あの空へとけゆくバラード2

衣夜砥

文字の大きさ
上 下
20 / 63
腕いっぱいの花束に、胸いっぱいの恋歌を

p20

しおりを挟む
 今年の四月に入学してから、ぼくは暇さえあれば宗太とつるんでいるのだから、彼女にとってそれなりに顔見知りのはずだ。でもぼくが男という立場から、きっと彼女の中でのぼくへの理解は宗太の友人という端役に過ぎない。実際今も、なんでぼくからこんな頓珍漢な質問を受けねばならないのか、よく分からないとでも言いたげな、たいそう間の抜けた顔をしている。
「あ・の・ね。なんで宗太のことを、パパって呼ぶのかって、ぼくは訊いてんの。分かる?」
 女の反応の悪さにいらいらしながら、ぼくは質問を繰り返した。
 質問の意図を解したのか、栗毛は視線の先を宗太の横顔に移す。瞳孔の色があっというまに濃くなった。
 ――まあ、なんと分かりやすい。
 ぼくは呆れ、また一方で、こんなふうにあからさまに気持ちを露出できる無邪気なこの女を羨ましく思った。
 栗毛は宗太の横顔にしばし見惚れた後で、恥ずかしそうに俯いてもごもごと唇を動かす。
「え…? だって…。高橋君ってさ、なんか落ち着いてるしぃ、優しいしぃ、背も高くて、イケメンでしょ? それに、頼りがいがあって、めっちゃ親切だし。こういう人が自分のパパだったら、すっごくありがたいなあって、普通、そう思うじゃない?」
 頬を紅潮させて褒めまくる。
 ああ、そんなこと、ぼくが一番よーく知ってるよ。
 そう言いたくなるのをぐっとこらえた。なんともいえないやさぐれた気分になる。
 ――て。
 「自分のパパ」?
 何様だよ、ふざけんな。
 底意地悪くぼくはせせら笑った。
「は? なにそれ、ぜんぜん答えになってない。あんたの言うパパって、どんな男を想定してんの? 父親? それとも尻軽なJKみたいに、パパ活対象者? つまり貢がせ系? あんたは宗太の同級生なんだろ? どっちにしろ、パパって呼ぶのなんか、すごく変じゃね? じつのとこさ、あんたの目的はなんなのよ」
 さらなるぼくの怒涛の質問攻めに、女が目をぱちくりさせる。
「いやに絡むな、今日は」
 宗太が苦笑しながらぼくをからかう。女は気分を害されたようだった。
「パパなんて、単なるあだ名よ。当り前じゃない。うちのクラスの女子はみーんな、高橋君をそう呼んでるんだから。親しみやすくていいあだ名だねって、みんなそう言ってるよ」
 唇を尖らせて睨んでくる。その目が、部外者は黙ってなさいよ的な、あんたみたいな端役の出番じゃないのよ、とでもいいたげな上から目線を孕んでいるので、ぼくの口の中がじわりと苦くなった。
 自分の馬鹿さ加減が腹立たしい。
 なんでぼくはあのとき、宗太の言う通りにしなかったのだろう。宗太が口にするのはぼくのためになることばかりなのに。
 あれは、合格祝いにと熱烈に抱いてくれた夜だった。
 コトの後で息を切らせているぼくをあたたかな腕で包み、しっかりと抱きしめて労わってくれた宗太はごく自然に、そして真摯に、これ以上ないくらいに優しくぼくの耳元でとろりと囁いてくれたのだ。「大学では俺たち、カミングアウトしような」…って。
  そんなふうに宗太が考えてくれただけで、ぼくは嬉しさのあまりのぼせあがってしまった。それはぼくの想像をはるかに超えた、偽りのない、まっすぐで実直な愛情表現だった。両腕を埋め尽くす花束を貰ったみたいな、サプライズのような幸せだった。
 ただただ心にかぶさってくる幸福の大波にうっとりと酔いしれたぼくは、ホワンとした気分のまま、
「そんなことしなくていいよ…。あんたとこうしていられれば、ぼくは最高に幸せなんだから…」
 などと呆れるほど愚直な返答をしてしまったのだ。宗太はちょっと残念そうだった。
 ぼくは舌打ちを隠せなくなった。こんなことならあのとき、素直に同意しておけばよかったのだ。そうしたら、こんな女、わけなく撃退できたのに。
「本人の了承なしにセンスのないあだ名を付けるって、ただの嫌がらせじゃね? どんだけ図々しいの、あんたら」
「え…?」
 と、ぼくの遠慮なしのつっこみに、栗毛はたまらなく動揺したようだった。
「パパなんて呼ばれて喜ぶ大学生が、どこにいんだよ、バカじゃねーの?」
 そんな女に、ぼくはためらいなく追い打ちをかけた。
「高橋君…。パパってあだ名、嫌だった?」
 上目遣いで、おずおずと女が訊く。本命だけあって本気で不安になったんだろう。
「おっせーんだよ、当人に訊くのが。ホント頭悪ィな」
 ぼくは、けっと言葉を吐き捨てた。
 高校の一時期に不良まがいなことをしていたので、この手のセリフは蛇口をひねられた水道水のごとくさらさらと出てくる。あまりにすぎると宗太が窘(
《たしな》めるくらいには、たやすく出てくるのだった。
「まあ。でも慣れちまったからな」
 宗太は少しも怒っていない様子で、屈託なく答える。いっそ立ち直れないほど厳しい言葉を投げかけてやりゃいいのにと、ぼくは少し不満だった。
 こういうときに良いも悪いも断定しないのが、この人の「たらし」なところだ。こっちは煙に巻かれたようで、内心もやっとしても、なんとなく許してしまう。悔しいけれどこれは生まれながらの才能に相違ない。宗太には「たらし遺伝子Trs-gene」とかがあるのだ、きっと。
「さあさあ。予約もあることだし、人数、ちゃんと決めないとだから。本当に来てくれる、パパ?」
 ストレートロングが再度確認する。
 宗太がぼくに視線を流して、意見を求めてきた。
 …うん、そうだね、分かってる。
 今夜は、おばあさんが町内会の旅行で外泊ってことで、二人きりの「おうち焼肉」で存分に飲もうって約束していたんだよね。もちろん、その後にひかえる「お楽しみ」だってある。それを気にかけてくれているのだった。
 でも正直、こちらはたいした用事じゃない。おばあさんは親戚の集まりで泊まりに行ったりとお出かけも多い人だから、「おうち焼肉」は別に今日でなくてもいいのだ。なんといってもぼくたちは一緒に暮らしているのだし、時間と余裕だけはたっぷりあるのだから。
 ぼくと宗太の本当の関係は、宗太と親しいごく一部の友人たちしか知らない。その友人の一人、三上さんがたまたま脇の通路を通りかかり、宗太と「おう」などと声をかけ合った。
「三上。今日の飲み会、どうする」
「行くけど?」
 あっさりした返事に宗太が「そうか」と相槌を打つ。気持ちが少し傾きかけたようだ。
しおりを挟む

処理中です...