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「それでは約束が違います! 」

 ヒステリックな声に、奏はビクリと肩を震わせる。

 しかし、姿勢は崩さず、あくまでエレガントに、ソファーへ端然したまま、人形のように微笑む事を続ける。


 奏の視線の先には、あの『正嘉さま』が腕を組んで仁王立ちしているのだから。


(僕も、正嘉さまに倣って立った方がいいのかな……)

 口許へ笑みを刷いたまま、隣に控えている侍従に向かい、そっと視線を送る。

 だが、こちらは一切表情を変えることなく、冷たい氷の彫像のように佇むだけだ。

(どうしよう……)

 母とこの屋敷へ来て、奏だけがこの居間に通された。

 しかし、母と青柳当主である遼太郎さまは、すぐ隣の部屋で何事か話し合いを始めたらしい。

 その声が、壁一枚隔てたこちらまで聞こえてくる。

 とても友好的には感じない雰囲気に、奏はどうしたものかと不安であったのだが、母から『ここで大人しく待っていなさい』と言い付けられ、動けないままずっと座っていた。

 そうしていたら、いきなりドアが開いて、初めて見る実物の正嘉さまが姿を現した次第だ。

(毎年写真を頂いて見ていたけれど――――正嘉さまって、まだ八歳なんだよね。でも、将来は僕より大柄になりそうだな……)

 背丈も肩幅も、今はまだ奏よりずっと小さいが、骨格がしっかりしているのでこれからどんどん成長しそうだ。

 そして今日から、この人の番になるのだ。


――――多分、まだ先になるだろうけど。


 奏は微笑みを浮かべたまま、主人となる正嘉へ会釈をする。

 そして勇気を出して、声を掛けてみた。

「――――こんにちは、僕は結城奏と申します。ここへは、正嘉さまの番となるべく参じました。今後はどうぞ、奏と呼んで末永く可愛がってください」

 これで良いはずだ。

 昔から、口上は端的にまとめた方が印象が良いから、あまりベラベラ喋るなと教育されている。そして、ニッコリと笑った後は、深々と頭を下げるまでがセットだ。

「僕は、今年で十八になりました。正嘉さまより、十歳年上になりますね。まだ僕は発情期は来ていませんが……僕はオメガですから、近い内に必ず発症するでしょう。その時が来たら、大人になった正嘉さまと直ぐ番える様に、このお屋敷へやって参りました」

 本来なら、発情期を迎え発症した段階になってここへ来る筈であったが、何やら段取りが狂ったのか、妙に、母をはじめとする結城の家の者たちに追い立てるように、奏はここへ連れてこられた。

 今までにない強引さに不安は感じるが……しかし、子供の頃から優雅にエレガントに貴婦人のように育てられてきた奏には、イマイチ現在周りを取り巻く『危機』『暗雲』『異変』という状況が理解できない。

 彼は理解できないまま、ここへ引き出され、そして練習通りに微笑んでいる。

「あの、正嘉さま……」

――――何か、お言葉を賜りたいのだが。

 そういった事をこちらから言うのは、はしたない事なんだろうか。

 どうすればいいのか……会話を続けた方いいのか、それともやはり自分も立った方がいいのか。

 正解の分からない奏は、内心かなり困惑しながらも、微笑む事だけは続ける。

 だが、正嘉はそんな奏の顔を見て、フンっと鼻を鳴らした。

「……お前が、アルファであるオレの番になる為に、わざわざ用意され育てられたオメガねぇ」

 まだ、子供特有の甲高い声だ。

 しかし、その物言いにどこか皮肉気なモノを感じ取り、不安を強くしながらも、奏は微笑みは絶やさない。

「はい、そうです。どうぞ、僕の事は奏とお呼びください。よろしくお願い致します」

「どんな美人が来るかと思ったが、とんだ期待外れだな」

(えっ……? )

 戸惑う奏を見て、正嘉は嘲笑う。

「オメガが死ぬ奇病が流行ったのは、もう十五年も前だ。その間に薬が開発されて、とっくにオメガは順調に数を増やしている」

 それは、耳にした事がある。

 でも、自分とは関係ないはずだ。

 なぜなら、奏は子供の頃から特別のオメガとして高い教育を受け、正嘉のような名家へ嫁ぐ為だけに育てられたのだから。

 そこらの、庶子のオメガとは、一緒ではない筈だ。

(何か、勘違いをなさっているのかもしれない――――きちんと、正嘉さまに説明しなければ)

「正嘉さま――」

 自分の生い立ちを詳しく説明しなければと、奏は思う。

 彼は、微笑みを絶やさないよう気を付けながら、口を開きかけるが――――。

「オメガがチヤホヤされた時代はとっくに終わったって、皆言ってるぞ」

 遠慮のない正嘉のセリフに、奏は思わず口を閉ざしてしまう。

(……どうしたらいいんだろう? 主人の言葉を遮ってまで、自分の事を喋るのは……見苦しくてはしたない行いなんだろうか? )

 困惑する奏であるが、微笑みだけは徹頭徹尾絶やさない。

 辛くても悲しくても、それを決して感情として表に出してはならない。

 常に愛らしく微笑み、大人しい淑女の様に、可憐に振舞う事。

 それが、幸せになる為の条件だと教え込まれたから。

 でも…………これだけは訊いてみたい。


 確認しておきたい。


「正嘉さまは――僕がお嫌いですか? 」

 すると、少年はフンと鼻を鳴らして返答した。


「お前なんか好きなワケがないだろうが。バッカじゃないのか? 」


 その言葉を受け、奏の顔に張り付いていた笑顔の仮面に、微かなヒビが入った。

 だが、だからといって奏は取り乱したりはしない。

 それはとても見苦しいし、忌避される醜態だと教育されている。

 だから奏は、静かに何度か呼吸を繰り返して気息を整えると、微笑みを絶やさぬまま優しい口調で問い掛けた。

「――――それは、僕の容姿が原因ですか? 」

「はぁ? 」

「先ほど…………美人ではないとおっしゃってましたから…………」

 奏の容姿は、それほど悪くはない。

 しかし、そんなに優れているワケでもない。

 ようするに、十人並みなのだ。

 身体も、モデルの様に八頭身なワケでもない。

 日本人らしい、普通の中肉中背の、平均的な十八歳の男性の身体だ。

 顔も目立って特徴は無く、低い鼻に小さな唇、二重の眼。小さな顎。

 いかにも日本人といった、平坦な顔をしている。

 とても絶世の美貌とは言えないだろう。

「――――この顔がお嫌いでしたら、如何様にも整形して――――お好きな顔へ変えますよ? 」

 奏はそう呟き、正嘉に微笑み掛ける。

 すると、正嘉は気持ちの悪い虫でも見るような顔になり、

「お前、本当に気持ちが悪いな」

 と、言った。

 これには流石に、奏も凍り付く。

 未来のつがいとして、彼に好かれる為にと良案を提案したつもりだったが……自分は、何か間違ってしまったのだろうか?

 それまで嫋やかな微笑みを絶えず浮かべていたが、初めて奏の表情は変わった。

 きっと、自分は何かミスをしてしまったのだ。

 正嘉は、まだ八歳の子供だ。

 そんな子供相手に、好きなように整形するというのは余りにも生々しかったか?

「あの、正嘉さま――」

 何か、言い訳を考えなければ。

 今の失態を誤魔化して、どうにか挽回しなければならない。

 正嘉に気に入られ、この家に受け入れられ、やがて子供を産んで――そうしなければ、奏の存在意義はない。

 オメガは、そうでなければ幸せになれない。

 今まで散々、何百何千と言われてきた言葉だ。

「今のは――――じょ、冗談ですよ。僕は正嘉さまと仲良くなりたくて、下らないウソをついてしまいました」

 何とかそう言い繕い、微笑みを浮かべようと努力する。

 しかし、思ったように笑う事ができない。

 奏は、今度は青ざめた顔を誤魔化すために、サッと下を向いた。

 そうして俯きながら、どうにか言葉を絞り出す。

「――――正嘉さまのお好きな事を、教えてください」

「好きな事? 」

「何でも良いんです。スポーツでも、本でも。お勉強でも。僕も、あなたと同じものを好きになりたいから…………急に番なんて言っても、正嘉さまには難しいですよね。だから、僕たち…………まずは、お友達になりませんか? 」

 そう言うと、正嘉はしばらく考えた様子になり「ふ~ん」と声を漏らす。

 奏はずっと俯きながら、小さく震え、次の言葉を待っていた。

 しばらくの沈黙の後。

「――いいだろう」

 そう、声が返ってきた。

 正嘉の言葉に、奏はホッとして顔を上げる。

 どうやら、今、口にしてしまった失言は何とか挽回できたか?

「正嘉さま――」

 だが、笑顔を向けた先には、冷たい目をした少年が皮肉気にこちらを睥睨へいげいしている姿だった。

 恋人は勿論、友人に対しても、普通はそんな視線を向けないだろう。

 しかし、奏は構わずに微笑みを浮かべる。

――――それ以外の方法を、彼は知らないのだから。

「それでは……僕とお話をしましょう」

「話しって、お前とか? 」

「――ええ、そうです。いっぱいお話をして、お友達になりましょうね。僕の隣へ来て、一緒に座ってお喋りしませんか? 」

 ソファーに座っていた位置をそっとずらして、隣のスペースを空ける。

「さぁ、どうぞこちらへ」

 ニッコリと笑って、誘う。

 相手を嫌味なく誘う仕草や方法は、事前に何度となく実家で練習させられた。

 露骨過ぎてもダメ。ましてや縋ってせがむのは、はしたない。

 命令口調は尚の事御法度。

 程々に愛想よく、笑顔を絶やさず、相手を上手に誘うのだ。

 鏡を相手に、女中や教師に監視されながら何度も練習した。

「僕たち、一番の仲良しになりましょうね」

 シミュレーションでは、これで相手は自然に、奏の誘いへ乗るはずだった。

――――だが、練習通りには行かなかった。

「やだよ、バーカ」

 最後にそう言い捨て、正嘉はパッとその場を駆け出して去って行ったのだ。

(えっ……!? )



 奏は、もうどうすればいいのか分からず、ただ阿呆のように――――日が暮れるまで、そこへ座り続けたのであった。


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