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その瞬間、正嘉は一気に思い出した。
『――――こんにちは、僕は結城奏と申します。ここへは、正嘉さまの番となるべく参じました。今後はどうぞ、奏と呼んで末永く可愛がってください』
奏と名乗った少年は震える声でそう言い、緊張した顔へ無理に笑顔を浮かべて、正嘉に会釈をした。
――――しかしその時、正嘉はまだ8歳だった。
その頃、正嘉を取り囲む周りの大人たちは、実の母親へ対する彼の未練を絶ち切らせようと画策していた。
殊更に、どんなにオメガの男体が序列の最下位であるのかを繰り返し教え、徹底的に正嘉を教育していた。
それはある意味、洗脳に近かったろう。
まだ子供もいいところだった正嘉は、疑う事もなくそのまま周りの言う事を信じ、受け入れてしまった。
オメガの男体は、生産性の低い欠陥者だ。
『人鳥』などと自らを名乗り、ヒトの究極の進化形態と自画自賛しているが、全部デタラメで、インチキで破廉恥な連中だ。
発情すると、形振り構わず男のクセに尻を振り、尻に男を欲しがる底辺の生き物だ。
アルファやベータの男を狂わせるフェロモンを全身から発し、こっちの性欲を刺激して否応なく誘ってくる。
そんな、厄介極まる生き物だ。
不運な事に、その匂いに中てられた男達は、抗う事も出来ずにオメガの誘惑に応じ性の衝動に走ってしまう。
まったく、こっちはいい迷惑だ。
それでもたまに、その異様な性交によってオメガの男でも妊娠する事があるが、女体に比べるとその確率も著しく低い。
とはいえ昔は、オメガ自体数が少なかったから男体でも重宝されたのだが、薬の開発された今となっては、彼等はただの醜悪で下劣な下等生物だ。
故に、お前の母親もこの家から出した。
青柳ではもう今後二度と、オメガの男と婚姻する事を禁ずる。
これからは、優れた血筋のオメガの令嬢だけを選ぶのだ。
『―――分かったな、正嘉? 』
父親のその念押しに、正嘉は勿論分かりましたと答えた。
そして、その日の午後に、あのオメガの少年がここに連れて来られたのだ。
そうして、自分は――――仲良しになろうと微笑む少年へ向かい、ひどい暴言を吐いて、彼を置き去りにしたまま応接間の控えを飛び出した――……。
「……さぁ、どうなさいました、正嘉さん? 」
瞠目する正嘉を横目に、義母は笑みを浮かべる。
実は、彼女には分かっていたのだ。
――――彼女とて、奏と同じオメガだ。
ある程度は、匂いの相性を察知することが出来る。
5年前この屋敷を訪れたあの少年は、まだ発情期前であったが、微かに匂いは発散していた。
そして、嫌々ながらこの屋敷に一緒に住んでいる、青柳家の跡取りである生意気なこの義理の息子。
その、未成熟な青い匂い。
彼女は、その2つの相性が素晴らしくマッチングしていて――――そして、魂の番になるであろう運命を、5年前に既に感じていた。
故に、当時は殊更妨害した。
まず、彼女は、この生意気な義理の息子が大嫌いであった。
それに、まだまだ自分は現当主の番だ。子供を身籠るチャンスは幾らでもある。
ここで正嘉が次代の血に繋ぐ相手を見つけて、番の契約を結んでは困る。
だから、あのゴタゴタの末に、この屋敷へ住まうことになった奏をとことん苛め抜き、奏が耐え切れず逃げ出すように仕向けたのだ…………。
「正嘉さん、あの青年をここへ呼びましょうか? 」
彼女は、含み笑いをしながらそう訊ねた。
5年前と違い、今はもう彼女が妊娠する可能性は低くなっている。
何故なら、現当主である正嘉の父親が、気位の高い彼女に嫌気が差して彼女を遠ざけてしまったからだ。
離縁はしていないので依然として表面上は夫婦ではあるが、もうこの2年、褥(しとね)は共にしていない。
彼女の実家は財界で力を持っていたので、離縁まで踏み込むことはなかったが――――もはや、夫婦関係は完全に破綻していた。
現在は、青柳の体面を保つために『正嘉の義母』としてだけ、青柳家に必要とされている女だ。
正嘉の為に用意された、ただの額縁だ。
一応、それを受け入れて恭順してはいるが、やはり内心は面白いわけがない。
(こんな生意気な小僧に向かって、ニコニコ笑ってご機嫌取りなんか……どうして、この私がそんな真似をしなくてはならないの! )
どうにも我慢できなくて、彼女はどこかで意趣返しをしたかった。
それなら、これは留飲を下げるチャンスだ。
最早、自分は子を身籠る事はない。
正嘉に番が出来る事に、ビクビクする必要はない。
なぜなら、生まれもしない自分の子供の為に、それを牽制する意味が無くなったからだ。
ガチャ。
正嘉の部屋の扉が、ノックもされずに開いた。
「――――どうした、何故来ない? 」
「あなた……」
「揃いも揃って、いつまでも何をしている? 」
不機嫌な声に、彼女はサッと青ざめた。
それは、正嘉の父親である青柳正之だった。
「お前もグズな女だな。正嘉を呼んで来いと言ったのに、そのまま話し込んでいたのか? 」
「い、いいえ! そういう訳では……」
しかし、言い争いをする父母に視線を向けることなく、正嘉は窓の外に視線を向けたまま、微動だにしない。
『――――こんにちは、僕は結城奏と申します。ここへは、正嘉さまの番となるべく参じました。今後はどうぞ、奏と呼んで末永く可愛がってください』
奏と名乗った少年は震える声でそう言い、緊張した顔へ無理に笑顔を浮かべて、正嘉に会釈をした。
――――しかしその時、正嘉はまだ8歳だった。
その頃、正嘉を取り囲む周りの大人たちは、実の母親へ対する彼の未練を絶ち切らせようと画策していた。
殊更に、どんなにオメガの男体が序列の最下位であるのかを繰り返し教え、徹底的に正嘉を教育していた。
それはある意味、洗脳に近かったろう。
まだ子供もいいところだった正嘉は、疑う事もなくそのまま周りの言う事を信じ、受け入れてしまった。
オメガの男体は、生産性の低い欠陥者だ。
『人鳥』などと自らを名乗り、ヒトの究極の進化形態と自画自賛しているが、全部デタラメで、インチキで破廉恥な連中だ。
発情すると、形振り構わず男のクセに尻を振り、尻に男を欲しがる底辺の生き物だ。
アルファやベータの男を狂わせるフェロモンを全身から発し、こっちの性欲を刺激して否応なく誘ってくる。
そんな、厄介極まる生き物だ。
不運な事に、その匂いに中てられた男達は、抗う事も出来ずにオメガの誘惑に応じ性の衝動に走ってしまう。
まったく、こっちはいい迷惑だ。
それでもたまに、その異様な性交によってオメガの男でも妊娠する事があるが、女体に比べるとその確率も著しく低い。
とはいえ昔は、オメガ自体数が少なかったから男体でも重宝されたのだが、薬の開発された今となっては、彼等はただの醜悪で下劣な下等生物だ。
故に、お前の母親もこの家から出した。
青柳ではもう今後二度と、オメガの男と婚姻する事を禁ずる。
これからは、優れた血筋のオメガの令嬢だけを選ぶのだ。
『―――分かったな、正嘉? 』
父親のその念押しに、正嘉は勿論分かりましたと答えた。
そして、その日の午後に、あのオメガの少年がここに連れて来られたのだ。
そうして、自分は――――仲良しになろうと微笑む少年へ向かい、ひどい暴言を吐いて、彼を置き去りにしたまま応接間の控えを飛び出した――……。
「……さぁ、どうなさいました、正嘉さん? 」
瞠目する正嘉を横目に、義母は笑みを浮かべる。
実は、彼女には分かっていたのだ。
――――彼女とて、奏と同じオメガだ。
ある程度は、匂いの相性を察知することが出来る。
5年前この屋敷を訪れたあの少年は、まだ発情期前であったが、微かに匂いは発散していた。
そして、嫌々ながらこの屋敷に一緒に住んでいる、青柳家の跡取りである生意気なこの義理の息子。
その、未成熟な青い匂い。
彼女は、その2つの相性が素晴らしくマッチングしていて――――そして、魂の番になるであろう運命を、5年前に既に感じていた。
故に、当時は殊更妨害した。
まず、彼女は、この生意気な義理の息子が大嫌いであった。
それに、まだまだ自分は現当主の番だ。子供を身籠るチャンスは幾らでもある。
ここで正嘉が次代の血に繋ぐ相手を見つけて、番の契約を結んでは困る。
だから、あのゴタゴタの末に、この屋敷へ住まうことになった奏をとことん苛め抜き、奏が耐え切れず逃げ出すように仕向けたのだ…………。
「正嘉さん、あの青年をここへ呼びましょうか? 」
彼女は、含み笑いをしながらそう訊ねた。
5年前と違い、今はもう彼女が妊娠する可能性は低くなっている。
何故なら、現当主である正嘉の父親が、気位の高い彼女に嫌気が差して彼女を遠ざけてしまったからだ。
離縁はしていないので依然として表面上は夫婦ではあるが、もうこの2年、褥(しとね)は共にしていない。
彼女の実家は財界で力を持っていたので、離縁まで踏み込むことはなかったが――――もはや、夫婦関係は完全に破綻していた。
現在は、青柳の体面を保つために『正嘉の義母』としてだけ、青柳家に必要とされている女だ。
正嘉の為に用意された、ただの額縁だ。
一応、それを受け入れて恭順してはいるが、やはり内心は面白いわけがない。
(こんな生意気な小僧に向かって、ニコニコ笑ってご機嫌取りなんか……どうして、この私がそんな真似をしなくてはならないの! )
どうにも我慢できなくて、彼女はどこかで意趣返しをしたかった。
それなら、これは留飲を下げるチャンスだ。
最早、自分は子を身籠る事はない。
正嘉に番が出来る事に、ビクビクする必要はない。
なぜなら、生まれもしない自分の子供の為に、それを牽制する意味が無くなったからだ。
ガチャ。
正嘉の部屋の扉が、ノックもされずに開いた。
「――――どうした、何故来ない? 」
「あなた……」
「揃いも揃って、いつまでも何をしている? 」
不機嫌な声に、彼女はサッと青ざめた。
それは、正嘉の父親である青柳正之だった。
「お前もグズな女だな。正嘉を呼んで来いと言ったのに、そのまま話し込んでいたのか? 」
「い、いいえ! そういう訳では……」
しかし、言い争いをする父母に視線を向けることなく、正嘉は窓の外に視線を向けたまま、微動だにしない。
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