35 / 60
二章 士官学校
アマーリエとソフィア⑥
しおりを挟む「はぁ、なんだか疲れちゃったわ」
ひとしきり長い話を終えたアマーリエは、脱力してテーブルに両肘をついた。
「行儀が悪いわよ、アマーリエ」
ソフィアに窘められるが、アマーリエは気にする様子もない。
「まだ貴女の魔法の効果があるんでしょう? 誰も気付いていないわ」
ソフィアの魔法は盗聴防止とともに認識阻害の効果を持つ。
周囲の人間からはどうせ見えていないようなものなんだから、と言われソフィアは呆れ顔だ。
「ソフィアはずっと王都育ちでしょう? 何か最近気になることはある? 」
アマーリエは悪びれる様子もなく、そのままの姿勢から上目遣いでソフィアに聞いた。
「そうねぇ…。さっきの話を聞いたからと言うわけではないけど、やっぱり帝国の人間が増えてきたと思うわね。ここ最近は国交も正常化してしばらく経つし、帝国商人と貴族の出入りは多くなってきているわ。…だからか知らないけど、王都への道程で魔物に襲われる人も増えていると聞いたわ」
「魔物? 」
「ええ。帝国から王都までは北の辺境を通るでしょう? 山越えには危険が多いから、通る人数が増えたことに比例しているだけじゃないかって言われているけれど」
帝国側から王都までの道程は中々に過酷だ。
北の辺境地は国内でも魔物が多い地域で、その個体もそれぞれがかなり強大である。
生きて王都に辿り着くには、護衛の同伴が必須だ。
「確かに護衛依頼は多いわね。私は助かっているけど」
アマーリエは小遣い稼ぎに王都周辺での護衛任務をしている。
帝国商人たちに同伴してきた護衛たちは、多くがキヴェでその任務を終える。キヴェを境に、彼らの護衛を王都を拠点としている護衛たちに引き継ぐのだ。
帝国の護衛たちは、そのままキヴェから帝国へ帰国する商人たちに雇われて帰って行く。
「帝国からついてきた護衛の装備って、辺境越えのために揃えているから、キヴェから王都までの護衛には向かないのよ。いったんキヴェで装備を平地用に変える必要があるんだけど、大変でしょう? だから、彼らの仕事はそこまでなのね」
帝国の護衛たちは、北の山越えに合わせて装備を備えている。
そして、一番魔物に遭遇するのがその山越えだ。
「キヴェから王都まではほとんど魔物は出ないわ。どっちかと言うと、強盗を警戒しているわね」
そのため、魔物に遭遇して苦労をするのは、殆どが帝国の護衛たちだ。
「最近は魔物を警戒して、帝国が国を挙げて商人を支援しているそうよ」
ソフィアがアマーリエの話を聞いて、納得したように答えた。
この国の自由商人とは違い、帝国出身の商人はそれぞれに貴族の後ろ盾を必ず持つ。
彼らの命を受けて商売をしているという点では、平民とはいえ商人自体も油断ならない相手だ。
ここ10年ほどで情勢は随分と変わった。
派遣されている外交官だけではなく、商人を抱える帝国貴族たちが自主的に王都の二の郭や三の郭に居を構えるようになり、王都は以前よりも賑わいをみせている。
人の行き来が増えたことで商業地区は活気に溢れ、異国の品々も容易に手に入るようになった。
「最近は帝国との関係も良好だし、帝国の人間が増えていても特に不自然な点はないのよねぇ」
「ええ、そうね。貴族の交換留学も行われているわよ」
「平和なのが一番。何も起こらないなら、それに越したことはないわ」
アマーリエは少し感傷的な声音でそう言ってから、窓の外を見た。
窓越しに南の塔と士官学校の外壁を眺めながら、彼女は続ける。
「ジェイデンは士官学校を卒業したらさっさと北に帰るつもりみたいだし、このまま何事もなく3年が過ぎることを祈っているのだけど」
ほぅ、と小さくため息が漏れる。
楽観的な考えだが、そうなればきっといい。
彼は王都での立身出世には興味がないと言っていたのだから。
そう言うアマーリエに対し、ソフィアは同意しながらも口を開いた。
「水を差すようだけど、難しいと思うわね」
リリーアがどう出るかはまだわからない。
恋の相手として貴族の令嬢たちが放っておかないだろう。
入り婿としてもロンデナートとの繋がりがほしい相手には都合が良く、引く手は数多なはずだ。
すぐに思いつく事案だけでも、面倒な事この上ない。
「それよね、そこはもう自分でなんとかしてもらうしかないわね」
予備学校時代の苦労を思い出し、投げやりな事を言うアマーリエに、ソフィアはくすりと笑った。
口ではそう言いながらも、放って置けない性分なのは自身で気付いているのだろうか。
「王都の社交界って、ほんとに魔窟よ。関わり合いになりたくない」
心底嫌そうにアマーリエが言い放った。
しかし、小身貴族の彼女はともかく、ジェイデンやソフィアはその世界からは逃れられない。
それを理解しているソフィアは、駄々っ子を宥めるようにアマーリエに言う。
「シェイデン様もわかっていらっしゃるわよ。ロンデナート家主催の宴にはリリーア様もいらっしゃるでしょうけど、欠席は許されないのよ」
返事の代わりにむくれた顔をするアマーリエに、ソフィアが諭すように続けた。
「リリーア様は今も帝国と太い繋がりがあるし、王宮も彼女を無視できないの。降嫁したとはいえ、王都の貴婦人の中では王妃様に次ぐ権力を持っていらっしゃるもの」
そう言いながら、ソフィアは先日見かけたリリーアの姿を思い出す。
彼女が着ていたのは、入手困難な紅絹の生地で仕立てられた異国風のドレス。
その見慣れない美しさに夢中になった取り巻きのご婦人方が、自分も欲しいと帝国商人の所へ殺到したと噂で聞いた。
その前は帝国産の緑柱石の輝くネックレス。そして真珠の耳飾り。
彼女が披露した品々は瞬く間に人気となり、王都で流行する。
最近の帝国商人の台頭は、彼女の功績に依るところが大きいとソフィアは考えていた。
彼女が意図して行なっている事なのかは、まだはっきりとわからないが。
「まあ、今から考えていても仕方ないわよ。ジェイデン様は北に帰りたいんでしょう?ロンデナート家にはご兄弟もいらっしゃるし、お忙しくて意外ともう興味が失せているかもしれないわよ」
シェイラが亡くなってから、ジェイデンとリリーアが顔を合わすことは一度もなかった。
お互いに北と王都に離れて暮らすことになってからは、交流も途絶えていたと聞いている。
「そうね。私も先入観を持ちすぎていたかもしれないわ。ベイルート様とジェイデンの仲が良かったのも初めて聞いたしね」
「子供の頃の話ね。私の記憶では、ベイルート様はジェイデン様のことをすごく可愛がってらっしゃったわよ」
ジェイデンから兄については一度も聞いたことはない。
そもそも彼は自身の境遇や家族について自ら語ったことはないのだ。
アマーリエは、少し反省した様子で自身を振り返る。
「周りの話を聞いて、少し過剰になっていた所もあったかもしれないわ。やっぱり私は北の人間だから、シェイラ様に肩入れしてしまう所があるの」
少し落ち込んだ様子の友人に、ソフィアは何も言わず微笑んだ。
様々な人間関係が交錯しているが、これはいわば戦争の弊害だ。
見る立場が変わると、簡単に善悪が入れ替わる。
(…でも、きっとそんなことは綺麗事ね)
外交的に考えても仕方のないことだ。友人のために感情的になってしまうのは、むしろ人間的ではないのかとソフィアはアマーリエを見る。
ベイルートの名前をきっかけに、話題を逸らそうと、わざと今思い出したかのように口を開いた。
「そろそろ、ジェイデン様はベイルート様と中央寮で面会されている頃ね」
窓から見える南の塔の時計は、ちょうど三の刻を示している。
ロンデナート兄弟は再開を果たしている筈だ。
「ベイルート様とソフィアは親しいの? 」
アマーリエの問いかけに、ソフィアは首を横に振る。
「一方的にお見かけした事があるだけよ。ロンデナートの嗣子だもの。簡単にお近づきになれる方じゃないわ」
カルテス家は伯爵家である。
防衛魔法術に長けた一族として政治に携わることも多いため、王都では準侯爵のような扱いを受けているが、家格としてはそれほど高位ではない。
「私も付き合いで社交界には顔を出すけど、ああ言う場所はあまり好きではないの」
ソフィアがそう言いながら、少し遠い目をして呟くように言った。
カルテス家は、王国中の貴族の弱みを握っていると噂をされている。
実際にはソフィアが知っている事などほとんどないのだが、その噂が一人歩きをしてしまい、彼女が微笑んで立っているだけでも、心にやましい事がある者は慌てて逃げていくのだ。
ソフィアが社交場が嫌いになっても仕方がない。
「…そうだったわね、ごめんなさい」
藪蛇だったとアマーリエは内心焦りながら謝った。
「いいのよ…あら、魔法が切れるわ」
2人の周りが陽炎のように一瞬ぼやけ、波紋が広がるように周囲へと溶け込んでいく。
その直後から他の客の話し声が一際大きく聞こえてきて、アマーリエは目を丸くした。
「周りの声も聞こえにくくなっていたのね。気づかなかったわ」
「ふふ、上手くできた魔法でしょう。…お話はここまでにしましょう」
「そうね。あの兄弟のことは気になるけど、私たちが関わることではないわね」
誰とはわからないようにそう締めくくって、2人は顔を見合わせて笑った。
150
お気に入りに追加
2,471
あなたにおすすめの小説

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~
紫鶴
BL
早く退職させられたい!!
俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない!
はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!!
なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。
「ベルちゃん、大好き」
「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」
でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。
ーーー
ムーンライトノベルズでも連載中。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

悪役令息の死ぬ前に
やぬい
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」
ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。
彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。
さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。
青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。
「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」
男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。
僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!
黒木 鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。

不幸体質っすけど、大好きなボス達とずっと一緒にいられるよう頑張るっす!
タッター
BL
ボスは悲しく一人閉じ込められていた俺を助け、たくさんの仲間達に出会わせてくれた俺の大切な人だ。
自分だけでなく、他者にまでその不幸を撒き散らすような体質を持つ厄病神な俺を、みんな側に置いてくれて仲間だと笑顔を向けてくれる。とても毎日が楽しい。ずっとずっとみんなと一緒にいたい。
――だから俺はそれ以上を求めない。不幸は幸せが好きだから。この幸せが崩れてしまわないためにも。
そうやって俺は今日も仲間達――家族達の、そして大好きなボスの役に立てるように――
「頑張るっす!! ……から置いてかないで下さいっす!! 寂しいっすよ!!」
「無理。邪魔」
「ガーン!」
とした日常の中で俺達は美少年君を助けた。
「……その子、生きてるっすか?」
「……ああ」
◆◆◆
溺愛攻め
×
明るいが不幸体質を持つが故に想いを受け入れることが怖く、役に立てなければ捨てられるかもと内心怯えている受け

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる