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 父親はその様子に気付き、正嘉の傍へと近寄った。

「どうした、正嘉? 何を見ている? 」

「あれが……」

「『あれ』? 」

 その視線の先を追い、父親も奏の姿を確認した。

 奏は、門の前でずぶ濡れのまま、立ち尽くした状態でそこに居た。

「チッ! 帰れと言ったのに、あのオメガ――」

 忌々しそうに呟くと、父親は宮内に命じた。

「あいつを、今すぐ門の前から追い払え」

「は、はいっ! 」

 しかし、直ぐに飛び出して行こうとする宮内に、義母がストップを掛ける。

「お待ちなさい、宮内」

「え? 」

「それに、ねぇ――あなたも。私の言う事を聞いて下さいな」

 彼女はそう言うと、ニッコリと笑いながら、夫の肩へと手を置いた。

「あの青年は、以前もここを訪れた――――例の、結城の子息でしょう? ここで追い払っても、またしつこく来るのではないかしら? 」

「ううむ……」

 奏が、何度もここへ手紙を投函しに来ている事は、既に周知の事実だ。

 全て、正嘉の元へ渡る前にその手紙は握り潰しているが、いつか監視の目をすり抜けてしまう可能性はある。

 正嘉は、アルファだ。

 そして、奏はオメガである。

 万が一、発情した状態のオメガに出会ってしまったら――――不本意な事故・・・が起こるかもしれない。

 全ては、フェロモンを垂れ流して誘惑してくる向こうが悪いのに、衝動を制御できずに襲ってしまったこちらアルファやベータが悪いとされて、刑事事件にまでなった例も後が絶たない。

 民事にしても、多額の損害賠償を請求される場合も多く、決して気は抜けない。

 そんな事にでもなったら、一大事だ。

 家名に傷がつくような事は、断じて御免である。

「――では、あの小僧を――どうしたらいいと、お前は考えるんだ? 」

 夫の問い掛けに、彼女は含み笑いをしながら、正嘉を見遣った。

「正嘉さん」

「――」

「正嘉さん! 」

「っ! 」

「何をぼうっとしているのです? あの青年はオメガですよ。お分かりですね? 」

「ああ。あいつ、何年か前にここに来たあいつだろう? ええと……確か、奏っていう名前だよな? 」

「あらあら」

 ホホホと笑うと、彼女は再び口を開いた。

「――――でも、分かっていますね? 」

「何がだよ」

「正嘉さん、あなたは、この家の跡取りです。オメガの男など醜悪な色情狂のバケモノだと、勿論理解している筈――――そうですわよね、あなた? 」

 くるりと首だけ向けて、そう夫へ同意を求める。

 妻の念押しに近い問い掛けに、夫は不思議に思いながらも力強く頷いた。

「ああ! 当たり前だ」

「――――では、あの青年を、ここの窓辺へ呼びましょうよ」

 彼女は愉快そうに言うと、窓辺へ寄って、ガラス戸をコンコンと叩いた。

 その意を汲み取り、宮内は素早く門を開けるよう指示を出す。

「お前――? 」

 訝し気に見下ろす夫に、彼女は残酷な提案をした。

「ここで、ハッキリと言うのです。正嘉さん御本人がキッパリと拒絶したら、さすがにあのオメガも、二度と正嘉さんにイタズラ誘惑をしようとは思わないでしょう? 」

「ふむ……」

「オメガの男体など不快な欠陥品。迷惑だから今後一切関わるなと、正嘉さんがこの場で直接言い渡せばいいのですわ――――あの青年は、家には入れないでこのまま庭から周らせましょう」


……魂の番を目の前にして、それを拒絶する――――。


 それは、生皮を剥がされる程の苦痛だ。

 だが、青柳の跡取りとして成長した正嘉は、それを受け入れるしか道はない。

 それしか、彼には許されていない。

 唯一無二の番である相手を前にしても、それを断固拒否しなければ、青柳の跡取りとしての正嘉のアイデンティティーは崩壊する。

(オレは――)

 インターフォンで、奏は何か言われたらしい。

 門が開き、奏はずぶ濡れのまま、庭へと入ってきた。

 そのまま、まっしぐらに、正嘉の居る部屋の窓辺へと歩いてくる。

 激しくなってきた雨に打たれながら、それでも、奏は花がこぼれたように笑った。

『正嘉さま――逢いたかった……』

「……」

 ガラス越しの声に、正嘉は打たれたように立ち竦んだ。

 長く雨に当たっていたのか、奏の顔色は悪い。

 しかし奏は、内側から湧き上がってくる喜びで胸が一杯になっていて、もはや寒さは感じていなかった。

――――だって、ようやく正嘉に逢えたのだから!

 正嘉を目の当たりにした事により、奏の身体に変化が起きる。

 それは、発情によるオメガフェロモンの放出だった。

――――平凡で特徴の無い筈の奏が、最上級のオンナへと変貌する。

 瞳は潤み、声は甘く、肌は光り輝く。抱いてくれと誘う妖婦のように変化する。

 または、初夜に恥じらう乙女のように……。

 奏にとっては苦痛を伴う発情が、この時ばかりは、甘美なものと変わった。

(ああ、きっと……正嘉さまがいるからだ)

 運命を前にしているから、身体が幸せになる準備をしているのか?

『嬉しい、です――僕はずっと、あなたにお逢いしたかった』

「……」

『5年前は――ゴメンなさい。僕、変な事ばかり言って……でも、これからたくさんお話しましょうね。ああ、正嘉さまは随分と背が伸びて――大人におなりですね。僕は……』

「……け」

『はい? 』

「ここから出て行け! 」

 正嘉は、背後からのプレッシャーをヒシヒシと感じながら、口を開いた。

「ここは、お前のようなオメガが来る所じゃない! 早く出て行けっ!! 」

『し、正嘉さま……? 』

 予期していなかった拒絶に、奏は不安そうな表情を浮かべる。

『どうしたのですか? 僕はまた……何か失礼な事を言ってしまったのでしょうか? 』

 だって、運命の番の相手が、こんな事を意味も無く言う訳がない。

 きっとまた、自分は何か失敗をしてしまったのだろう。

『ごめんなさい――ああ、あの……お屋敷を伺う際は、もっとちゃんとした盛装にするつもりだったんですが……色々手違いがあって……見すぼらしいですよね……こんな、ずぶ濡れになってしまったし――』

 汚いから、屋敷には上げてもらえないのだ。

 奏はそう思い、悲しくなってしまった。

 でも、ガラス窓越しに、夢にまで見た正嘉がいる。

 奏は嬉しくなって、ガラスの向こうにむかって声を掛けた。

『正嘉さま――――あの、少しだけでいいですから……この窓を開けて、もっとよく声を聞かせてくださいませんか? 』

 どんどん強くなる雨のせいで、正嘉の声がよく聞こえない。

 耳にも容赦なく雨水が入って来るので、せっかくの正嘉の声が濁って聴こえてしまう。

『正嘉さま……』

 天使のように、妖婦のように、微笑む奏。

――――だが、

「出て行けって言ってるんだよ! この変態野郎! 」

 その怒鳴り声は、庭に立っている奏の耳にも、ハッキリと響き渡った。

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