公爵家の次男は北の辺境に帰りたい

あおい林檎

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二章 士官学校

マールのおつかい②

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マールはキヴェの町の公証案内人に最年少で合格した、いわゆる商人の卵だ。

彼の実家はキヴェでも有数の商家で、父親はキヴェの中心の大広場沿いに店舗を抱える大店の主人である。当の両親は国内外の珍しい品物を求めて、彼が物心つく頃には世界中を旅しておりほとんど顔を合わせることはない。
マールは、店を預かる番頭と叔父であるエズラに育てられたようなものだ。

仕事で忙しい彼らを幼い頃から見ていたマールは、金勘定が得意な子供だった。
番頭のつける帳簿を眺めるのが何より楽しく、文字や計算の勉強が好きなちょっと変わった甥に、10歳の時に公証案内人の試験を勧めたのはエズラだ。

キヴェの町は北の辺境の入り口であり、近場に資源や農地が乏しい立地ということもあって昔は王都の衛星都市の中でも貧しい町だった。
そこに逆に目をつけたのが、王都の商人たちである。

人口が増えすぎて飽和状態だった王都から、彼らはキヴェに入植し、何代もかけて流通のための街道を整備した。
北の辺境地への玄関口でもある立地を活かして商人たちの拠点を作り、そのうちに商業組合の本拠地がキヴェへと移設されたことを機に、この町は商業都市として栄えるようになった。

最近では観光にも力を入れており、昔と比べて大きくなった町では商人たちがしのぎを削る。

そのためキヴェでは商人の子息は登竜門として、まずは公証案内人になり商売について学んでいく。公証案内人になるにも、文字の読み書きや帳簿の付け方、身分の高い相手に失礼にならないための行儀作法など、商家の見習い以上の厳しい試験があった。

めでたく公証案内人になってからは、ひとりで稼ぐ実地訓練である。
当然、案内した相手や紹介先の店や宿屋から紹介料がもらえなければ稼ぎはなく、子供たちには厳しい現実が待っている。
途中で心が折れて辞めていく子供も多いが、一握りの子供たちは自分ひとりで稼ぐことの楽しさを覚え、商人への第一歩を歩んでいくことになる。
そして、年齢の上限である18歳になると公証案内人を卒業していくのだ。






「やべ、王都にいくなら今月分の帳簿の提出を終わらせとかなきゃ」

マールは独り言を言いながら、王都行きまでにしなければいけないことを考えていた。
公証案内人には毎月の帳簿の提出と、稼ぎに応じた税金の納税義務があった。
彼は真面目に毎日帳簿をつけているから、後は税金の計算だけで済む。



そんなことを考えながら歩いていたら、あっという間に骨董通りを抜けた。
角を曲がったところに、赤い屋根の店が現れる。
店の硝子窓から、綺麗に並べられたチーズが見えた。

「こんにちは」

マールがチーズ屋の扉を開けると、カラコロと呼鈴が鳴る。

「あら、いらっしゃい。今日はひとりなの?」

チーズ棚に商品を並べていた店員が彼に気づいて手を止めた。
蜂蜜色の髪をした、マールより少し年上の店員はここの看板娘だ。
にっこりと笑顔で歓迎する。

「うん。今日はお客さんの案内じゃなくて、おつかい」

そう言いながら、マールは布袋から小包を取り出した。

「女将さんはいる?叔父さんから預かってきたんだけど」

「母さんなら、裏にいるわ。ちょっと待ってて」

「うん、ありがとう」

そう言って店員の少女は店の裏へと入って行った。
店には他に客もおらず、マールひとりだけだ。

並べられたチーズを眺めていると、店内に充満したチーズの香りに、ついつい食欲をそそられながら昼食がまだだったことを思い出す。

「きれーなチーズだなぁ」

店内の壁に沿って置かれた木棚には黄色味を帯びた牛乳のチーズが並び、店の中央の硝子製のチーズ棚には、白いチーズが大事そうに置かれている。
貴重な羊乳で作られたそのチーズを見て、マールは思わずそう呟いた。横に置かれたラベルを見ると、コンバルー産の羊のチーズと書いてあった。

「これひとつで幾らするんだろう」

ラベルには、堂々と「時価」と書かれている。
以前、このチーズを両親が土産にと買ってきてくれて味見をする機会があった。子供には贅沢品だが、経験が財産になると考えている両親は、出先で色々な物を見つけてはマールにお土産として持ち帰ってくれる。
その時に食べたコンバルー産のチーズがびっくりするほど癖がなく、まろやかな味わいだったことを思い出しながら、マールは棚に張り付くように真っ白なチーズを見ていた。

できればまた食べてみたいが、そんな機会はしばらくないだろう。






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