インチキで破廉恥で、途方もなく純情。

亜衣藍

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 それからのわずかな期間、奏は幸せだった。

 夢の中にいるように、本当に――――本当に、幸せだった…………。

(だけど今、栄太さんの窮状を救ってあげる魔法の言葉が、僕からの別れのセリフになるだなんて……僕は、やっぱりダメなのかな…………)

 子供の頃は、本当に簡単に幸せになれるのだと思っていた。

 刻一刻と、オメガ男体を取り巻く状況は厳しいものに変わっている事は知っていたが、自分とは関係ないと思っていた。

 素敵な婚約者と番って、愛し愛されて幸せになる。

 そうなるのだと、昔は純粋に信じていた。

(でも、僕は――――ダメのようだ)

 どこを捜しても、奏を最後まで愛してくれる人はいないようだ。

 哀しく微笑み、奏は虚ろな眼で栄太を見遣る。

(子供の頃、思い描いていたような幸せを手に入れる事は……僕にはやっぱり無理そうだ)

 奏を選んでくれる人は、ここにはいない。

 全てを捨てても、奏だけを愛してくれる人は――どこにもいない。

(ああ、あなたは…………自分では気付いていないようだけれど、今、僕の口から出るであろう言葉を、とても期待している表情をしていますよ)

 大切な会社を救うには、もうそれしかないのだろう。

 しかし、それは間違いなく――――奏との別離を意味していた。

 愛し、愛されていた日々が、まるで陽炎のように脳裏に揺らめく。

 それは遥か昔の記憶のようで。遠い、遠い、過去のようで。

――――ゆっくりと、乾いた唇を小さく開き、奏は『魔法の言葉』を呟いていた。

「栄太さん……僕と、別れてください――」

 一瞬だけ、ホッとしたような顔になる栄太。

 それが分かり、奏はギュッと目を瞑って俯いた。

 心に、ヒビが入る音が聞こえる気がする――――。

「――もう、行ってください……」

「奏…………すまない。でも、オレはお前の事を本当に愛していたんだ。もしも今回の事がなかったら、絶対にお前を離す筈がなかったんだ! だから、それだけは信じてくれ!! 」

 それは、本当の事なんだろうけど。

 しかし、奏の心は重く沈んで行く。

『でも』も『もしも』も、『だから』もただの言い訳だ。

 奏は――――栄太に必要とは、されなかったのだ。

 一生懸命頑張ってみたものの、とうとう奏は最後に選ばれなかった

 贅沢をしたいワケじゃない。マンションだってどうでもいい。お金なんていらない。

 ただ、好きな人の傍に居たかった。優しく抱きしめて、頬を撫でて欲しかった。

 もう一度、キスをして欲しかった。

『愛していた・・・』なんで過去形じゃなくて、愛していると言って欲しかった。

 今もずっと、この世の何よりも愛しているから、何処にもやらないし絶対に離さないと言って欲しかった。

 お前が必要だという言葉が聞きたかった。

 アルファだとか、ベータだとか――――番だとか。

…………そんな言い訳は、してほしくなかった。

 でも、もう何一つとして奏の願いは叶う事もなく、全てが終わってしまった。


(これが、絶望っていうのかな)


 目を閉じて俯いたままでいると、小さな声で「すまない」と言う声が聞こえた。

 それは、奏の好きだった、低くて少し擦れた声で。

 耳元で愛を囁いてくれた筈の、声だった。

 最後の言葉が、こんな謝罪の言葉になるなんて。

 やがて足音が遠ざかり、静かにドアの閉まる音が聞こえた――――。

「栄太さん……」

…………さようなら。

 奏は、独り寂し気に背中を丸めながら、小さく別離の言葉を口にしていた。

   ◇

 奏の事が心配で、無意識に爪を噛みながら渋々別室で待機していた七海は、奏の部屋から退室してきた栄太に気付くと、直ぐに控えていたメイドへ命じた。
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