第一、奏のうなじにはアルファである正嘉によって番の上書きが刻まれ、もう他の男とは番になれない。

「もう、僕達は終わりです。悲しいし悔しい気持ちもありましたが……今、僕は……」


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~

喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。 庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。 そして18年。 おっさんの実力が白日の下に。 FランクダンジョンはSSSランクだった。 最初のザコ敵はアイアンスライム。 特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。 追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。 そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。 世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

好きな子が毎日下着の状態を報告してくるのですが正直脈ありでしょうか?〜はいてないとは言われると思いませんでした〜

ざんまい
恋愛
今日の彼女の下着は、ピンク色でした。 ちょっぴり変態で素直になれない卯月蓮華と、 活発で前向き過ぎる水無月紫陽花の鈍感な二人が織りなす全力空回りラブコメディ。 「小説家になろう」にて先行投稿しております。 続きがきになる方は、是非見にきてくれるとありがたいです! 下にURLもありますのでよろしくお願いします! https://ncode.syosetu.com/n8452gp/

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

処理中です...