彼が恋した華の名は:4

亜衣藍

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「社長、どうぞこちらへ」

 秘書の真壁が、どこか嫌悪感を滲ませながら素早く車のドアを開けた。
 まるで、何か・・から聖の注意を逸らそうとしているかのようだ。

「雨が降り出しそうです。せっかくのお召し物が濡れては……お早く」
「車なら関係無いだろう」

 分かり易い真壁の態度に苦笑しながら、聖はその背後へ視線を向けた。
 するとそこには、無頼漢のような男が路上にべったりと座り込んでいた。

 物乞いか当たり屋か?
 きっと、高級車が停車したのを良い事にタカろうとしたのだろう。

 どうやらその目的を達成する前に、真壁に一発喰らったらしい。
 幸いなことに、人通りの無い薄暗い路地だったので、目撃者はいないようだが。

「……真壁。正当防衛にしても、一般人相手にマズいんじゃないのか」
「ただの、質の悪い酔っぱらいです。相手にするだけ無意味です。さぁ、どうぞ」

 後部座席へと誘う真壁に頷き返しながら、聖は車内へと身体を入れようとしたが。

「――holy」

 微かな、本当に消え入りそうな声が、聖の鼓膜を揺らした。
 その声に、聖の足はピタリと止まる。

「社長?」
「……」
「どうしました? お早く――」
「今夜は送らなくていい。おまえはこのまま引き上げろ」

 突然の命令に、真壁は驚いた。
 だが聖は、強い声で命令を下す。

「車はお前が使え。明日、また連絡する」
「しかし、聖さんっ」

 困惑したような真壁を、聖はキッと睨みつける。
 有無を言わせぬその碧瑠璃の眼差しに、真壁は不承不承といった様子で従った。

 走り去る車を見送り、聖はゆっくりと視線を路上へ戻す。
 そこには、あの無頼漢が座り込んだままだった。

 いつ着替えたのか分からないようなグシャグシャの服に、伸び放題の髪。
 風呂にも入ってないのか、えた匂いまで漂っている。
 完全に、ホームレスのような風体だ。
 大抵の者が不快気に目を逸らすか、気の毒そうに傍観するかの二つに別れるだろう。

 だが聖は、この男の事を知っていた。

 世界広しと言えども、聖の事をhollyと呼んだのは、過去に一人しかいないのだから。
 珍しく緊張しながら、聖は口を開いた。

「――――あんた笊川ざるがわ多生たお、か?」

 まさかと思いながらそう訊ねた聖に、少しして声が返って来た。
 酒焼けして潰れたような声は、かつて聴いた声とは違っていたが。
 それでも、独特の抑揚を交えた声は忘れられる筈がない。

「久しぶりだな、holy。昔みたいに、ターさんって呼んでくれよ」

 それを聞き、聖の身体に頬に朱が浮かんだ。
 そして、目頭も熱くなる。
 何度、その名を呼んだ事かと。

「ターさん……」
「なんだ? 泣きそうな顔して」
「だって、あんた……今までどこに……」
「心配してくれていたのか、holy?」

 それを聞き、聖は泣き笑いのような顔になった。

「聖って呼んでくれって言ったの、忘れたのか?」
「呼び辛いんだよな」

 多生は、濃い緑の瞳を瞬かせながら、優しく笑んだ。
 そうして、ゆっくりと唇を開く。


「聖……会いたかった」

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